タイトル幕末の雑学

(以下は『週刊文春 2023年11月30日号』
『蒼空に擲つ』伊藤秀倫の記事から抜粋
2025年7月28日に作成)

長州藩の山県有朋は、薩長同盟が成ってから1年たっても長州藩内に薩摩の真意を疑う 声が強いので、慶応3年5月~6月にかけて1ヵ月間、薩摩藩邸に暮らして動きを見た。

この1ヵ月のことを、『葉桜日記』として記録している。

これを読むと、山県は西郷や大久保や小松帯刀と交流し、薩摩藩の国父・島津久光からは直々に六連砲(ピストル)をもらっている。

薩摩藩の中村半次郎(桐野利秋)も、慶応3年9月1日から12日10日までの体験を、『京在日記』として書いている。

彼は無学なイメージをもたれているが、これを読むと時局を正確に記録している。

この日記は、栗原智久氏が現代語訳して、『桐野利秋日記』として上梓している。

『桐野利秋日記』を読むと、永山弥一郎がしょっちゅう登場し、2人が親友だったと分かる。

10月15日の項では、西郷から大政奉還のことを聞いたことと、討幕の密勅を書き写しことが書いてある。

また11月17日の項では、坂本龍馬と石川清之助(中岡慎太郎)が襲撃されたこと、犯人は壬生浪士(新選組)と見込んでいることを書いている。

(以下は『週刊文春 2023年9月21日号』
『蒼空に擲つ』伊藤秀倫の記事から抜粋
2026年9月21日に作成)

🔵薩摩藩の茶坊主

永山弥一郎は、若い頃は「茶坊主」をしていた。

小川原(おがわら)正道・慶応大学教授が解説する。

「茶坊主は役職名で、城内や邸内で雑用もしたようです。

薩摩藩の茶坊主で有名なのは、藩財政を立て直した調所広郷(ずしょひろさと)です。

貧しい下級武士の次男や三男は、給米4石を家に入れるため茶坊主になるケースがあった。

幕末には、永山弥一郎の他にも、大山綱良、西郷従道、樺山資紀、海江田信義も茶坊主の出身でした。」


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