(『馬占山と満州』翻訳・陳志山、編訳・エイジ出版から抜粋)
1895年に日清戦争で清が敗れた時、ロシア帝国は清政府を脅して漁夫の利を得ようとした。
そしてモスクワで、清政府の代表の李鴻章と交渉して、『露清の同盟密約』を結んだ。
世に言う『中露密約』である。
この条約は、ロシアが清のいかなる港にも軍艦を寄港できる権利を得た。
さらにロシアは、黒竜江と吉林を通ってウラジオストックに至る鉄道の敷設権を得た。
さらに、この鉄道を使ってロシア軍を無制限に移動できる権利も得た。
鉄道敷設権には、鉄道地域内での行政権、司法権、森林の伐採権、鉱山の採掘権など、様々な特権も付いていた。
清にとっては、国益を売り渡す条約であった。
1898年にロシアは鉄道敷設に着手し、1903年に完工した。
満州里から綏芬河までの全長1481kmに及ぶもので、「東清鉄道」と呼ばれた。
(後にロシアで十月革命が起きると、中東鉄道に改称された)
ロシアは東清鉄道をつくると、駅に軍隊を常駐させ、住民から略奪するなど乱暴をほしいままにした。
このため多くの人々が難民となった。
1897年12月にドイツが、清の山東省・膠州湾に侵入した。
これを見たロシアは、ドイツ軍の排除を口実に、旅順・大連に出兵した。
そして清政府に迫って、『旅順と大連の租借地条約』に調印させた。
この条約でロシアは、旅順と大連を手にし、後に日露戦争で日本に負けると、その利権は日本に譲渡された。
このとき日本政府は、旅順と大連を含む遼東半島の一部を、「関東州」と名付けた。
(2021年6月2日に作成)