造船汚職事件

(『日本の黒い霧』松本清張著から抜粋)

造船汚職事件の発端は、金融業者の森脇将光が猪俣功という者にカネを貸し、これが焦げついて、詐欺の訴えをした事から始まる。

猪俣功は、鉄道の特二の椅子(特別二等車のリクライニング・シート)を造る子会社の人だが、山下汽船、日本通運、日本海運などから多額のカネを借りて焦げつかせていた。

貸した方を調べると、功に貸したカネは会社の重役連中が勝手に浮貸して利ザヤ稼ぎをやろうとしたものだと分った。

そこで検察は、これらの会社の重役を逮捕することにし、1954年1月7日に山下汽船の横田社長と吉田重役、日本海運の塩次社長を逮捕して家宅捜索した。

家宅捜索では、横田、吉田両人のメモも押さえたが、そのメモには三十数名の政界人と会食してカネを贈っていた事が書いてあった。

このメモ(山下メモ)は、1953年夏に『外航船舶の建造の融資利子補給および損失補償法』が国会を通過した時の汚職メモであった。

この法案成立の経緯をいうと、日本は戦前は630万トンもの船舶を保有していたのに、太平洋戦争のため130万トンに激減し、これを復興させるためにこの法案が作られた。

53年1月に一旦、国会を通過成立したのだが、海運業界は法案の内容を不満とし、もっと有利な法案を作らせるために働きかけた。

こうして修正案が同年8月に成立した。

これに必要な予算は全部で478億円で、つまり海運業者のために国民の税金をそれだけ呉れてやる、という法律だった。

山下メモは東京地検に運びこまれたが、メモには三十数人の政治家の名があり、ほとんどは政党の実力者だった。

贈賄側は、船主協会と造船工業会およびタンカー協会であった。

地検はまず山下汽船を捜査し、建造価格の3~5%が造船所から船会社に払い戻され、それが政界に違法献金されていると分った。

第一次の手入れは、山下汽船と取引関係にある日立造船、浦賀ドックを摘発し、山下汽船からの贈賄で運輸省・壺井官房長が1954年1月26日に逮捕された。

さらに名村造船に手が入った。

2月25日には、飯野海運、新日本汽船、太洋海運など8社が摘発された。

これが第二次の手入れである。

第三次の手入れは、播磨造船、川崎重工業、三菱造船が摘発を受けた。

第四次は三菱海運などで、第五次は石川島重工業。

この頃になると政界摘発も始まり、自由党・有田二郎の逮捕をはじめ、多数の取調べが行われた。

そして自由党は、関谷と岡田が逮捕、佐藤栄作・幹事長と池田勇人・政調会長の取調べが始まった。

この間、2月19日には「造船利子補給法の成立の前後に、政官界の要人が業界幹部と赤坂の料亭で会った」という、『森脇メモ』が国会に提出された。

このメモは、丹念に赤坂の料亭で会合する船舶業者と政財界人を記録したものだ。

翌20日には社会党が森脇メモと同一内容のものを発表し、閣僚も含む関係者を公表し、西郷吉之助(参院議員)は東京地検で取調べを受けた。

22日には改進党の中曾根康弘が、「石井運輸相と大野国務相が業界からカネを受け取っている」と国会で証言した。

ところで、この汚職事件が見つかった起こりは、森脇が猪俣功に保管株券を詐取されたとして告訴した事だ。

そして河井信太郎・検事が功を調べることで、船会社が違法献金を政界にしている事実を掴んだのである。

猪俣功は、元々は鉄道利権に深く喰い込んでいた人物だ。

彼は三井一族の1人をバックにして米軍と渡りをつけ、殊にCTS(民間鉄道管理局)のシャグノン中佐に渡りをつけた。

シャグノンは、下山事件でも重要な役目を務めている。

従って、造船汚職事件にもアメリカ人が関係している。

人は「この事件の時は日本はすでに独立しており、アメリカの影響は無い」と解しているが、裏を見るとアメリカとの深い繋がりがある。(※この点は後述されます)

検察の捜査について、犬養健・法務大臣は「やり給え」と応援した。

捜査の最終目標は、『造船利子補給法案』の国会通過をめぐって、自由党の佐藤栄作・幹事長と池田勇人・政調会長が海運業界から夥しいカネを受け取っている事を摘発することにあった。

この法案は53年1月に成立したが、海運業界が「もっと有利な法にしてほしい」と働きかけ、その改正案が作られた。

改正案は8月に成立したが、これに絡んで船主協会と造船工業会が栄作を通して党に献金し、その一部は帳簿に載っていなかったのである。

54年4月17日に、佐藤栄作を逮捕するための検察首脳会議が開かれ、栄作の出頭を求めて取調べも行った。

栄作は検事の前で泣いたと新聞に伝えられている。

ところが4月19日に、犬養健・法相が佐藤・検事総長を大臣室に呼び出し、「逮捕しないでほしい」と頼んだ。

検察首脳は法務省代表と会議をした。逮捕を止めようとする法務省と逮捕しようとする検察で大激論となった。

一方、犬養法相は吉田茂・総理および緒方竹虎・副総理と会談した。

検察側は、栄作逮捕の書類を法務省に提出したが、犬養健は「重要法案が通過するまで逮捕は保留する。これは検察庁法・第14条に基づくものである」とペンで書き、書類を差し戻した。

これが、いわゆる指揮権発動である。

同時に、健は辞表を提出して大臣が空席となった。

こうして造船汚職の追及が一挙に潰れてしまったのである。

世間では「吉田茂が指揮権を発動させた」と、茂に悪罵が集中した。

指揮権発動は、その法的根拠は検察庁法・第14条に拠ったものだ。

元来、第14条の精神は、検察側が捜査を怠った時に、「それを捜査すべし」と検事総長に命じる主旨だ。

ところが犬養健・法相は、これを逆に使用したのである。

健としては、これを強行すれば政治生命が絶たれることも予感していたに違いない。

それなのになぜ実行したのだろうか。

健は「政界の孤児」と云われて不遇な時代があったが、吉田茂や緒方竹虎の知遇をうけて大臣に就いた。
だから恩義があったのだ。

さらに健のペン書きは重要法案に言及しているが、当時の国会ではMSA、教育二法案、警察法改正法案、軍事関係法案を抱え、アメリカから一日も早い成立を指示されていた。

だから別な一面から云うと、アメリカの要求が指揮権発動になったとも云える。

ところで、指揮権発動を最も求めたのは、実は緒方竹虎・副総理であった。

彼は清廉潔白を売りにしていて、次期総理と見られていた。

造船汚職で清廉潔白に傷がつくのを防ぎつつ、指揮権発動の元凶を吉田総理にして政権を終わらせる。これが竹虎の目的だった。

ここからは、この事件の裏に何があったかを見究めたいと思う。

日本は敗戦で大量の船を失った。

しかしアメリカ占領下で、初めは大型船舶の建造が許されなかった。

1949年頃からはGHQから大型外航船も許可されるようになったが、これは朝鮮戦争が近づく時期である。

戦後の日本の造船計画は、2つの時期に分かれている。

第1期は国内船の建造で、第2期が外航船だ。

外航船は、実はアメリカ統合参謀本部が企画・設計したものだ。これが49年8月から始まる第5次計画造船である。
そして資金の7割まではアメリカが貸す制度になった。

第7次の後期からは、開発銀行が7割を貸し、残り3割を市中銀行が貸す仕組みになった。

こうした制度を作ったのは、GHQ時代のESSのマーカットである。

この制度では、船会社は1円も出さずに、申請して許可されれば船を入手できる。

飯野海運の場合、終戦時には2~3隻のタンカーを持っているだけだったが、造船汚職事件の時には日本一の大船主にのし上がっていた。

より多くの船の割当をもらうために、船会社は献金や接待を競ったのだ。

一方、船会社と造船所の関係はどうか。

船会社は割当を貰うと造船所に注文を出すが、実際に銀行からカネをもらうのは造船会社である。

そして造船会社は、払い込まれたカネのうち、3%ほどをリベートとして船会社に渡す。

このリベートが、飯野海運などの社長や重役のポケットに入る。

造船計画の全体で、60億円がリベートとなり、このうち20億円が政党への献金になったと云われている。

さて問題の『利子補給法の改正案』だが、どんな内容かというと主に次の2点である。


原案は貨物船だけに利子補給することになっていたが、改正案はタンカーも含んだ


原案は第9次以降の利子補給することになっていたが、改正案は貨物船は50年12月以降、タンカーは51年12月1日まで遡って適用した

この修正で、原案では13億円ほどの利子補給額が、一気に167億円に膨れ上がった。

とに角、船会社はボロ儲けが出来るわけだ。

そこで赤坂の料亭では、夜毎に接待のドンチャン騒ぎが行われた。
その一部が、『森脇メモ』によって暴露されたのである。

森脇メモはついに公表されなかったが、社会党が公表した『佐竹メモ』は森脇メモにほぼ近いと云われている。

これによると、8ヵ月の間に48回の宴会が行われ、多い時には45人の芸者が出ている。

48回のうち、25回は飯野海運のものだ。

検察庁は、自由党の会計責任者・橋本明男も逮捕している。
明男は、3代の幹事長に仕えた会計主任である。

なお、船会社からの献金は、佐藤栄作・幹事長を中心として配られたが、保守合同(自由民主党の創設)のために使われたのも多い。

麻生鉱業が吉田総理へ融資した1.5億円も、ここから出たと云う。

検察が入手した汚職の資料だが、犬養法相が辞表と指揮権発動を同時にした日の晩に、犬養健と某検察首脳の1人が焼き捨ててしまったという。

しかしメモの写しがあり、某氏が握っていると聞く。

日本政府の造船計画は、第5次から全く性格が変貌した。

つまり、大型外航船では速力が14ノット以上のものにし、16.5ノット以上を最優先に許可する方針となった。

これは当時のソ連の潜水艦が16ノットなのを考慮し、アメリカの統合参謀本部が立てた戦時企画と云われ、船首と船尾に3インチ砲を載せるなどの改造が行われた。

例えば第9次で造られた貨物船は16.5ノットの速度だが、改造すれば22ノットの軽巡洋艦になるそうだ。

このようにして、計画造船で戦時輸送船になれるものが造られた。

このアメリカの路線に乗って、造船会社と政党が汚職をし、莫大な税金を浪費したのである。

注ぎ込まれた税金は1千億円に達した。

これまで世に出た汚職事件は、氷山の一角である。

莫大な国民のカネが掠め取られているのだ。

(2019年9月3日に作成)


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