田中角栄の生涯④
ロッキード事件から引退まで

(以下は『異形の将軍 田中角栄の生涯』津本陽著と
『日本の歴史 第24巻』からの抜粋
2004年7月~8月にノートにとり勉強
2026年7月11日に作成)

🔵ロッキード事件

昭和51年(1976年)2月4日に、米国のロッキード社のコーチャン・副社長が、同社の賄賂についての文書を公表した。

1968年以来、児玉誉士夫などに700万ドル(21億円)を渡し、商社の丸紅に仲介料として320万ドル(9億円)を支払ったと言明した。

昭和47年10月に、全日空が三井物産を通じて米国のダグラス社の航空機10機購入を決定していたが、突然ロッキード社に替えた事件があった。

これについて、小佐野賢治と児玉誉士夫が、日本政府の高官に1000万ドルの現金を賄賂として渡したとの情報が出た。

昭和51年2月9日、防衛次官が「PXLの国産化の白紙還元は、昭和47年10月9日に田中角栄・首相、後藤田正晴、相沢局長の三者協議で決定された」と発表。

2月12日にコーチャンは、通産相だった時の田中角栄とYX計画で会ったと言明。

2月16日、小佐野、全日空社長・若狭らが証人喚問。

2月17日、丸紅会長と社長らも証人喚問。

三木首相は、米国のフォード大統領に協力を求め、「丸紅を通じて賄賂を受けたのは田中角栄である」と発表した。

角栄は、法人税は軽減させる方針を取っていた。
議員立法で役人を操縦し、成長戦略を採りつづけた。

6月22日から7月13日にかけて、丸紅会長らを議院証言法違反などで逮捕した。

7月27日に田中角栄と秘書官が、外国替為及び貿易管理法への違反で逮捕された。

自民党のあらゆる派閥が、逮捕された角栄が何をしゃべるのかに注目した。皆が角栄から金をもらっていたからである。

8月2日、角栄の運転手だった笠原が、事情聴取の後に行方不明になり、山中で遺体で見つかった。

角栄の子分の竹下登は、田中政権が作った自動車重量税、住宅都市整備公団、鉄建公団を通じての資金を、運用する役割を担っていた。

昭和58年(1983年)10月12日、田中角栄に5億円収賄の有罪判決が出る。

懲役4年、追徴金5億円の実刑判決だったが、角栄はすぐに保釈金を払って出獄した。

有罪判決後も地元ではまだ角栄は人気があり、同年12月の衆院選挙でトップ当選した。

この選挙で自民党は敗北(250議席)したため、翌1984年の9月に鈴木・元首相は福田赳夫、三木武夫、河本敏夫に対し、田中派の二階堂進を首相にするよう工作した。
公明党の竹入、民社党の佐々木も同調したが、田中角栄の反対で失敗に終わった。

🔵竹下登の独立(経世会の結成)、角栄の死去まで

ロッキード事件の捜査は、角栄がロッキード社製の航空機を買うよう運輸大臣と全日空に働きかけたという話だったが、その証拠が出てこなかった。

5億円を四回にわけて渡したとされたが、場所と日時が特定されなかった。

角栄の逮捕当時に91人だった田中派を、角栄はその後140人にまで増やした。

福田、大平、鈴木、中貧根の政権で、角栄は闇将軍として政治を牛耳った。

昭和60年(1985年)2月、田中派の竹下登は田中角栄に「勉強会を作りたい」と言い、 許された。
そこで2月7日に竹下らは、創政会を結成した。

当時、田中派は自民党内の最大派閥なのに総裁候補が存在しないため首相を出せず、田中派内部で角栄以外のリーダーが求められていた。

田中の政治支配に対して、国民の政治不信も高まっていた。

田中角栄は創政会の結成に激怒したが、2月27日に脳梗塞で倒れて、入院した。66歳だった。

4月28日に角栄は、目白の自宅に帰った。

昭和61年(1986年)7月7日に衆院選挙があり、角栄は全く選挙活動をしなかったが当選した。

昭和62年5月15日、角栄は自民党・総裁選で二階堂を支持すると決定。

7月4日、竹下登たちは二階堂グループとの分離を明確にし、経世会を結成した。
竹下たちは田中派から正式に離れ、竹下派が所属113人で誕生した。

7月29日、角栄の第二審の判決が出た。一番と同じ判決だった。

10月7日、勝つ見込みないので、二階堂は総裁選への出馬を取りやめた。

10月7日、総裁選に宮沢、安倍、竹下が立候補を表明。

10月19日、中曽根・首相の裁定で、竹下が次の総裁に指名された。(※結局、この時は総裁選は行われなかった)

昭和63年(1988年)6月に、リクルート事件が発覚した。
リクルート社から関連会社の株式上場前に株式供与を賄賂としてもらった政治家がいると分かった。

捜査の中で竹下首相の関与も明らかになり、翌1989年の6月に竹下内閣は総辞職した。
宇野が首相になったが、すぐに女性スキャンダルが浮上して退陣となった。

平成元年(1989年)10月14日、田中角栄は政界引退を表明した。

平成5年(1993年)7月18日に衆院選挙があり、娘の真紀子が初当選した。
なお真紀子の夫である田中直紀も当選し、議員に返り咲いた。

平成5年12月16日に田中角栄は死去。75歳だった。


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