国葬というプロパガンダ(以下は『しんぶん赤旗日曜版 2022年9月4日号』から抜粋)
これは、平野貞夫・元参院議員の国葬についての話である。
吉田茂・元首相の国葬(1967年)は、与野党のなれ合いが生んだ、憲法への冒涜であった。
当時の私は、衆院・副議長の園田直の秘書をしていた。
吉田茂が亡くなった時、佐藤栄作・首相が出張先のマニラから園田に電話してきて、「どうしても国葬にしたいから、(野党の)社会党を説得してくれ」と言ってきた。
園田は社会党の幹部らと会い、協力を求めた。
社会党は最終的に、国会対策委員会で「大勢としてはやむをえない」との意図をまとめ、衆院の議院運営委員会にゆだねた。
佐藤栄作は、自らの政権の支持率を保つため、国葬というイベントをしたかったのだろう。
だが国葬に法的根拠がないので、社会党の協力を求めたのだ。
そもそも「国葬令」は、1947年の新憲法で廃止されていた。
だから私は国会での議決が必要だと思っていたが、佐藤内閣は閣議決定で決めてしまった。
この事に私は今でも忸怩たる思いを持っている。
吉田茂の国葬は、かなり強制的に行われ、各地でサイレンが鳴らされ、公営ギャンブルは中止、テレビもドラマや歌謡ショーやCMは自粛された。
学校は、休校を押しつけられた。
たが国葬は国民に不人気だった。
1968年5月の衆院決算委員会で、社会党は「国葬について法的基準を作るべし」と提案し、水田三喜男・蔵相は「(現在は国葬について)法令の根拠はない。基準を作っておく必要ある」と答えた。
しかしその後も放置されたままだ。
歴史を見ると、国葬は権力者が行う政治宣伝として使われてきた。
アメリカのケネディ大統領、イギリスのチャーチル元首相、ソ連のスターリン書記長の国葬は、その代表例である。
日本では大平洋戦争中に、連合艦隊司令長官の山本五十六が戦死して、その国葬が戦意発揚に利用された。
岸田文雄・首相は、亡くなった安倍晋三を国葬する理由として、首相の在任期間が最長だったことや 銃殺されたことを挙げた。
しかし安倍晋三は、アベノミクスで失敗し、新型コロナ対策でも失敗し、森友学園や加計学園での汚職、桜を見る会での汚職があり、新安保法の強行採決で憲法を蹂躙した人である。
野党のうち日本維新の会と国民民主党は、安倍国葬というプロパガンダを容認したが、翼賛的な与野党の談合はファシズムにつながる。
(以上は2026年2月28日に作成)