タイトル信長公記、武功夜話

(以下は『ウィキペディア』から抜粋
2011年3月29日にノートにとり学ぶ)

🔵信長公記

『信長公記』は、織田信長の家臣だった太田牛ーが書いた、信長の伝記である。

太田は尾張出身。信長の死後は丹羽長秀、豊臣秀吉と仕えた。

『信長公記』は、信長の幼少時から1568年までを首巻とし、その後を15巻に書いて、全16巻にまとめている。

写本のみ伝存する。「安土記」とも言う。

完成したのは慶長10年(1605年)頃とされる。

首巻は、巻一から巻十五よりも後に書かれたと見られている。

その内容は、一部の錯綜以外は正確に記しており、織田信長の重要史料である。

写本は20種以上ある。

これを底本にして、小瀬甫庵の『信長記』や、『総見記』などが書かれた。

太田牛ーは秀吉についても『太閤軍記』を書いたが、現存せず、一部が『たいかうさまくんきのうち』として残っている。

『たいかうさまくんきのうち』は自筆本が現存しており、秀吉の伝記では最古とされる。

太田はもう一つ『太田和泉守記』を書き残している。

これは関ヶ原の戦いを書いたもので、「関ヶ原軍記」ともいう。

これを太田は1610年に池田輝政に献上した。

🔵武功夜話

『武功夜話』は、前野家に伝わる覚書などを集成したもの。

偽書説もあり、資料価値は微妙とされる。

研究者の小和田哲男氏は肯定側である。

前野家文書は、1959年の伊勢湾台風の時に壊れた蔵から見つかったとされている。

前野長康は豊臣秀次事件に連座して自害しており、そのため前野家は人目に触れないよう伝えてきたという。

墨俣一夜城について、他の書にない情報が出ている。

(2025年9月19日に作成)


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