(以下は、ハーバービジネス・オンライン
『草の根保守の蠢動』から抜粋)
毎日新聞は2015年11月5日の記事で、『日本政府がユネスコに提出した、中国による南京事件の記憶遺産登録への反対意見書』について、「疑義がはさまれている」と報じた。
同記事では、外務省関係者の「高橋教授は、保守派の中ではバランスの取れた研究者だ」とのコメントも添えられている。
この意見書を作成したのは、明星大学の高橋史朗・教授である。
高橋は、南京事件そのものを否定した亜細亜大学の東中野修道・教授の著作から一部を引用しつつ、南京事件の記憶遺産登録への反論を行った。
東中野修道は、南京事件の証言を「捏造」とした著作を発表し、名誉毀損で訴えられて全面敗訴した人物だ。
一審の判決では、「東中野氏の原資料の解釈は、学問研究の成果というに値しないと言っても過言ではない」とまで書いてある。
このような人物の意見が、「ユネスコに対する日本政府の意見書」として提出されたのだから、疑義がはさまれて当然だ。
外務省関係者が「バランスの取れた研究者」と評した高橋史朗は、親学の提唱者として有名だが、もう1つの顔を持っている。
彼は、日本青年協議会が設立30周年に発行した記念誌で、冒頭ページに顔写真を載せている。
つまり、日本青年協議会の幹部である。
取材で知り合った元・生学連の活動家は、こう語る。
「高橋さんは元々、生学連(生長の家・学生会全国総連合)の委員長だったんです。
学生時代の姓は、高橋ではなく土橋。入婿して高橋姓になりました。
特段の実績は無かったが、アメリカ留学中に宗教的な実績を上げたのです。」
高橋は、「アメリカ留学中にGHQの資料を読み漁り、日本人への洗脳工作の証拠を見つけた」というのを売りにしている。
だが、高橋は教育学を専攻しており、今も「教育学者」の肩書きだ。
なぜ留学中にGHQの資料を読み漁る必要があるのか?
彼が留学を終えて真っ先に書いた論文は、神道に関するものだった。
上記の元・生学連の活動家は、こう説明する。
「あくまでも風聞ですが、高橋さんが留学した目的は、GHQに押収された谷口雅春(生長の家の創始者)の著作を見つけ出すことでした。
そして、高橋さんはそのミッションを果たしたのです。」
この証言を裏付ける資料を見つけた。
1982年に出版された、「御守護(神示集)」である。
これは、谷口雅春が神から受けた数十の神示を集めたものだ。
その最後のページには、この記載があった。
「終戦直後、占領軍により検閲され発表されなかった啓示が、アメリカの資料から発見され、在米の高橋史朗氏より提供されました。」
高橋が日本青年協議会(生長の家の信者たちが立ち上げた組織)の幹部となったのは、この実績が根拠と見るのが自然だろう。
彼の所属や来歴を見て、「バランスの取れた研究者」と評価できるだろうか?
右翼団体「日本青年協議会」の幹部であり、歴史学者でない人物を、外務省は「バランスの取れた研究者」としている。