本日に、YouTubeの私のチャンネル『村本尚立のMusic Room』に、自作曲「二人のかよ」の演奏を投稿しました。
これまでの投稿は、全て他人の曲を自分流にアレンジしたものでしたが、チャンネル設立の当初から自作曲も発表する予定でした。
なのでこれからも、4~5曲に1回は自作曲を取り上げようと思ってます。
曲のアイディア自体は5つくらいストックがあるので、いつでも行けるのですが、取り上げたい曲がかなりあるので、自作曲は徐々に発表します。
「二人のかよ」はこちらで再生できます。
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ここからは「二人のかよ」の説明に入ります。
まず曲の構造なんですが、12小節のブルース進行を元にしていますが、後半部分のコード進行は大胆に変えてます。
まあでもブルースのイメージをもって、最初から最後まで演奏してます。
結果的に、ジャズの軽やかさがありつつも、ファンキーなギター演奏になりました。
リズムもかなり凝っているのですが、聴けば分かると思うので、詳細は割愛します。
今回、私が音楽制作に使っているスタジオワン5の操作にかなり熟達してきた結果、打ち込みで作ったドラムなどの演奏もかなりスウィングしてます。
なので、私のギターと噛み合うリズムをバックのドラム等が出しており、無理なく自然に聴いていけるものに仕上がりました。
その点にはおおいに満足してます。
今回は、初めて管楽器を取り入れて、トランペットを登場させました。
テーマの所で、ギターとユニゾンで参加させたのですが、メロディに厚みが出て、ライブ感やジャズ感が出ました。
スタジオワンに付属のトランペット音源で、単独で聴くと物足りない音色やニュアンスなのですが、ギターと一緒なので気になりませんね。
作成を始めた段階では、トランペットやピアノにもソロを取らせて、ギターとドラムのソロ交換も入れたいと考えてました。
しかし今かなり忙しくて、ギター以外のソロを入れる余裕がありませんでした。
制作してみて、「二人のかよ」が良い曲だと、完成形として確認できたし、そのうち再演してギター以外のソロも入れたヴァージョンを作りたいと思います。
「二人のかよ」は、私が23歳の時に作った曲です。
当時はジャズを本格的に勉強し始めた頃で、ジャズを学ぶとまず12小節のブルース曲をやるので、私もチャーリー・パーカーのブルース曲をコピーしたりしました。
それで、ギターで色々と自分でフレーズを考えた結果、「二人のかよ」のメロディが出てきました。
その時にタブ譜に書いておいたのですが、今回探してみたところ、見つかりませんでした。
作った当時はコードの知識が少なかったので、うまくメロディにコードを当てられなかったんですよね。
私は23歳の頃は、地球人の行いや日本人の行いを見て、絶望していました。
核兵器がもの凄く危険で人類を滅ぼせるほどの破壊力があるのに、それを許容している人々。
腐敗しきった自民党の政治を支持する者がかなりいて、自民党の政権が続き、いつまでも日本の政治に前進がなく、救いがない状況。
それを政治の安定と呼ぶ、惰性で生きる日本の人々やメディアや評論家。
学歴という、よく考えたら何の役にも立たない権威に、ひれ伏す日本の庶民たち。
こういうのを見ていて、心底からうんざりしてました。
生き続けるのが苦痛でした。
そういう心境の下で作曲したので、「二人のかよ」はヒステリックな、悲しみを強く押し出しつつ熱狂的な叫びをする、狂的な曲だったのです。
人生の苦悩をエレキ・ギターで激しく叫ぶ、そういう曲でした。
私の頭にはそのサウンドが鳴ってました。
ギターはやや歪ませた音色にし、アンプを通したでかい音で、ソリッド・ギターでギャインギャインとチョーキングも入れつつ弾くイメージでした。
私の中では「二人のかよ」とはそういう曲だったのですが、それから20年以上も経ち、私の心境も大きく変わってます。
で、上述のとおり当時のタブ譜が見つからなかったのもあって、記憶を頼りにメロディを再構築し、そのメロディにコードを当てたところ、かなり異なる雰囲気になりました。
かつては適切なコードを当てられなかった部分も、今回はきっちりコードを当てられ、完成度の高いものになりましたが、元々の曲とは別物かもしれません。
作ってみて、かつて頭に鳴っていたものとえらく違うので、自分でもやや驚きました。
この曲のメロディが凄く好きなので、ずっと忘れずに、たまに口ずさんできたから、大きく変わったはずはないのです。
しかしメロディにコードを当てて、ドラムやベースを現在の好みで加えたところ、気付いたら明るい調子の普通のジャズ曲になってました。
完成したところ、悲しみや哀感はぜんぜん無いです。
「良い曲に仕上がったが、あまりに最初のイメージと違うな…」と思うのも事実ですね。
ちなみに曲名を「二人のかよ」にしたのは、私の知っている二人の「かよさん」に曲を捧げたからです。
私は曲を作る時、誰かをイメージしたり、何か情景を浮かべたりは、いっさいしません。
作っている時は、無心の状態で行い、音符のことしか考えません。
結果的に、完成した曲にはタイトルはなく、付けるのにいつも困るんですよね。
ぶっちゃけた話、タイトルは何でも良かったのです。
当時、私が接した人の中で、ある二人が印象に残ってました。
その二人の女性は、大人の年齢に到達しているのに、自分のことを「かよ」とか「かよちゃん」と呼んでいたからです。
小さい女の子が、自分のことを「さっちゃん」とか呼ぶのは、たまにあります。
しかし、大人になってからもそれを継続する人は、まあ居ません。
その稀なことを、二人も「かよさん」がしていたので、心に残ったのです。
大人になると、色んな事で周りの目が気になります。
なぜなら、周りを気にするよう、社会や大人が仕向けてきます。
常識に縛られたバカな連中が、「大人なのにまだ、そんな事をしているのか!」とか「まるで子供だな(軽蔑の目)」みたいな態度を取り、人々を矯正して枠にはめようとします。
残念な事に、そういう連中のほうが多数派であり、出世して力を持っていたりもします。
そんなわけで、大人になってからも自分で自分を「かよ」と呼んで、全然良いと思うのですが、そんな人はほぼ居ません。
周りの目を気にして、言動を自粛し、気付いたら個性を喪失しているのです。
そんな息苦しい日本社会において、大人になってからも自分の事を「かよ」と平然と呼ぶ女が、二人もいる。
その事に私は感銘を受けました。
「この二人は自分の信念を貫いている。きっとバカにされた事が何度もあるだろうが、それでも曲げずに自分を貫いている。あっぱれな人だ。凄いぞ。君は!」と思いました。
この敬意の気持ちを、自作曲のタイトルにすることで、表したのです。
なお、二人のかよさんは、一人は一般人ですが、もう一人は女優の白石加代子さんです。
加代子さんの夫が、私の祖母・慶子の教え子だった関係から、私は加代子さんと知り合いになりました。
知っている人は、当然のように知っているでしょうが、白石加代子は日本を代表する舞台俳優の一人で、世界レベルの女優です。
本当に凄い人で、私も尊敬してますが、彼女に会ったところ、自分のことを「かよちゃん」と呼んでました。
芸術家タイプの人は、常識にとらわれない人が多いのですが、彼女もそうらしくて、たぶん何度も周りから変な目で見られたと思うのですが、直さずに「かよちゃん」と呼んでました。
「なるほど、やはり天才は違う」と思いましたね。
まあそんなわけで、自作曲「二人のかよ」をYouTubeに発表しました。
出来には満足してますが、上述しましたが、納得のいってない部分もあるので、再演を検討したいと思います。
取り上げたい曲は沢山あるので、いつになるかは分かりませんが。
(以下は2022年6月29日に追記)
今回の「二人のかよ」は、いくつかの工夫をした結果、今までよりも高音質でWAVファイルに書き出すことに成功しました。
WAVファイルの状態で聴いてところ、意図通りの音になっているので、「これならいける!」と思いつつ、処理をしてYouTubeに投稿しました。
そうしたところ、YouTubeによって音量を69%まで下げられてしまい(31%も下げられてしまい)、演奏の活気という大事な部分がかなり減退しました。
努力を重ねた結果、WAVファイルまでは狙い通りの音に仕上げられましたが、最終段階のYouTubeへのアップロードでつまづきました。
そこも何とか改善しなければなりません。