オリンピック・エンブレムの撤回事件について
芸術について
(2015.10.6.)

1ヵ月くらい前の事でしたか。
2020東京オリンピックのエンブレムとして決定した佐野研二郎氏のデザインに、盗作の疑惑が生まれて大騒動となりました。

佐野氏の過去のデザインを調査したところ、次々と盗作疑惑が発覚しました。
トートバッグのデザインについては、完全なパクリだったために誤魔化しも通用せず、佐野氏は認めるしかありませんでした。

オリンピック・エンブレムは、訴えられる可能性が高まったり、人々の批判が高まったために、採用が撤回された。

新たに公募されて、厳正な審査の下で選ばれる予定です。

1週間ほど前には、『佐野氏のデザインを選んだ審査は、やらせだったこと』も判明しましたね。

最初から候補は、少数に絞られていました。

このエンブレム選定の過程は、真っ黒でございます。

話は戻りますが、私は佐野氏のエンブレムが公表された時、見た瞬間に「ひどいデザインだな。色使いが汚いし、バランスが悪い。」と思いました。

「こんなのを選ぶなんて、どれだけセンスが無いんだよ」と呆れましたよ。

その翌日に、過去に佐野氏がデザインした作品(代表作)をニュースで見て、そのひどさに愕然とし、「彼にはそもそも才能がない。作品の酷さは、今回に限らないのか。」と気付きました。

そんな佐野氏ですが、過去には数々のデザイン賞を受賞しているとの事。

その事実を知った時、「ああ、なるほど。センスが無いのは、デザイン業界全体に言えるのか。」とさらなる気付きをしました。

『オリンピック・エンブレムがパクリだったかどうか』は、見解が分かれている。

私は、パクリだったと思う。

佐野氏は色々と弁解をしているが、パクリだと思う。

ぶっちゃけた話、彼の作品のほとんどがパクリだと思う。

この騒動では、デザイナーを職業にする方から、こんな意見があった。

「こうした作品は、大抵は他作品と似た部分がある。

 誰かの作品と似た部分があるのを問題視したら、ほとんどの作品はパクリになって
 しまう。」

この意見は、一理ある。

私自身が創作に携わっているから分かりますが、創作活動というものはオリジナリティを重視した場合でも、50%くらいは他人の作品から影響を受けています。

どんなに偉大な作品も、完全なオリジナルである事は不可能です。

この事は、創作や芸術に関わる人ならば、理解してくれると思う。

時には、90%くらいを他人の作品に依っている場合もある。

音楽のカバー曲なんて、その代表例です。

ここからは、しばらく芸術論になります。

私は、様々な芸術作品に接し、芸術家の伝記も読んできました。

その知識から言えるのは、『どれほど偉大な芸術家でも、先人の作品から強く影響を受けている。むしろ凄い芸術家ほど、過去の作品を研究しているし、そこから良い部分を盗んでいる。』です。

あまり芸術に興味や知識のない人は、「アーティストは自作品の1から10まで、自らのアイディアで生み出している」と考えがちですが、そんな事はないです。

芸術作品はどれも、誰かの作品や、どこかの存在(恋人や憧れの人)からインスピレーション(影響)を受けている。

一例を挙げると、超有名な画家であるゴッホは、日本の浮世絵に憧れて、モロにそれを真似た(自分なりに模写した)作品を残しています。

勉強熱心なアーティストは皆、憧れる人の作品を研究したり真似しています。
すると、そうした中で、他作品と似てくる時はどうしても出てくる。

凄く正直に言うと、芸術や芸能の世界では、真似をしたり盗んだりするのは、別に悪ではない。

ここまで読んだ人は、「じゃあ、佐野のやった事は許されるのか。あなたは、彼の作品のほとんどはパクリだと言ったじゃないか」と思うでしょう。

ええ、佐野氏の行いは、パクリです。

なぜそう思うのか。ゴッホと佐野の違いは何なのか。

実は、偉大な芸術家の凄さは、オリジナリティに溢れているからではない。

彼らの凄みは、作品を練り上げて、圧倒的な説得力のあるものに仕上げている事なのです。

歴史に残るような傑作には、「~の影響下にある」と明確に分かるものも多いです。

だが、そんな事は関係ないと思えるだけの、圧倒的な美や力がある。

率直に言って、もし佐野氏のデザインしたエンブレムが、めちゃくちゃかっこ良かったり、美しかったりしたら、似ている作品が見つかっても文句は出ないです。

元ネタにされた作家も、「すげえ……。俺のアイディアを、こんなに高レベルの作品に仕上げる奴がいるとは。これは口は出せねえ。」となります。

これが、芸術の世界のルールなのです。

「自分のアイディアをパクられても、その作品が凄いものに仕上がっていたら納得して引き下がる」、そういう暗黙のルールがあります。

このルールを守れない(尊重できない)人は、一流のアーティストにはなれない。

これが芸術界の真実です。

芸術の世界では、オリジナルかパクリかは、線引きが難しい。

だから、「かっこ良いかどうか」や「美しいかどうか」が、基準になっているのです。

話をまとめると、佐野氏の罪(彼の問題点)は、『芸術の才能がないこと』と『芸術に真摯に
取り組んでいないこと』です。

彼の作品はダサいし、元ネタよりも質が落ちるため、パクリなのです。

究極的な事を言うと、パクったことはあまり重要ではない。
海外の作品をパクっている奴など、幾らでもいるからです。

「駄作なのにオリンピックのエンブレムに採用されてしまったこと」「才能がないのに(才能を磨いていないのに)評価され、調子に乗っていたこと」、これが問題でした。

佐野氏はそもそも、人間として魅力がない。

トートバッグの盗作が発覚した時、彼は「部下たちに任せたが、盗作してしまった。監督として未熟だった」と述べた。

部下のせいにするなよ。

おそらく、「アイディアが無かったら、ネット上から取って来い」みたいな事を指示していたのではないか。
そうじゃなかったら、あそこまでモロにパクらないでしょ。

『もっと才能のある人を起用したり、評価しろよ』と、日本社会全体に言いたいです。

佐野作品は、元ネタよりも明らかにダサい。センスが無い。モロパクリで努力していない。

なんでそんな人が、日本社会で評価されてきたのか。企業は仕事を依頼するのか。

正直、一日本人として、とても恥ずかしい。

エンブレムで大騒ぎ中に、「オリンピック招致の時に使った、桜の花びらを使った円形のデザインがお洒落で良い。あれでいいじゃないか。」との意見が出た。

私も、あっちの方が遥かに良いと思う。佐野デザインの100倍くらい良い。

改めてエンブレムは広く公募される事になりました。

それはそれで良いのだが、私としてはオリンピックのエンブレムだから、『世界で著名な日本のアーティスト』がデザインを手がけるのがベストだと思います。

例えば、鳥山明、荒木飛呂彦、宮崎駿なんかは、世界で知られている。

そうして、彼らに高いデザイン能力があるのは、誰もが認めるところです。

こうした日本を代表するアーティストが作品を提出して、その中からネット投票で決定すればいい。

ネット投票ならば、海外の人も参加できる。

このやり方ならば、誰もが納得するし、必ず盛り上がります。

オリンピック本番よりも盛り上がってしまうかもしれない!!

どうでしょうか。

検討に値するアイディアだと思うのだが。


日記 2015年10~12月 目次に戻る