つい先日に、国会議員の山本太郎さんが、園遊会にて明仁さん(平成天皇)に手紙を手渡して、それが国会で問題視されています。
私は、この件については、『何の問題もない。なぜ問題視されるのか、さっぱり分からない』と感じています。
多くの方には、私の意見はすぐには理解しづらいと思うので、詳しく説明いたします。
まず思うのは、『園遊会』というものは、「友好をはかる場だ」という事です。
「ある場所で集まって、談笑したり飲食したりする」のが、園遊会というものです。
この園遊会は、明仁さんの主催です。
ですから、園遊会で明仁さんが会う人々は、人選に明仁さんの気持ちがどう反映されているのか知りませんが、名目上は『明仁さんが会いたかった人』なわけです。
『自分が会いたい人、もしくは会うのを許可した人』とならば、その人と仲良くするのは自然だし、手紙を受け取る事だって自然です。
考えてみて下さい。
自分が会食を主催して、そこに来てくれた人から手紙をもらったら、嬉しいものではありませんか。
親睦をはかるために明仁さんが呼んだのに、「今日は、お元気ですか」だけ終わったら、そっちの方がおかしいですよ。
私は、今までのあまりに形式的な園遊会にこそ、問題があったと思います。
手紙を渡した前例が無かったために、国会議員たちも対応に困っているようですが、「これからは、手紙は全面的にOK」にすればいいです。
私が思うに、明仁さんだって、色んな人から手紙をもらったら嬉しいと思いますよ。
同じ人間なんですから。
手紙だけではなく、メールアドレスの交換だって、2人が合意すればぜんぜんOKです。
それが、現代の自然な人間関係ですよ。
考えてみると、明仁さんは携帯電話やスマートフォンを持っているのですかね?
持っていなかったら、逆に問題であり、差別なのではないですか。
重要なのは、『手紙を受け取る自由も、受け取った手紙を読むか読まないかを選択する自由も、本人にある』という事です。
それを他人があれこれ言うこと自体が、変だと思います。
私は、受け取った手紙を明仁さんが自分で考えた上で読まないのも、OKだと思いますよ。
私だって、そうする時はあります。
まあ、興味の無いダイレクトメールの話ですが。
手紙を読まない自由も、人間にはあります。
実は、今回の山本さんのミスは、ぜんぜん別の所にあると思います。
それは、『脱原発を進める活動の一環として、天皇にアクセスしたこと』です。
『そんな事をしても日本には影響はない。
それよりも、一般の人々にもっとアクセスしなさい。
なぜそんな事も分からないのか。』
と、私は強く感じました。
率直に言って、今の日本は民主主義が機能しているし、大衆にアクセスして人々の意識や価値観を変えられれば、すべてを変えられます。
山本さんのやろうとした事は、あまりに古すぎですよ。
戦前の思考です。
私も脱原発派だし、日本全国には脱原発派がたくさん居ます。
そういう人と、山本さんは連携していけばいいんですよ。
最近は、小泉元首相も、脱原発派として行動していますね。
実際に、そういう人がたくさん居るから、今も原発がすべて停止しているのです。
「天皇の権威を使おうとした」と、山本さんは非難されていますが、それは自民党や政府もしょっちゅう行っていると思います。
政府主催の行事に天皇が出るのは、権威を利用していると見る事もできます。
私は、手紙を渡す事が、ただちに天皇の権威を利用する事にはならないと思います。
1通の手紙をもらったからと言って、明仁さんがいきなり「脱原発を100%支持します」とは、ならないでしょう。
人間は、様々な情報を総合的に考えていき、少しづつ変化していくものです。
明仁さんや、妻の美智子さんらは、被災地にも行っているし、福島原発についてもかなり知っているのではないでしょうか。
めちゃくちゃ報道されてきていますしね。
色々と思っている事はあっても、発言すれば政治的な行為になるので、控えているのでしょう。
とても大人な、理性的な行動だと思います。