7日のM7.4の地震を体験して、もう一度脱原発に目覚めました
(2012.12.11.)

今月の7日に(4日前に)、久しぶりに大きな地震がありました。

その時に、東日本大震災の時の記憶が、かなり蘇りました。
そして、「脱原発こそが、人類を幸福・平和にする道だ」と、当時に確信した事も思い出しました。

そういった思い出した事などを、今回は書きます。

7日の地震は、私の住む小田原でもかなり揺れました。
横揺れが大きかったのが印象的で、揺れ方が東日本大地震の時に似ていたと思います。

すぐにテレビで情報をチェックしましたが、メディアと震源近くの自治体が、津波をすごく警戒していたのが、目に付きました。

東日本大地震の経験を踏まえた、慎重を期した対応なのが感じられて、「すごく良い事だし、しっかりと経験を活かしているな」と感心しましたよ。

メディアの方は、「津波は、予想よりも大きくなる事があります。命を最優先に行動して下さい。」と訴えていました。

すばらしい声のかけ方だと思いました。避難しておいて損をする事は何もないですからね。
何もなかったとしても、よい避難訓練になりますよ。

『命を最優先に、行動して下さい』という言葉を聞いているうちに、何だか『原発問題』について言われているような、不思議な気持ちになりました。

私にとっては、福島の原発事故が命を脅かしている状況に、もう一度目覚めるきっかけになりました。

『命を最優先に』という言葉は、政治などでもよく使われるフレーズです。
誰もが共感する言葉だからです。

この言葉を真剣に考えると、必然的に脱原発になります。
それは、原発事故を経験した日本人なら誰でも実感していると思います。

今回の衆院選では、『いつ原発をやめるか』が争点の一つになっています。

私は、どの党に入れるかで迷っていたのですが、今回の地震を経験して、「やっぱり脱原発は一刻も早く実現させなければならない。早期の脱原発を打ち出している党に入れよう」と決心しました。

これにより、今まで候補の一つにしていた民主党は、候補から外しました。

今回の地震の報道を見ていたら、東日本大震災の記憶が次々に蘇ってきました。

記憶を思い出しながら、「こんなに様々な事があったんだな」と改めて思いました。

思い出した事を列記してみると、

『とんでもない津波が押し寄せてきたこと。それをテレビでもろに見て、衝撃を受けたこと』

『死者・行方不明者が大勢出たこと』

『被災地になかなか救援が行けず、やきもきしたこと』

『原発の危機が報道されて、日本は終わるのか?とすら思ったこと』

『テレビに出る原発の専門家と称する人たちが、インチキ臭く、知識が無かったこと』

『専門家たちは原発は安全だと言っていたが、大事故が起きたこと』

『大事故が起きたのが判明したら、事故は起きないと主張していた専門家たちが、一斉にメディアから消えたこと』

『計画停電が発令されたこと』 『その後の節電の日々』

『原発の爆発が起きているのに、政治家や専門家は右往左往するばかりで、日本は本当に終わるかもと思ったこと』

『外国人の方が日本を脱出し始めて、やがて日本人も脱出する日が来るのかもな、と思ったこと』

『みんなが右往左往して場当たりな対応しか出来ていないのに、奇跡的に原発が安定し始めたこと』

『その後に放射能の問題が出てきて、日本の食がやばいという話になったが、政府は安全基準を大幅に緩和・変更して、うやむやに誤魔化したこと』

上記した事は、「忘れないようにしなければいけない」と気を付けていたのですが、7割方を忘れていました。
今回の地震で思い出せて、良かったです。

神との対話では、『記憶は、魂に感情というかたちで残される』と書いてあります。

今回、次々と連鎖的に思い出したのですが、確かに自分の記憶を分析すると、感情とセットになっていましたね。


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