安倍派内部の権力闘争、ちょっかいを出す森喜朗(2022~23年)(以下は『週刊文春 2023年9月7日号』から抜粋
2026年7月13日に作成)
2023年7月6日、丸の内のパレスホテル東京の店で、8日後に86歳になる森喜朗の誕生日会が開かれた。
その会には、安倍派の五人衆である、高木毅、萩生田光一、世耕弘成、松野博一、西村康稔も揃っていた。
森喜朗は、週3回の人工透析に通っているが、食欲は旺盛で150gのステーキを平らげ、ハイボールをお代わりする。
森は安倍派のオーナーの様に振るまい、五人衆も従うふりをしている。
森はかねてから、下村博文を嫌い、「下村は絶対に外せ(干せ)」と命じてきた。
8月17日に、安倍派の事実上の代表である「座長」に、塩谷立が就いた。
同時に安倍派内に意思決定を担う「常任幹事会」が新設された。
この常任幹事会に下村を入れないことで、五人衆は一致した。
ここで、ここまでの安倍派の流れを振り返る。
2022年7月8日に安倍晋三が射殺されると、安倍派の会長代理の塩谷と下村が安倍派の中心となった。
これに対し森喜朗が、8月1日発売の『正論』で、「皆で一致しているのは下村の排除」とアピールした。
森が下村を嫌う理由は、新国立競技場の建設を通じて生まれた。
森は同競技場の完成をラグビーW杯に間に合わすよう求めたが、建設費が増大していき 世論が批判したので、下村が建設案の見直しを進めた結果、ラグビーW杯に間に合わなかった。
森は言うことを聞かない下村を嫌い、安倍派の会長になるのを阻止しようとした。
森はさらに、塩谷立が安倍派の会長になる案も引っくり返した。
森は2022年10月10日のホテルオークラ東京の料亭での会合で、こう切り出した。
「塩谷は座長で、会長は置かずでいいじゃないか。」
森はその後、衆院・参院それぞれから会長を出す、「共同代表制」を主張した。
安倍派の幹部が、森の真意を説明する。
「森は自らの影響力を保ちたいので、特定の人が安倍派を仕切らないほうがいいと考えている。」
安倍派の五人衆は協力関係にあるが、本心ではそれぞれが安倍派の代表になることを狙っている。
萩生田光一は、水面下では森を批判している。
「派閥(議員)の半分以上が、森喜朗を知らないだろ。
森の言う共同代表制だが、衆院と参院では役割が違うし、それを対等な扱いにするとおかしくなる。」
世耕弘成は参院議員で、最大の武器は自らが会長をつとめる参院議員の集まり「清風会」だ。
世耕は周囲にこう洩らしている。
「萩生田は宗教問題があるから、会長にはねえ」
荻生田は統一教会との結びつきが深い。
一方、官房長官をする松野博一は、陰でこう語っている。
「西村も萩生田も世耕も、官房副長官(までしかやってない)だろ。俺は官房長官をやっている。」
2023年6月30日に、森喜朗から五人衆の1人に次の連絡があった。
「塩谷に『いいかげんにしろ』と俺が言った。
『五人衆にバトンタッチしろ。そうすれば座長にしてやる』と。塩谷も分かったようだった。」
だが塩谷は、森の言いなりにならなかった。
前回の衆院選で小選挙区で敗れている塩谷は、会長の肩書きのほうが選挙に有利という事情がある。
2023年7月5日の会合で、下村はこう語った。
「塩谷さんとがっちりタッグを組んでいく」
翌6日の幹事会で、塩谷は「速やかに会長を決めたい」と述べ、下村も「会長のポストを決めるべきだ」と述べた。
これに対し五人衆の世耕と高木が、「新体制にして、五人衆に運営を任せてほしい」と述べた。
松島みどりや稲田朋美は、「五人って何?マスコミで言っているだけでは?」と冷めた目で批判した。
この日の夕方、下村は森と会談し、「私は会長を目指したい。よろしくお願いします」と頼んだ。
森は怒り、「許せない、けしからん!」と怒鳴りつけたという。
森はその後、8月7日付の北國新聞において、「下村は私に土下座した」と暴露し、こき下ろした。
2023年7月19日に、塩谷は五人衆と会談した。
五人衆が「塩谷さん、下村さんと心中する気ですか?」と詰め寄ると、塩谷はこう言った。
「常任幹事会を作って意思決定機関とし、自分は座長になる。」
五人衆はさらに、「下村さんに引導を渡して下さい」と要求した。
塩谷はうなづいたが、内心は迷った。
森の威光を借りて安倍派を仕切ろうとする五人衆には、派閥内の反発が大きいからだ。このままだと安倍派は崩壊する。
だが結局、8月17日の総会で、塩谷は座長となり、常任幹事会が新設された。
干された下村博文に取材すると、こう話した。
「私は諦めずに会長を目指します。
森さんは私が土下座したと仰っているが、私はお願いしますと頭は下げたが、土下座はしていない。」
一方、森は「あと5年は俺が清和会(安倍派)の面倒を見る」と口にしている。
現在の安倍派の混乱と暗闘は、安倍晋三が後継者を作らなかったのが原因だ。
安倍は、派内に「四天王」を作ったりしたが、後継候補を1人に絞ろうとしなかった。