タイトル池波正太郎の話①(戦前のこと、日本映画)

(以下は『池波正太郎のフィルム人生』から抜粋
この本は昭和51年、57~58年に池波が語ったものを収録している)

🔵戦前の世相や物価

僕らの子供時代は、映画といえば浅草で、立派な映画館がいくつもあった。

でも日本の映画館は、もともと芝居の形になぞらえて作ったから、映画を見やすい所が少ない。

戦前は娯楽が少ないから、映画館はいつでも満員だった。

僕らが子供の頃は、もう椅子席にはなっていたが、二流の映画館だと椅子は1人1人が別ではなくベンチだった。

二流館は、各町内にあったし、どこも二本立てで、夜8時からは割引になった。

料金は子供は10銭で、封切館は大人が50銭で子供は20~30銭だった。一等席は1円だった。

当時の映画館はのぼりを一杯に立てており、芝居の飾りつけの影響でしょう。

しかし芝居ののぼりは1本ずつ違う役者のものだし、デザインも江戸時代から続く洗練されたもの。

映画館は同じのぼりを20本も並べて汚らしかった。
まったく無駄な経費で、ちっとも効果はない。どうしてあんな馬鹿なことをしたのか。

当時の映画館は、夏は冷房なんてないから大変だった。

盆とか暮れには、「ごあいさつ」といって俳優が映画館に顔を見せにきた。
テレビのない時代だから、みんなつめかけたものだ。

僕は子供の頃から映画狂だった。

金持ちの家に生まれたから、小遣いがあった。ひもじい思いなんか一度もしたことがない。

毎日、母にねだって2銭のお小遣いをもらった。当時は駄菓子は1つが5厘だった。

でも僕は毎日たらふくご飯を食べていたから、駄菓子なんて買わない。
お小遣は全部ためて、デパートに行ってステーキを食う、映画を見る、芝居を見るのに使った。

当時は市電が14銭で、乗り換えは7銭でどこまでも乗れた。

70銭あれば、親父が酒2本を飲んでカツライスを食べて、子供はオムライス、それでキャラメルの1つも買っても、十分に間に合った。

ついでに言うと、歌舞伎座に行って3階の後ろ席が50銭。その前だと80銭。
もっと良い席だと1円20銭、2円50銭となって、一等席は5円だった。

これは普通の興行の料金で、顔見世興行のような特別ものは一等席が7~8円だった。

そんなに悪くない宿屋に泊まって1円50銭、山中の温泉宿なら70銭だった。

帝国ホテルの定食が3~5円だ。

当時は本が高くて、オール讀物のような雑誌が50銭。

大衆向きの娯楽雑誌である講談倶楽部やキングが売れたけど、文学の本は売れなかった。

単行本で1万部出たら大流行作家で、印税で家が建った。

単行本が一冊1円50銭で、印税が1割ならば1万部売れたら1500円になる。
それだけあれば家が建った。

税金は今のようにとられないから、売れた作家は非常に良かった。

当時は本の価格が高かった。封切り映画のチケットが50銭の時に、単行本が1円50銭でしょう。

小説はよくないものと思われていた。

うちの母なんか本好きで、しょっちゅうおじいさんに怒られたらしい。

小説ばかり読んでいると、悪いことでもおぼえると心配されたわけだ。

小説家なんて人間のクズみたいに思われていた。

カフェーは町内に1つはあり、日本髪の女将がいて、料理も酒も注文できた。女給もほとんどは和服だった。

当時は夜になると、いなり寿司や支那そばを売りに来た。物売りの声が町にあった。

他にも金魚屋、苗売り、薬屋、豆腐屋、煮豆屋も売りに来て、東京の風物だった。

大学生は数が少なくて、本当のエリートだった。
値打ちがあったんだよ、大学生に。

何かあれば大人たちが大学生に相談するぐらいだった。

当時のタクシーは、料金メーターなんかない。
1円均一で東京市内のどこでも行くから、「円タク」と呼ばれた。でも値切ることができた。

50銭あれば、東京の旧市内は行けた。横浜まで3円だったよ。

交渉できるから、帰りの車だったら半額でよかったと思う。近い所なら30銭だ。

でも身分不相応だから、近所に行く時は乗らなかった。

🔵映画「夜ごとの夢」の評論

主演の栗島すみ子は、映画から出た最初の大女優だ。
その前の水谷八重子なんかは、舞台女優だ。

初期は時代劇ばかりだった日本映画は、松竹ができてから現代ものも作られて、そこで初めてスター女優が登場した。
時代劇では中心は常に男だからね。

女給のようなさげすみの眼で見られる職業を演じても、栗島だと品格がある。

労働者でも娼婦でも演じると品格があるという役者が、本当のスターだった。

やっぱり映画だから、美への昇華がなくては誰も見ない。美しい嘘でいいわけだよ。

ただし「夜ごとの夢」は、庶民の生活ぶりはきちんと再現している。
ただ美しい嘘を積み重ねただけでは、感動はない。

監督の成瀬巳喜男は、汚ないアパートのシーンでもきれいに撮っている。

ゴミゴミした下町にもある美を、見事に切り出して見せて、詩情がある。

栗島すみ子は、かつらではなく地髪(じげ)だ。
だからイライラして自分の髪をすくところでも微妙な美が出せる。かつらじゃ、ああはいかない。

当時の映画が今の映画と違うのは、チームワークだろう。
役者の呼吸がぴたりと合っている。

1つの劇団が映画を撮っているようなものだ。だから独特のカラーとか味わいが出る。

その代わりに、スター役者が他の会社の作品に出演するのは大変だった。

他社の役者と交流するなんて考えられない。長谷川一夫が顔を切られた事件も、原因はそれでしょう。

🔵映画「霧笛」の評論

「霧笛」を作ったのは、村田実という尖鋭(せんえい)な感覚の監督。この人は失敗作が多い。

霧笛は、なんといっても大佛次郎さんの原作が良かった。
この原作は、脚色して歌舞伎や新国劇でも上演したことがある。

映画化は、格下会社の新キネマがやったから、金をかけていない。

これは無声映画だから、弁士の解説つきで上演する。
弁士が下手だと、どうにもならない。

開港当時の横浜の雰囲気を、金もないのに、よくあそこまで出したものだ。みんなセットだからねえ。

主演は大スターだった中野英治だが、この人は同じくスターだった英百合子と結婚したんだよ。
それでスター同士の結婚、いや同棲かな、で話題になった。

サイレント映画で活躍した人が、トーキーになってずい分消えていった。
声のよくない役者じゃ通用しなくなったわけだ。

阪妻もトーキーになってから、ものすごい発声練習をした。

フィルム・ライブラリーとして、こういう昔の映画を見られる。
しかしほとんどは散失してしまった。

日本人は作ったものを取っておくことが昔から出来ない。
だから貴重なものが無くなってしまう。

あとは戦時中に、日本軍が根こそぎ映画フィルムを微発してしまったそうだ。
なんでもフィルムには銀が使ってあって、それを取るためだったという。
言語道断な話だ。

🔵映画「人情紙風船」の評論

山中貞雄・監督の遺作だ。
山中は23歳ぐらいでもう監督作品を作り、嵐寛寿郎のプロダクションに入って長谷川伸が原作の「抱寝の長脇差」を映画にし、天才とうたわれた。

無声映画からトーキーへ移る時、皆が苦労したが、山中はスムーズにトーキーでも第一線の監督になった。

山中はこれから本当の作品を作るという時に、戦争に徴兵され28歳くらいで死んでしまった。

日本映画は、外国映画の模倣で育ってきた一面があるわけだが、模倣の上手さで山中はズバぬけていた。

「人情風船紙」を見ると、カメラを振り回さずに、正統的に演出している。

それで画面が水が流れるごとくスムーズに流れて行く。

最後の所で果たし合いになっても、新三が殺されるのは暗示するだけだ。
人が斬り刻まれて殺されるようなのは、山中は見せない。

嵐寛寿郎が主役の「鞍馬天狗」を撮ったときも、鞍馬天狗が何十人もの追手に囲まれると、にらみ合ったところでカメラを絞ってしまう。

それで明るくなったらバタバタと追手が倒れているわけだ。それが山中の演出感覚。

だから物足りなさも感じるが、文法の確かさは抜群だ。

あとは季節感がよく出ている。

物売り、雨の音、夏の日ざしとか、見事に使っている。

今の時代物やテレビドラマには、季節感が無くなってしまった。

昔は季節に世の中が敏感だった。

「人情紙風船」は、前進座の役者たちが出演し、得意の世話物を演じたから、あれだけのボリュームが出た。

当時の前進座は、新国劇と共に大変なものだった。そのベストメンバーが劇団ぐるみで出演したんだ。

「戦国群盗伝」も同じだったのだが、あれは監督の滝沢英輔が前進座の役者たちを生かせなかった。

山中は役者のリラックスさせたところを撮る。
演技指導で叩き上げて撮る人ではない。

そういうわけで非常に都会的な、しゃれたセンスの時代劇となり、みんなを驚かせた。

だけど話の筋は無理がある。質屋の娘が、家老の息子に嫁入りするのは無茶苦茶だ。

山中の作品で、一番好きなのは「森の石松」だな。

暗い悲惨な話でね。
石松がだまし討ちにあって殺される所なんかすごかった。
本当にヤクザの汚ない所ばかり描いていた。

「人情紙風船」で見逃せないのは、セットがよく出来ていること。

ここで見られる裏長屋は、関東大震災で大部分が焼失した。
焼け残りが麻布の谷間なんかにあった。なめくじ長屋などと言われる所が。

浅草や本所は、長屋が関東大震災で焼けて無くなった。それできれいな街になった。

大東亜戦争でも同じで、焼けた所はきれいになるが、古いものはなくなってしまう。

この映画は、河竹黙阿弥の書いた「髪結新三」という芝居を土台にしているが、話を変えている。

芝居では、新三が質屋の娘をさらうのは金ずくだ。
だが映画では意地だけでさらう。

映画では迫力が薄くなっている代わりに、スマートさがある。

元々の芝居では、新三がさらってきた娘を犯し、その上で何食わぬ顔で身代金をとって返す。

さらって犯した女を戸棚の中に押し込んでおいて、示談が成立したら戸棚から出して返すわけだ。

女を返す時、新三は柱に寄りかかって立って眺めている。懐手してね。
その時に自分の股間の一物を握っているのが秘伝だという。

客には見えないけど、それによって客に前の晩に何があったか感じさせるわけだ。

(2025年9月27日に作成)


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