タイトル徳川家の家臣リスト

(以下は『歴史群像シリーズ』から抜粋)

徳川家康(旧名は松平元康) 1542年~1616年4月17日 享年75歳
説明は不要だろう。

酒井忠次 1527年~1596年 享年70歳
家康の外戚の叔父。 

石川家成 1534年~1609年
石川数正の父もしくは叔父で、家康の外戚。

石川数正 ?年~1592年
家康より少し年上だったようだ。
重臣だったが天正13年1月に羽柴秀吉方に寝返った。

榊原康政 1548年~1606年 享年59歳
徳川四天王の1人。

本多忠勝 1548年~1610年10月18日 享年63歳
徳川四天王の1人。合戦上手で有名。

井伊直政 1561年2月9日~1602年 享年42歳
徳川四天王の1人。関ヶ原の合戦で負傷し、それが元となり死亡。

鳥居元忠 1539年~1600年
関ヶ原の合戦の直前、伏見城に籠城して討死。

本多正信 1538年~1616年6月 享年79歳
一向宗の反乱に加わり、一時は家康の下から去っていた。
家康の配下に戻った時期は、本能寺の変の時と姉川合戦の時の二説がある。

高力清長 1530年~1608年1月 享年79歳
岡崎三奉行の1人。

本多重次 1529年~1596年7月 享年68歳
岡崎三奉行の1人。鬼作左の異名があった。

天野康景 1537年~1613年2月  享年77歳
岡崎三奉行の1人。1607年に事件があって改易に。

板倉勝重 1545年~1624年 享年80歳
僧侶だったが、弟の戦死により還俗して1581年に家康に仕え始めた。

大久保長安 1545年~1613年 享年69歳
出身は大和で、武田信玄によって武士に取り立てられる。
後に徳川家に仕え、金山の開発・採掘など特殊な仕事を任された。

青山忠成 1551年~1613年 享年63歳
家康が関東に移封されると、関東総奉行を任された。

内藤清成 1555年~1608年 享年54歳
家康が関東に移封されると、関東総奉行を任された。

伊奈忠次 1550年~1610年 享年61歳
土木、新田開発など内政を担当した。

大久保忠世 1532年~1594年 享年63歳

大久保忠佐(ただすけ) 1537年~1613年 享年77歳
忠世の弟。

大久保忠隣(ただちか) 1553年~1628年6月27日  享年76歳
忠世の長男で後を継いだ。
1614年1月に謀反の疑いをかけられ配流になった。

茶屋四郎次郎(初代の清延) 1545年~1596年
京都の出身の商人。
二代目の清忠と三代目の清次も、茶屋四郎次郎を名乗った。
清忠は1603年に死去、清次は1622年に死去。

初代の清延は、本能寺の変の時に家康の伊賀越えを助けたので有名。

服部半蔵正成 1542年~1596年(1597年?)
忍者衆を率いたことで有名。

本多正純 1565年~1637年 享年73歳
本多正信の嫡男で、後を継いだ。
大きな権力を持ったが、釣天井事件で配流になった。

金地院崇伝(以心) 1569年~1633年 享年65歳
僧侶で家康のブレーンとして活躍した。

南光坊天海 1536年?~1643年 享年108歳?
会津出身か?謎の多い人。生き延びた明智光秀だという説もある。
1554年生まれや1509年生まれ説もある。
家康の側近になった。

松平信康 1559年~1579年 享年21歳
家康の長男・嫡男だったが、謀反の疑いを織田信長に指摘され、切腹処分に。

結城秀康 1574年~1607年 享年34歳
家康の次男。1584年に豊臣家に養子(人質)に出された。
結城晴朝の養子になり、結城姓に。

(以上は2005年頃にノートにとった
それを2025年9月15日にここに記載)


BACK【日本史の勉強 織田信長の時期】 目次に戻る

目次【日本史の勉強】 トップページに行く

home【サイトのトップページ】に行く