タイトル天正記、太閤記、川角太閤記、絵本太閤記

(以下は『ウィキペディア』から抜粋
2011年3月29日にノートにとり勉強)

🔵天正記

大村由己(おおむらゆうこ)が書いた本。
大村は羽柴秀吉に近侍し、秀吉のスポークスマンを任されていたと考えられる人。

1580年の三木城攻めから、1590年の小田原城攻めまでを記した、秀吉が主役の軍記である。

「播磨別所記」や「惟任退治記」などの諸篇から成る。
(※これらの書名も有名で、今までは別の本かと思っていた。)

小瀬甫庵の『太閤記』など、後の秀吉を取り上げた本の底本となっている。

大村由己は1596年に61才で死去した。

ちなみに大村は、秀吉に命じられて秀吉を讃える能の作成も行っている。

🔵太閤記

小瀬甫庵(1564~1640)が書いた、豊臣秀吉の伝記。

寛永10年代に刊行された。

甫庵の著作は潤色が多く、誤りが多い。
しかし読物として人気が高く、大衆に親しまれている。
資料価値は高くない。

🔵川角太閤記

江戸時代の初期に書かれたとされる。

秀吉の逸話をまとめた本で、主に本能寺の変から関ヶ原の合戦までを扱っている。

著者は川角三郎右衛門で、全五巻。

著者が聞いた話をまとめた本であり、明智光秀の旧臣や豊臣秀次の旧臣の証言がある。

🔵絵本太閤記

川角太閤記を元にして武内が書き、挿絵を入れて1797年に刊行された本。

(※これは史料としては重要でないのが明らかだ)

大人気となった本で、人形浄瑠璃や歌舞伎にもなった。

社会現象となるほど流行し、危険を感じた徳川幕府は絶版にした。

現在知られている秀吉の逸話の多くは、絵本太閤記の潤色したものである。

(以上は2025年9月20日に作成)


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