タイトル安倍政権を見極める㉑
白井聡さんの話
(2016.1.8.)

評論家・言論活動家の白井聡さん。

彼の見識を私は高く評価していて、楽しみながら文章やコメントを見てきました。

私が昨日の日記で述べたことと同じ趣旨で、補完する内容でもある白井さんの文章が、サンデー毎日に載っていました。

今日は、それを紹介しようと思います。

(以下は、サンデー毎日2015年10月18日号からの抜粋です)

新安保法制は、国会で通ってしまった。

その意味では、筆者を含む反対運動を展開してきた勢力は敗北した。

だが、勝敗以上に重要なのは、『敗北の過程で何が生じたのか、社会がどのような化学変化を起こしたのか』だ。

シールズに象徴されるように、若年層は3.11以降に表面化した危機を察知し、声を上げ始めた。

だが、新安保法制への反対でそれ以上に印象的であったのは、「普通のサラリーマン」の参加の増加だ。

私もその場に居た9月14日の国会前デモは、国会前の路上は群衆で埋め尽くされた。

「戦争反対!」「安倍は辞めろ!」のコールが地鳴りの様に響き、学生や退職者だけではなく会社員もいた。

ツイッター上には、こんな傑作も現れた。

「デモにも行かず選挙にも行かず、残業にも不眠にも文句を
 言わず、政府の増税にも決して怒らず、1日にバラエティ番組
 3時間と少しのCMを見て。

 政治運動をする人あれば右翼だと罵り、反原発の声を上げる人
 あれば左翼だとレッテルを貼る。

 そういう無関心な経済奴隷にはなりたくない。」

経済奴隷を、「社畜」と言い換えてもいいだろう。

異常な政治状況(違憲の立法)を見て、人々は「経済奴隷」や「社畜」であることに我慢がならなくなっている。

ゆえにこそ、権力の側は、デモの光景を撮られること(報じられること)を恐れている。

「美しい国」ならぬ「恥ずかしい国」へとまっしぐらに突き進む、安倍政治。

こんな中で若者に「絶望するな」と説くのは、あまりに白々しい。

だが、若者たちは声を挙げ始めた。

日本を「絶望の国」にしてしまったのは、年長世代である。

シールズ等の若者の「絶望しない」との語りに、年長世代は応える義務があるが、多くの人がその事に気付きつつある。

私は、こうした動きが社会の地殻変動につながりうると見ている。

この国の劣化は、3.11の原発事故で、一挙に表に現れた。

それは、人々の生活を破壊し、国を滅ぼしかけた。

しかし、原発推進の政策は転換が図られず、責任者の処罰すら行われないという、異常な状況が続いている。

この国の権力中枢が採っている手段は、「開き直り」である。

恥も外聞もなく、開き直ろうとしている。

この開き直り精神は、新安保法制の議論で、ますます露骨化してきた。

福島原発の事故補償をめぐっても、政府は補償を打ち切る姿勢を鮮明化させている。

「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」について、避難指示を2017年3月までに解除し、東電の賠償も18年3月末で終了する方針を発表したのだ。

政府の方針は、『年間20ミリシーベルトを下回る地区は、避難解除にして賠償もしない』だ。

「年間20ミリシーベルトを下回る被曝では、どんな被害が出ても切り捨てる」という事である。

その一方では、「積極的平和主義」の方針の下で、経団連は「武器輸出を国家戦略として推進すべき」と提言し、政府は『防衛装備庁の発足』を発表した。

安倍の掲げる「戦後レジームからの脱却」は進行しているが、それは対米従属を前提としており、民主主義の否定を志向するものだ。

この流れを食い止めるには、ここ20年に繰り返し叫ばれてきたまやかしの改革など、何の役にも立たない。

あの悲惨な敗戦を導いた日本の病理、『無責任の体系』を変えない限り、本当の改革は果たし得ない。

思えば、米軍の占領下にあった時期において、民主主義改革を主導したのは、ニューディーラー左派の率いる「民政局(GS)」であった。

だが、「参謀第2部(GⅡ)」の力が強まり、逆コースの流れの中で、民主化よりも反共化が重視されるに至った。

その過程で、戦前戦中に保守支配層だった者たちが復権し、今日に至るまで権力中枢を占拠しているのである。

アメリカは、旧ファシスト支配層を、自らのパートナーにした。

ゆえに、戦後レジームの主役たちは、対米従属を超えた「対米隷従」へと走っている。

『対米従属の下でのミニチュア軍国主義』を目指している。

誰がこの流れを止めるのか?

とうの昔に、GSは帰ってしまった。我々がやるしかない。

「占領軍によって民主主義革命をやってもらう」という構図に、そもそも無理があった。

我々が、民主主義革命をやり直さなければならない。

それは、あらゆる領域で異議申し立てをする事から始まる。

私は、『戦後の墓碑銘』という新著で、第2次安倍政権の分析もした。

率直に言って、ポツダム宣言を読まず、移民と難民の区別もつかないという、末人的宰相について書くのは、大変な骨折りであった。

この人物とそれを支える者の低劣さに辟易しつつ、多くの分析を実行したのは、安倍政権は日本の戦後70年の一つの到達点を示しているからである。

それは、日本社会の劣化の象徴なのだ。

安倍政権は、ある意味では戦後の総決算として現れた。

安倍のやっている事は、冷戦構造の崩壊と同時に喪った「永続敗戦レジーム」を、無理矢理にもたそうとする不毛な努力である。

無理な行為だから、強引な手段も必要になっている。

閣議決定で憲法を変えてしまうのは(集団的自衛権の行使容認は)、その表れだ。

安倍らの強引さは、根本的な弱さを意味している。

あと一突きで、彼らの路線から脱却が可能だ。

そのプロセスの1つとして、新安保法の成立後に日本共産党が『野党の共闘』を呼びかけている。

「生じている地殻変動を、野党はとらえなければならない」という提案である。

案の定、民主党議員の一部(前原誠司、野田佳彦、細野豪志、長島昭久など)は、「そんな事は出来ない」と早々に声を上げた。

これらの面々は、傀儡勢力(自民党)の2軍にすぎず、期待する方が間違っている。

問題は、『岡田・民主党党首が、この勢力を放逐する覚悟を持って、野党共闘の戦線を構築できるか』にある。

なお、古賀伸明・連合会長も、前原らと同じ反応を示した。

対米従属の者に民衆が言うべき事はただ1つ、「とっとと消え失せろ」だ。

このメッセージを発信することが、我々に今すぐできる行動に他ならない。


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