(以下は、ハーバービジネス・オンライン
『草の根保守の蠢動』から抜粋)
『日本会議』は1997年に設立したが、設立趣意書ではこう述べている。
「我々「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」は、20有余年にわたって運動を展開してきた。」
この2団体が、日本会議の前身であり、設立が早かった「日本を守る会」は1974年に設立されている。
日本会議のWEBサイトにある運動の歩み(年表)を見ると、1977年前後からの「元号法制化の運動」に関する記述が多い。
日本政府は1961年に「元号制には法的な根拠がない」と国会答弁で認めたのだが、これに保守陣営が躍起になって反論した。
しかし世論も政府与党も動かなかった。
この流れを一気に変えたのが、「日本を守る会」だった。
元号法採択のデモやシンポジウムを大々的に展開し、運動開始からわずか2年で「元号法の成立」という成果を得た。
この事は、保守陣営に衝撃を与えた。
そして、神社本庁や遺族会などの保守団体は、「日本を守る会」の周囲に集まり始めた。
「日本を守る会」(1974年設立)の発起人は、鎌倉円覚寺の貫主・朝比奈宗源だった。
この会は、宗教者と文化人の集まりで、政治家や経済人は入会させなかった。
その一方で、「生長の家」は当時は違った。
(生長の家は、現在はエコロジーを掲げるリベラルな宗教団体になっている)
生長の家の創始者・谷口雅春は、「明治憲法の復活」「占領体制の打破」「反共」をスローガンに言論活動をしていた。
生長の家の信者から成る「生長の家・学生会」が結成されたのは、1966年である。
この頃は、左翼の学生運動の下地が整いだしていた。
その後、左翼学生運動は拡大していったが、右翼学生は質でも量でも太刀打ちできなかった。
そんな中、左翼学生が占拠していた長崎大学を、「生長の家・学生会」のメンバーが正常化した(支配下に置いた)。
「長崎大学で、右翼学生が左翼学生からキャンパスを解放した」とのニュースは、劣勢に立つ右翼学生の希望の星となった。
そして、長崎大学で行われた手法が「九州学協方式」として、全国の右翼学生に取り入れられた。
さらに、「生長の家・学生会」を中心にして、「全国学協」が1969年に設立された。
しかし70年代になると、左翼学生運動は下火となり、敵を失った彼らは内ゲバに走るようになった。
「日本を守る会」の事務局を取り仕切っていたのは、村上正邦だった。
彼は後年に「参院の法王」と呼ばれるが、当時は「生長の家」の組織候補として自民党から出馬していた。
1974年の参院選に初出馬するも落選した。
当選するために村上が目を付けたのは、「全国学協」のOB組織である「日本青年協議会」だった。
日本青年協議会は、「生長の家」の信者が大半を占めていた。
1977年に、日本青年協議会は「日本を守る会」の事務局に加入した。
そして、新たに事務を取り仕切ることになったのが、日本青年協議会の書記長である椛島有三だ。
椛島は、長崎大学での学生運動でリーダーだった男で、左翼学生に勝利を収めてヒーローになった人物だ。
(当然ながら、生長の家の信者だった)
椛島有三は、元号法の制定を目指す運動について、「各地でグループを作り、地方議会に法制化を求める決議をしてもらい、その力で法制化をせまろう」と提案した。
そして、わずか2年で法制化を勝ち取った。
椛島が元号法の制定運動で使った戦略は、まさに日本会議がいま使っている手法である。
椛島有三は、元号法制定の実績をベースに、保守陣営で出世し、日本会議の事務総長として君臨している。
彼は現在、日本青年協議会の会長でもある。
日本青年協議会は、日本会議の事務局(中枢)を担っており、両団体の本部は東京都目黒区のオフィスビルの6Fにある。
日本青年協議会の会長である椛島有三は、日本会議の事務総長をしている。
この事実を見れば、『両団体は一体だ』と分かる。
日本青年協議会は、全国学協(右翼学生の全国組織)の社会人組織として発足したが、発足直後の1973年に全国学協から除名処分をうけた。
後ろ盾を失った日本青年協議会は、自前の学生組織を結成する必要にせまられた。
そして結成したのが、『反憲法の学生委員会の全国連合(反憲学連)』だった。
椛島有三が率いる団体・運動は、「生長の家」「日本青年協議会」「反憲学連」の3枚看板で展開することになった。
彼らの狙いは、「憲法改正」ではない。
「反憲法」が本質である。
現行憲法の規定に基づいて改憲をすれば、それは現行憲法を憲法として認めたことになる。
彼らにとってそれは絶対に避けるべき路線だから、「反憲」を唱えたのだ。
筆者は、昭和50年の「生長の家」の内部資料を入手した。
「神国への構想」と題されたこのパンフレットは、「生長の家青年会の任務とその課題」が副題となっている。
このパンフレットでは、「占領憲法体制の解体には、自己生命を捨てうる内閣総理大臣が出現しなければならない」とある。
安倍晋三のような総理大臣を生み出すことが、彼らの運動の目標とも読み取れる。
他にも、「われらの努力の第一は、反憲的な解釈改憲のたたかいに他ならない」とある。
これは、今の安倍政権がすすめる「憲法解釈の変更だけで、集団的自衛権や先制攻撃を可能にする」のとダブって見える。
安倍晋三・首相の周りには、「生長の家」のネットワークが見える。
衛藤晟一・首相補佐官は、日本青年協議会の委員長をしている。
安倍のブレーンをつとめる伊藤哲夫は、生長の家の教育宣伝部長をしていた。
これらの事実から、安倍自民党が目指しているのは、「改憲」ではなく「反憲」、つまり「立憲主義の否定」と考えられる。
日本青年協議会のWEBサイトにある活動歴を見ると、「日の丸・君が代の義務化」「靖国神社への公式参拝」「歴史教科書」「教育基本法」などの運動で、事務局として機能したのが分かる。
同協議会の機関誌「祖国と青年」、その2015年4月号を見てみる。
長谷川三千子の講演録などが載っているが、巻頭特集は「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の2015年度の総会についての報告記事だ。
この総会では、「改憲に賛成する500万筆の署名」「改憲に賛成する議員を衆参あわせて479人獲得する」「改憲を求める意見書の採択を、35都道府県で実現する」を、当面の目標として公表した。
この方針は、自民党の2015年度の運動方針と酷似している。
「祖国と青年」の2015年4月号で異彩を放っているのが、漫画コーナー「憲法のじかん」だ。
表題は「改憲戦艦ヤマト」で、デス将軍が率いる護憲艦隊を、ヤマトが改憲砲で全滅させる。
最終コマを目にして、戦慄を覚えた。
そこには、「憲法改正まで、あと四百八十日」とある。
480日後は、2016年7月25日にあたり、参院議員の任期満了の日だ。
この日までに参院選は実施される。
2016年の参院選が改憲の天王山になるというのは、大方の識者が指摘している。
現に安倍首相は、「改憲の発議は、参院選の開けが常識」と発言している。
日本青年協議会は、「2016年の参院選に勝利して、改憲を実施するぞ」と宣言しているのだ。
2015年7月28日から、参議院で新安保法制の審議が始まった。
安倍首相は、「日本に対する直接的な攻撃意思を表明していない場合でも、集団的自衛権の発動はあり得る」と答弁し、事実上の「先制攻撃」を認めた。
「集団的自衛権」も「先制攻撃」も、憲法は許してない。
このままでは、憲法は骨抜きになり、立憲主義の根幹まで無くなってしまう。