友人が亡くなり、自己表現を見つめ直すことにした
(2016.8.20.)

数日前に、友人の海野匡さんが亡くなった。

近所に住んでいて、自治会の活動を一緒にしていた人物です。

地球人として暮らしていると、沢山の方の死を目撃することになる。

その中には、身近な人の死も当然ある。

だから、ある程度慣れているし、今まで日記で誰かの死を取り上げた事はなかったのです。

だが、今回の海野さんの死は、驚きが大きく、考えさせられました。

「自分の人生について、自己表現について、もう1度しっかり考えよう」と思いました。

海野さんの死が私にとって大きな意味を持ったのは、次の3つのためです。

① 素晴らしい人格者だった

② 私とあまり変わらない年齢だった

③ まだ生きるだろうと思っていたのに、すぐに亡くなってしまった

彼は、本当に良い人だったんですよ。

頼みごとをした時に、面倒くさそうな態度を一切せずに了承してくれる、稀有な人物でした。

誰かに助けてもらい時に、心理的なプレッシャーなく依頼できる人って、居そうでなかなか居ない。
だから、それを一貫してさせてくれる彼を、心から信頼して尊敬していたのです。

そんな人物が、半年ほど前に癌になった。

私よりも少し年上なだけなのに。

そうして治療生活に入ったのだが、ほんの半月ほど前の夏祭りで会った時には、まだ大丈夫そうだった。

話したところ「抗癌剤をかえた」との事で、私が「見たところ痩せてないし、安心しました」と言うと、「少し体重が増えました」との返事だった。

私が今まで見てきた経験では、亡くなる人はその前にガリガリに痩せていました。

だから「少し体重が増えた」との言葉を聞き、「この分ならまだまだ大丈夫なんじゃないか」と思ったのです。

ところが、それから半月足らずでの訃報。

上記した①~③のトリプルコンボにより、心へのダメージが大きかった。

私は霊的な哲学書である『神へ帰る』を勉強して、死についての自分なりの結論に到達しました。

死を悲劇だと思っていないし、肉体の死をすべての終わりだとも思っていません。

死についてネガティブな価値観は全く持っていないが、やはりショックだし悲しい。

『神へ帰る』を含めた『神との対話シリーズ』では、「死は気付きのきっかけになるものだ。ちゃんと観察をしていれば、死は至る所にあり、多くの気付きができる。」と説いています。

この考え方に、私はとても共感しています。

で、今回の海野さんの死はショックが大きかったし、『もう1度、自分の人生を考えて、どう自己表現していくかを再構築しよう』と決意しました。

具体的に言うと、「自分がやりたいと思っている事のうち、何を最優先するかを再考する」ことを行います。

発病してから半年で亡くなる友人を目撃し、「人生の瞬間瞬間をもっと大切にしなくちゃいけないな」と、再び思いました。

今までも、自分にとって大きな出来事があった時に思ってきたが、再び気付かされました。


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