(『何も知らなかった日本人』畠山清行著から抜粋)
(※以下は、1976年8月に出版された本からの抜粋である)
アメリカ連邦議会の「多国籍企業小委員会」でロッキード事件が告発されたのをきっかけに、日本でも1976年2月16日に国会で証人喚問が始まった。
しかし日本人は、『なぜアメリカ政府がロッキード事件を委員会に持ち出したか』という根本問題を忘れている。
かつて日本がGHQに占領されていた時代、GHQのキャノン機関が謀略に明け暮れた。
しかし当時、私がその謀略を語っても、「天皇さえも自由にできるアメリカが、そんな事をするはずがない」と言って、信じない人が多かった。
謀略は、人々が「ありそうもない」と考えることをするのが、常道である。
従って人々に話しても、容易に信じてもらえない。
(※現在進行中のコロナ・ワクチンを人々に射たせる謀略も、同じ状況になっているのが何とも残念である。
コロナ・ワクチンの危険性や、コロナ・ワクチンを勧める者たちの背後にいる謀略家のことを話しても、信じない人が多い。)
かつて私が某週刊誌にキャノン機関の謀略工作を書いた時も、ほとんどの新聞や雑誌は無視するか反論した。
だから、これから書くロッキード事件の真相も、どこまで信じてもらえるか疑問だ。
「ロッキード社、丸紅・児玉(誉士夫)へ黒い資金。政府高官も関係か!」という見出しが、各新聞の一面を飾ったのは、1976年2月5日だった。
アメリカのロッキード・エアクラフト社が、日本に航空機を売り込む際に、児玉誉士夫を仲介に使って、政界や官界に贈賄をしたのが、明らかにされたのである。
(※丸紅は、ロッキード社の日本総代理店だった)
ロッキード社の賄賂を暴露したのは、アメリカ上院の外交委員会で、多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)である。
アメリカのCIAが、「児玉誉士夫を何とかしなければ」と考え始めたのは、ロッキード事件の数年前だった。
それが、「児玉を潰すには脱税容疑しかない」と、具体的なものになったのは1975年で、私も75年夏にCIA系の諜報員から聞いていた。
ロッキード事件はしかし、2ヵ月後にはCIAの狙いと違う方向に進んだ。
1976年4月2日に、アメリカのニューヨークタイムズ紙とニューリパブリック紙が、「児玉とCIAは繋がりがある」「CIAはロッキード社の賄賂工作を知っていた」と報じたのだ。
日本のマスコミは、これに飛びついて、日本でもCIA、児玉誉士夫、ロッキード社の関わりを報じ始めた。
実は、CIAは「もう1つのアメリカ政府」と言える存在だ。
CIAの元は、1942年にルーズベルト大統領が設置した「情報調整局」である。
これが第二次大戦中に、OSS(戦略事務局)とOWI(戦時情報局)に分かれた。
OSSは、第二次大戦中に数々に秘密工作(謀略を含む)を行ったが、それを受け継いだのがCIAである。
CIAは、1948年に国家安全保障会議(NSC)から、特別作戦(謀略工作)の許可を得た。
それでCIAは、組織内に「政策調整部」をつくり、1951年1月には「計画部」もつくった。
そして「計画部」が秘密工作を手がけることになった。
1949年に「中央情報局法(CIA法)」が連邦議会を通過すると、CIAは職員の名前、仕事内容、給料などを秘密にするのが認められ、CIA長官のサイン1つで何百万ドルという大金も使えるようになった。
CIAは、陰謀を仕事にする悪魔的な組織にも見えるが、諜報・謀略機関とはどの国でもそういう性質である。
(※CIAのような組織を地球上から無くすことが、地球人類の進化や前進になる)
話をロッキード事件に戻すが、この事件を告発にもっていったのは、CIAだった。
CIAは、児玉誉士夫ともロッキード社とも親密だった。
もちろん、CIAに聞いても、ロッキード社に聞いても、その関係を否定するだろう。
しかし大企業が外国に進出する場合、自国の諜報機関と関係するのが当たり前である。
そうしないのは戦後の日本くらいで、日本も戦前は半官半民の会社だった南満州鉄道や、軍の出先機関だった昭和通商など、多くが諜報機関とつながっていた。
CIAが自国の兵器会社大手であるロッキード社の取引を知らないなんて、あるはずがない。
CIAとしては、ロッキード事件の情報をある程度までマスコミにリークし、意図した通りに動かそうとした。
ところが計算違いで、マスコミはCIAまで叩き始めた。
彼らは苦笑しただろう。
CIAがロッキード事件を明らかにしたのは、児玉誉士夫を潰すのが本命ではなく、本命は韓国の朴正煕・政権を倒すことだった。
「ロッキード事件(ロッキード社の賄賂)を明らかにすれば、児玉だけでなく、朴政権に肩入れする自民党の大物たちも一挙に葬ることができ、朴政権を退陣に持っていける」と、CIAは考えたのだ。
金大中の誘拐事件、太刀川氏・早川氏の裁判を見れば、朴政権の弾圧政治がよく分かる。
そのような朴政権と、日本政府(自民党政権)や日本企業は深く繋がってきた。
自民党や、韓国に進出した日本企業は、朴政権と一緒になって甘い汁を吸い続けてきた。
腐敗しきった朴政権は今、行き詰っている。
そこで朴政権は、戦争を起こして国民の目を外に転じさせて、ごまかしつつ政権を延命させようと謀っていた。
韓国では、行き詰って国民の支持を失った李承晩・政権が、北朝鮮を挑発して朝鮮戦争を始めて、政権を維持させた過去がある。
アメリカ政府にしてみると、韓国の政情が不安定で、国民がいつ爆発するか分からない状況はまずい。
だが朴政権の高官たちは私欲にのみ走り、救いようがない。
そこでCIAは、韓国で政権交代を望むようになった。
朴政権を倒すには、朴政権と深く結びついている日本の政治家や政商が障害である。
朴政権と結ぶ日本の連中は、韓国への日本政府の経済援助をピンハネして、大金をせしめてきた。
その代表が児玉誉士夫である。
日本政府のした経済援助は巨額なだけに、ピンハネしたカネの額も大きいが、それが日韓の政治家にばら撒かれた。
韓国では、1975~76年にかけて、戦争の準備と見える動きが続いていた。
小学校で軍事教練を始め、女子にまで精神武装と称して尚武の教育を始めた。
高校・大学で軍事教練する学徒護国団もある。
北朝鮮に向かう道路が突貫工事で拡張されているし、76年3月から数度にわたって韓国軍が三十八度線(北朝鮮との国境)で銃を北側に撃ちまくった。
そうした中で、76年3~4月にかけて米韓合同の軍事演習が行われた。
その規模はかつてないものであった。
日本に目を転じると、福島県・白河高原の開発では、韓国外換銀行と日本不動産銀行(旧朝鮮銀行)から、100億円が東亜相互企業(ヤクザの町井久之が社長)に融資された。
その陰に児玉誉士夫や朴正煕・大統領が動いたことも明らかになっている。
なお町井久之は、鄭建永という在日朝鮮人で、元は東声会の会長である。
児玉誉士夫には、朝鮮人だとの噂がある。
彼は、戸籍によると福島県・安達郡本宮町の生まれだが、彼の幼い頃や7歳の頃に死んだという母を知る者は本宮町にいない。
彼が小学校に入ってからようやく、「ひどい貧乏暮らしで父と二人で掘っ建て小屋に住んでいた」と証言する者がいる。
児玉誉士夫は、韓国とビジネスで深くつながっているのに、あまり韓国に行きたがらないため、「何かあるのでは」と勘ぐる者もいる。
この謎は、私にも解けていない。
(朴正煕・大統領のライバルで野党の大物の)金大中が、日本においてKCIA(韓国CIA)に誘拐された時、アメリカCIAは不機嫌だったという。
それは、手際が悪くて、すぐにKCIAの犯行だとバレてしまったからだ。
金大中は1973年8月8日に、東京のホテル・グランド・パレスで梁一東(民主統一党の党首)と会談し、部屋を出たところで襲われた。
KCIAは麻酔剤を嗅がせて弱らせた金大中を、車に乗せて高速道路で大阪に向かった。
そして阪南海岸から船で海上に運んだ。
この手口は、アメリカCIAにそっくりだが、KCIAを創った金錘泌はアメリカのシアトルにある諜報学校の卒業生である。
(※金錘泌は後に首相に就いている)
CIAの日本駐在員の1人は、私にこう話した。
「ロッキード事件が起こると、ある新聞はCIA工作員の名簿を公開したが、本場の工作員は幾人もいなかった。
CIAの工作員(が誰か)を知っているのは、警視庁、内閣、自衛隊の幹部だ。
彼らは困ったことがあると、CIAに相談する。
つまり日本は、CIAの殻の中にいる。
(GHQの占領時代に起きた)下山事件や松川事件では、真犯人を知っていたのは警察の幹部たちだった。
松川事件で関係ない人が(冤罪で)死刑になっても、知らん顔でいられる者が出世するのが今の警察だよ。」
元ニューヨークタイムズ紙の記者であるタッド・シュルツは、こう言っている。
「アメリカの諜報機関(CIA)が、児玉誉士夫に最初に接触したのは、1948年の末で、児玉が(巣鴨プリズンから)釈放された直後だ。
当時のCIAは発足したばかりだったから、GHQの情報部を通じて接触した。
最初に児玉と会ったのは、アメリカ陸軍のストロング将軍だった。
1949年と50年に、CIAが東京に事務所を設けると、児玉たち右翼人との接触を引き継いだ。
CIAと児玉らの接触は、その後も長く続いた。」
CIAと児玉誉士夫ら日本右翼がより強く結びついたは、日米の新安保条約をめぐって世論が沸騰した時だった。
安保条約反対の闘争では、日本共産党に中国共産党から秘密指令が来ていた事が、日本共産党の某幹部を30万円で買収して分かった。
(新安保条約を成立させたい)日本政府(自民党政権)とCIAは、安保反対の運動を潰滅させるために右翼団体と暴力団を使うことにした。
それで1959年に右翼団体を統合してできたのが、「全日本愛国者団体会議」だった。
朴正煕とアメリカとの繋がりは、日本が降伏した1945年に始まる。
日本に占領軍が来ると、東京・上野の闇市を占領軍が取り締まった。
この時に取り締まりが厳しすぎると抗議した韓国人青年団のリーダーが、若き朴正煕だった。
朴正煕の目端が利くのを気に入ったアメリカ軍は、可愛がるようになった。
(※日本に来たアメリカ軍人たちは、軍の支給品を闇市に流してカネを稼ぐ者も多かった。
目端が利くというのは、そういう闇取引を上手く行ったという意味だろう。)
熱海の万平ホテルで行われた、韓国の李承晩・政権を倒すクーデターの相談をした秘密会談の時も、朴正煕は金錘泌などと共にアメリカ側の支持を得た。
これが、その後に朴正煕が大統領に就く基盤になった。
日韓の政治癒着では、児玉誉士夫と岸信介の名が必ず出てくる。
『朝日ジャーナル』1976年6月11日号は、疑獄特集をしたが「日韓につながる地下水脈」として、(町井久之の)東亜相互企業の「秘苑観光」の内幕や、大野伴睦、河野一郎、川島正次郎、岸信介、椎名悦三郎ら自民党議員と韓国の結びつきに児玉誉士夫が絡むことを書いている。
児玉誉士夫や岸信介らは、日韓の借款や輸出入代金の決済で、多額の裏金を生み出してきた。
自民党の塩谷一夫・議員が、『世界』の1976年6月号に「一自民党議員の憂い」と題して、こう書いている。
「(ロッキード事件や日韓の癒着は)今までの国会の答弁のように、検討しますとか考慮します式で逃げきれる問題ではない。
本格的な捜査になれば、日本政府(自民党政権)も韓国の朴政権も防ぎきれない。
『韓国には労働組合は無い』、『韓国には環境庁も無いから、公害で騒がれない』と言って、韓国の低賃金を当て込んで進出した日本企業は、不満をためてきた韓国民衆から総反撃を受けかねない。
韓国も北朝鮮も、愛国心を植え付ける教育をしているから、日本と違って(民衆は)すぐに燃え上がる。」
私のところに、これを書いている今、次の最新情報が入った。
「韓国政府(朴政権)の政策案など重要文書は、韓国の各大臣の手に渡ると同時に、日本の某氏にも届けられ、それが児玉誉士夫や自民党の韓国癒着派に渡される。」
いま、日本の右翼団体などが、児玉誉士夫を除名したりして関係を断ち始めている。
児玉誉士夫のしてきた、愛国者の仮面をかぶった「売国行為」は、万死に値するものだ。
〇村本尚立のコメント
自民党議員や児玉誉士夫と朴政権の癒着は、いま騒がれている「自民党議員と統一教会(世界平和統一家庭連合)の癒着」と同じ臭いがありますね。
私は、安倍晋三の暗殺にはCIAが絡んでいると見ているのですが、ロッキード事件と安倍暗殺には似たものがあるのかもしれません。
統一教会と文鮮明・教祖は、CIAおよびKCIAに育てられたのが明らかになっています。
また文鮮明は、朴政権とも日本の右翼政治家(岸信介など)とも親しかったです。
そして殺された安倍晋三は、岸信介の孫で、統一教会と深くつながり選挙で組織票をもらっていました。
それを考えると、脈々と黒い人脈や利権が受け継がれてきたのだと分かります。
ロッキード事件は、もう1度研究する必要がある事件だと思います。
(2022年12月1~2日に作成)