安倍晋三の隠し子疑惑と秘書の自殺未遂疑惑(以下は『週刊文春 2023年9月7日号』から抜粋
2026年7月14~15日に作成)
的場順三は、第一次・安倍政権の時に官房副長官をした人だ。
的場はこう話す。
「第二次・安倍政権が発足する少し前に、私は安倍事務所に呼び出されて、安倍さんと1時間半ほど2人きりで話しました。
この時に私は、『あの隠し子問題の真相はどうだったんでしょう?』と尋ねたのです。
私は第一次・安倍政権の時、折にふれて安倍総理から相談を受けていました。」
ここで第一次・安倍政権をふり返ろう。
8月17日に、安倍派の事実上の代表である「座長」に、塩谷立が就いた。
安倍晋三は戦後最年少の若さで首相となったが、すぐに閣僚たちにカネの問題が発覚して、閣僚の辞任が続いた。
まず政権発足の3ヵ月後の2006年12月に、行革大臣の佐田玄一郎が、架空の事務所経費の計上が発覚した。
次は松岡利勝・農水大臣で、事務所の光熱水費の問題が発覚した。
松岡はこの件で、2007年5月に議員宿舎で首吊り自殺した。
代わって農水大臣になった赤城徳彦も同年6月に、架空の事務所経費の計上が発覚。
赤城は記者会見をしたが、(殴られたような跡があり)頬と額に大きな絆創膏を貼っていた。
2007年7月の参院選で自民党は惨敗したが、8月に浮上したのが「安倍首相の隠し子問題」だった。
的場順三が、安倍の隠し子騒動を回想する。
「8月に安倍さんの隠し子疑惑が、週刊誌で報じられました。
私もそれで安倍さんの女性問題を聞いて知り、早く言ってほしかったなと思いました。」
当時、安倍首相の隠し子がいると、永田町で話題となった。
安倍の不倫相手は、福岡市の中洲にある高級クラブのオーナー・ママである。
矢島薫(仮名)だ。
安倍はそのクラブに通い、肉体関係を持ち、男の子が産まれたという。
その子供は、すでに高校生になっており、フランスまたはハワイに留学中とされた。
的場は言う。
「私は安倍首相に会ったさい、『もし隠し子だったら養子にしますか?』と尋ねました。
私は安倍さんの妻の昭恵さんとも付き合いがあり、昭恵さんが心配でした。
安倍後援会では、お姑の洋子さん(安倍晋三の母)が前に出て、昭恵さんはいつも後ろでした。
後援会の方々を出迎えるのは洋子さんで、昭恵さんはお茶を出したり雑用ばかりでした。
昭恵さんは可哀相な立場で、だから隠し子の時も昭恵さんのことが私は気になったのです。」
安倍事務所では、秘書にも事件があった。
安倍晋三の父親である晋太郎も国会議員だったが、晋太郎の時代から秘書をしてきた飯塚洋は、「安倍の金庫番」と呼ばれる男で、スポンサー企業とのパイプ役だった。
だから第一次・安倍政権が2006年に始まる時、飯塚は政務秘書官になると見られた。
だがそうならず、ショックを受けた飯塚が自殺未遂を起こしたと報じられた。
このとき政務秘書官には、内閣府のノンキャリア官僚だった井上義行が選ばれた。
飯塚は失意のうちに安倍事務所を去った。
飯塚洋が政務秘書官にならなかった理由に、次の事情があった。
まずビル建設の耐震偽装をした「ヒューザー社」と、飯塚は蜜月関係にあり、国会でも取り上げられていた。
さらにJR新習志野駅の近くにできた競艇の場外舟券売場の建設で、右翼団体ともめていた。
(※要するに安倍事務所の汚れ役を飯塚はしていたのである。
そして安倍が首相になる時、冷酷に切り捨てられた。)
的場が解説する。
「政治家の秘書にとって、政務秘書官になるのが最高の望みなんです。
首相の政務秘書官ともなれば、官邸の秘書官室であらゆる事を動かせる。
しかし飯塚君は任命されず、ノイローゼになって何を言い出すか分からない状態になった。」
飯塚をさし置いて安倍首相の政務秘書官になったのは、井上義行だった。
井上は、安倍が官房副長官をしていた時期に、秘書官として仕え、安倍に信頼されていた。
ノイローゼになった飯塚は、睡眠薬を飲んだ上、自宅2階から飛び降りて自殺を図ったと噂された。
事実、2006年11月に足首を骨折して救急搬送されている。
飯塚に取材したところ、自殺未遂も、舟券売場を巡る右翼からの攻撃も、その後の安倍側からのカネの仕送りも、否定した。
安倍晋三の隠し子を産んだと噂された、矢島薫(仮名)に取材すると、こう答えた。
「安倍さんと初めて会ったのは25歳で、中洲の薊(あざみ)というクラブででした。
私は29歳で独立してスナックを始め、そこからもっと大きなスペースのクラブに発展しました。
安倍さんはそこにも来ましたが、男女の関係ではありません。
店には多い時で、17~18人の女の子がいました。」
的場は、隠し子問題をこう話す。
「私が『福岡のあれ(隠し子)は本当のところはどうなんですか?』と聞いたら、安倍さんは『あれは違うんです。仮に私の子供だったら養子縁組しますよ』と否定しました。
でも『実子ならばありがたいことだから、昭恵とも相談して養子にし、私の後継ぎにします』とも言ってました。」