(以下は『週刊文春 2023年8月31日号 蒼空に擲つ 伊藤秀倫の記事』から抜粋)
『西南戦争』の著者である小川原氏は言う。
「西南戦争の頃、鹿児島は明治初めの廃仏毀釈で寺院は全廃でした。
もともと江戸期から、薩摩藩では浄土真宗は禁じられ、神社が特別な地位にありました。
明治政府は、西南戦争の直前の明治9年に、鹿児島での浄土真宗の解禁を指示しました。
布教に来た僧が、政府のスパイと見られて捕縛されるなど、鹿児島は殺伐としていました。」
(以上は2024年6月28日に作成)
(以下は『週刊文春 2023年10月12日号 蒼空に擲つ 伊藤秀倫の記事』から抜粋)
薩摩人の永山弥一郎の弟に、友右衛門(盛繁)がいる。
盛繁は、変名を「田島圭蔵」という。
田島圭蔵は、明治元年から2年にかけて、榎本武揚が率いる旧幕府勢に降伏を促す使者として働いた。
田島と榎本の会談の様子は、『北洲新話』に書かれている。
榎本は最終的に降伏した。
田島が永山弥一郎の弟だということは、F丸さんに教えてもらった。
F丸さんは、「F丸の箱館戦争覚書」というブログを作っている人だ。
田島圭蔵こと永山盛繁は、箱館戦争後は樺太で開拓をし、渋沢栄一と製麻会社を興したりもした。
(以上は2025年9月22日に加筆)