タイトル太平記とは、難太平記も

(以下は『ウィキペディア』から抜粋
2011年3月29日にノートにとり勉強)

🔵太平記とは

後醍醐天皇の即位から、2代将軍死去・頼之の管領就任までの50年間を書いた、軍記物語である。

全40巻で、たくさんのバージョンがある。

タイトルの太平は、平和祈願の意味で付けられたと考えられている。

作者や成立時期は不詳。

しかし前半部は円観らによって書かれ、小島法師らの増補で改訂され、1370年頃に現在の形になったと考えられている。

足利義満らが修訂に関係したとも言われる。

🔵内容

一貫して南朝寄りであり、南朝側の人が書いたとも南朝方への鎮魂の意味があったとも言われる。

ばさらや下剋上に対し批判的に書いている。

巻22は欠落しており、天皇や武家に不都合なことが書かれているので削除されたと考えられている。

全体は3部構成で、第1部は鎌倉幕府の滅亡まで、第2部は建武新政の失敗から後醍醐の崩御まで、第3部は足利幕府の混乱を記している。

全体として仏教的な因果応報論が基調にあり、宋学の影響を受けたとされる。

随所に「平家物語」の影響が見られ、脚色も多い。

🔵その影響力

物語僧(太平記読み)によって広まり、学問のテキストにもなった。
文学にも影響している。

武士にとっては不可欠の兵法書ともなった。

逆臣の足利尊氏、忠臣の楠木正成、というイメージを作り出した。

作家の吉川英治は、著書『私本太平記』において新しい尊氏像を小説化した。

🔵難太平記とは

今川了俊が1402年に完成させた本。

今川氏と足利氏の歴史が主な内容で、自らの子孫に向けて書かれている。

元々は書名は無くて、「太平記が今川氏を軽んじている」と難じているために、この名が付いた。

了俊が経験した、南北朝から室町初期のことが記されている。

(以上は2025年8月14日に作成)


BACK【南北朝時代】 目次に戻る

目次【日本史の勉強】 トップページに戻る

home【サイトのトップページ】に行く