国葬というプロパガンダ(以下は『しんぶん赤旗日曜版 2022年9月4日号』から抜粋
2026年2月28日に作成)
これは平野貞夫・元参院議員の語る、国葬についての話である。
吉田茂・元首相の国葬(1967年)は、与野党のなれ合いが生んだ、憲法への冒涜であった。
当時の私は、衆院・副議長の園田直の秘書をしていた。
吉田茂が亡くなった時、佐藤栄作・首相が出張先のマニラから園田に電話してきて、「どうしても国葬にしたいから、(野党の)社会党を説得してくれ」と言ってきた。
園田は社会党の幹部らと会い、協力を求めた。
社会党は最終的に、国会対策委員会で「大勢としてはやむをえない」との意図をまとめ、衆院の議院運営委員会にゆだねた。
佐藤栄作は、自らの政権の支持率を保つため、国葬というイベントをしたかったのだろう。
だが国葬に法的根拠がないので、社会党の協力を求めたのだ。
そもそも「国葬令」は、1947年の新憲法で廃止されていた。
だから私は国会での議決が必要だと思っていたが、佐藤内閣は閣議決定で決めてしまった。
この事に私は今でも忸怩たる思いを持っている。
吉田茂の国葬は、かなり強制的に行われ、各地でサイレンが鳴らされ、公営ギャンブルは中止、テレビもドラマや歌謡ショーやCMは自粛された。
学校は、休校を押しつけられた。
だが国葬は国民に不人気だった。
1968年5月の衆院決算委員会で、社会党は「国葬について法的基準を作るべし」と提案し、水田三喜男・蔵相は「(現在は国葬について)法令の根拠はない。基準を作っておく必要ある」と答えた。
しかしその後も放置されたままだ。
歴史を見ると、国葬は権力者が行う政治宣伝として使われてきた。
アメリカのケネディ大統領、イギリスのチャーチル元首相、ソ連のスターリン書記長の国葬は、その代表例である。
日本では大平洋戦争中に、連合艦隊司令長官の山本五十六が戦死して、その国葬が戦意発揚に利用された。
岸田文雄・首相は、亡くなった安倍晋三を国葬する理由として、首相の在任期間が最長だったことや、銃殺されたことを挙げた。
しかし安倍晋三は、アベノミクスで失敗し、新型コロナ対策でも失敗し、森友学園や加計学園での汚職、桜を見る会での汚職があり、新安保法の強行採決で憲法を蹂躙した人である。
野党のうち日本維新の会と国民民主党は、安倍国葬というプロパガンダを容認したが、翼賛的な与野党の談合はファシズムにつながる。
(以下はサイト『Tansa』2026年8月24日の記事
「国葬文書は存在した!」から抜粋
2026年9月30日に作成)
🔵内閣法制局・乗越徹哉氏が「内閣官房・内閣府から国葬文書を受け取った」と発言。
国葬文書隠蔽裁判・証人尋問2日目。
Tansaが国を提訴した「国葬文書隠蔽裁判」で、2026年8月24日に、内閣法制局の参事官だった乗越徹哉氏への証人尋問が東京地裁で開かれた。
国が「存在しない」と不開示決定を出した国葬の文書が、存在することが明らかになった。
提訴から2年。原告Tansaの「国葬文書がないわけがない」という主張が裏付けられた。
この裁判は11月24日に結審し、年明けに判決が出る見込みだ。
この日、証人尋問で法廷に立った乗越徹哉氏は、2022年7月12日から14日に行われた内閣法制局と内閣官房、内閣府の3者協議に、法制局の参事官として出席した人だ。
この協議を経て、当時の岸田文雄・首相が「内閣法制局ともしっかり調整をした」と言って、安倍晋三・元首相の国葬を閣議決定により実施すると表明した。
ところが乗越氏は、法廷で次のような証言を繰り返した。
「当時の認識を、今は思い出せないです」
「答える立場にありません」
「記憶にないです」
乗越氏は、2時間近くに及ぶ被告代理人、原告代理人、裁判官たちからの質問を「記憶にない」で逃げ続けた。
最も酷かったのは、国葬を閣議決定で実施できることを記載した文書に関し、内閣法制局から内閣官房に出した修正指示の理由を「思い出せない」と答えたことだ。
これには、篠田賢治・裁判長が自ら問い詰めた。
「一般的に、法制局はめちゃくちゃ理屈を重んじる世界なので、理由について納得しないまま各省に修正しろとか言わないんじゃないかと思うんですけれども」
「当然あなたも、(修正の根拠を)理解した上で、修正してくれと言ったんじゃないかなと思うんですけど、違いますかね」
乗越氏は口ごもったものの、最終的にはこう答えた。
「本当に憶えていないです」
しかし乗越氏がしっかり覚えていたことがある。
国の儀式について定めた「内閣府設置法」に関する、内閣官房・内閣府とのやり取りだ。
7月12日の3者協議では、内閣府設置法の法解釈が俎上に載った。
翌日以降も協議は続いていたとして、乗越氏はこう証言した。
「内閣府設置法の解釈に関する資料は、(内閣官房・内閣府側に)全部公開いただいて、確認したように思います」
「12日だったのか、その後のことだったのかは、はっきりしないんですけれども、いずれにしても内閣官房・内閣府から(文書を)頂いて、その内容を確認したと理解しています」
内閣官房も内閣府も、内閣法制局との協議に関する文書は「不存在」と主張してきた。
その主張が、乗越氏の証言により覆されたのだ。