芸人の話(以下は『週刊文春 2025年10月23月号』から抜粋
2026年4月19日に作成)
🔵萩本欽一の話
僕が浅草の東洋劇場に入って芸人になってから2年経った頃、ちょうど20歳の頃だが、支配人からこう言われた。
「欽坊、次はフランス座に行きな。これは栄転だぞ。」
フランス座は東洋劇場の上階にあり、ストリップとコントを出し物にしていた。
東洋劇場の出し物は軽演劇だった。
僕はフランス座で、後にコント55号を結成する坂上二郎さんと初めてコンビを組んだ。
ところがこの時は、コンビが全く上手くいかなかった。
僕らは負けん気が強く、お互いに張り合ってしまってね。
「自分がウケて終わりたい」と2人共に思っているから、アドリブがいつまでも続いて泥試合になってしまったんだ。
劇場支配人も怒っちゃって、「お前らいいかげんにしろ!」と何度も怒鳴られたよ。
でもこの時の経験は、後に台本も打ち合わせもないコント55号のスタイルにつながった。
坂上さんとの最初のコンビは散々で、あっという間に解散になってしまった。
僕はフランス座を逃げ出して、することがないから雀荘に入り浸るようになってしまった。
コメディアンの世界から離れかかっていた僕を引き戻してくれたのが、後に奥さんになるスミちゃんだった。
当時のスミちゃんは恋人とも友達とも違う不思議な存在で、僕のアパートの家賃も何故か払ってくれていた。
ある日、雀荘から帰ってきた僕を見て、スミちゃんはポツリと言ったんだ。
「欽ちゃん、もったいないよ。麻雀はいつでもできるんだから。
応援してあげるから、自分の行きたい道に真っ直ぐ向かった方がいいんじゃないの?」
その言葉はずしんと胸に響いた。
僕は自分の劇団を持ちたい、という夢を持っていた。
でも坂上二郎さんと上手くいかず、その夢をあきらめかけていた。
スミちゃんの「もったいないよ」という言葉を聞いて、夢がもう一度胸の中から引っ張り出されたような気持ちになった。
「うん、劇団をやる」と思わずスミちゃんに言っていた。
僕は浅草新喜劇という劇団を立ち上げ、3年間お世話になった東洋劇場から独立した。
スミちゃんのあの一言が、僕の生き方や進んでいく道を変えたんだ。