タイトル2012年12月の衆議院選挙
自公に政権交代する

(以下は『毎日新聞 2012年11月16日』から抜粋)

衆議院が今日解散し、総選挙となる。

太陽の党の石原慎太郎と、減税日本の河村たかしの2人が会見をし、維新の会、みんなの党を含めて4党での合流を目指す考えを表明した。

みどりの風は11月15日に、参院議員4人、衆院議員1人で発足した。

民主党は、衆院議員6人が離党の意向を表明した。山田正彦・元農相など。

(以下は『毎日新聞 2012年11月17日』から抜粋)

衆議院は、11月16日に解散となった。
12月4日に選挙の公示、16日投票が閣議決定された。

維新の会と太陽の党は16日に、近く合流する事で合意した。太陽が解党して維新に合流する。

太陽の党は13日に結党したばかりで、1週間もたたずに消滅となった。

自民党は、森喜朗、福田、武部、中川秀直、古賀誠らが選挙に出ず引退する。

民主党の羽田、渡部も引退。

公明党の坂口力や、無所属になっていた与謝野馨も引退。

(以下は『毎日新聞 2012年11月19日』から抜粋)

維新の会と太陽の党が合体し、太陽の党が解党して合流したと発表された。

この合体により維新の会の政策のうち、企業団体献金の廃止、脱原発、TPP賛成が棚上げされた。

民主党は、羽田孜(元首相)の長男である羽田雄一郎の公認を認めない事にした。
野田首相の「脱世襲」方針を撤底させるため。

(以下は『毎日新聞 2012年11月20日』から抜粋)

維新の会の橋下徹と太陽の党の石原慎太郎は、10月21日に秘かに会談した。

橋下は衆院選への不出馬を明言。
すると石原は「1期だけでも俺がやる」と切り出し、4日後に都知事からの辞職と新党結成を表明した。

石原の維新への合流により、石原が「ワンポイント先発」として出馬し、それを足場に橋下が「次」を狙う戦略が固まった。

石原は80歳を迎え、今回の衆院選が最後の機会という思いがあり、橋下氏に利用されてでもと考えた。

民主党党首の野田首相は11月19日に、TPPに反対するなら民主党公認にしない考えを表明した。

これを受けて山田正彦は民主党から離党した。山田は亀井静香と19日に新党結成を発表した。

(以下は『毎日新聞 2012年12月5日』から抜粋)

今回の衆院選は、過去最多となる1504人が立候補した。

(※議席数から考えて、意外にも3人に1人くらいが当選するのだと知った。かなりの高確率だと思う。)

世襲の候補者は159人で、全体の1割を占める。
新人の世襲候補の4割が自民党である。

立候補せずに引退する大物議員は、民主党は羽田、鳩山、渡部、藤井。
自民党は森、福田、古賀、中川秀直。

世論調査では、8割以上が「物価上昇は困ったことだ」と回答した。

日銀の白川総裁は、「賃金が上昇しない中で、物価だけが上昇するのは困ると、人々は回答した」と感想を述べた。

白川は、「経済を成長させ、賃金を引き上げていく事が不可欠」とも述べた。

(以下は『毎日新聞 2012年12月27日』から抜粋)

12月26日の首相指名選挙で、自民党の安倍晋三が選出された。
これにより民主党政権は3年3ヵ月で幕を閉じた。

発足する安倍政権の内閣官房参与には、かつて小泉首相の秘書官を務めた飯島勲 (67歳)、丹呉泰健(5年半に渡り小泉首相の秘書官を務めた)、谷内正太郎、浜田宏一(エール大) の4人が起用される。

未来の党は、分裂が決まった。
亀井静香が離党を表明。
嘉田・代表は、「平和的に分党できる方向を探っている」と語った。

(2024年12月10~11日などに作成)


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