じゅん散歩を見ています 他の旅番組についても②
(2019.2.14~16.)

旅番組にはまっている私。

面白いなあと思ってよく見てる番組を取り上げる記事の後半です。

ここ1年くらい、欠かさず見てるのが『ブラタモリ』です。

10回中8回は興味深く「勉強になったなあ」と思える、質の高い旅番組です。

見た事ない人は、ぜひチェックしてほしいな。

ブラタモリの素晴らしい所は、タモリさんの好きな地質学や歴史学を扱い、深堀りした話になること。

真面目に学問してます。

私は元々この番組が始まった時、タモリがNHKに出るというので話題だったし、最初から注目して第1回からしばらく見ました。

放送開始は笑っていいともが終了した直後だったと思うのですが、笑っていいともの雰囲気を引きずっていて、タモリさんが茶化すというか不真面目に動く感じがあった。

「タモリがブラブラ街を歩く」というキャッチフレーズだから、くだけた感じで行けばいいと思ったのだろうが、私としては中途半端で煮え切らないと思った。
他の凡庸なバラエティ番組と大差ないなと。

で、2017年1月に『かながわらく楽ウォーキング』という旅番組を取り上げた時、「ブラタモリは良いコンセプトだが軽薄さがある」と評しました。

タモリさんの軽口ぶりに違和感があり、その後見なくなっていたのですが、1年くらい前だったかな久しぶりに見たら、めちゃくちゃ面白い番組に進化してました。

その土地の学者を招き、その方の研究成果を一途に学ぶという、硬派一辺倒のスタイルになっていた。
以前だと学者たちを変な人扱いして笑う感じがあり、そこが気にくわなかったのだが、無くなっていたね。

もはやブラブラする感じは全くない。

番組の最初から最後まで、無駄な歩きは一切なく、次から次へと学問する場所へ移動していき、学者も一人では足りずに数人出てきたりする。

妥協なしに学ぶ姿勢を貫く、私の大好きなスタイルである。

ただ、自分が出演者だったら、あんなに移動し歩かされたらバテてしまうはず。

タモリさんを見ていて、「よく足が持つなあ、あの年齢なのに健脚だなあ、偉いなあ」と感心してしまう。

ブラタモリというタイトルを掲げているが、実態は「ガクタモリ」と言ってよい。
学問する事に専念した番組になっています。

ブラブラするっていうのは、後述する『じゅん散歩』みたいな、その場のノリで行く所を決めるものだと思う。
そういう曖昧さやいい加減さは全くない。

最大の見所は、タモリさんの問答ですねー。

学者の方が、「ここは〇〇なのですが、なぜでしょう」とか「これは何だと思いますか」と質問した時、タモリさんは少し眉をしかめて考え込み、数秒後に答えるのだが、大抵は正解してしまう。

質問した側が正解できないと予想しているマニアックな質問でも、言い当ててしまう事が多い。
あの瞬間に生じる、想定が外れて「あ…そうなっちゃったの…」と皆が硬直し時が止まりかけた、変な空気がたまらない。

この番組で、タモリさんが地質学にえらく詳しいと知った。

普通の人はまず興味を持たない、石とか地層の種類について、このジジイはやたらと知っているのです。

普通のタレントだと、専門家しか知らないようなネタの場合、知ってても知らない振りをするじゃないですか。
「えー、なんですかー、分からないなあー」とか言って、招かれた学者に自慢気にしゃべらせて花を持たせようとする。

それをしないんですよ、タモリさんは。

セオリー無視で難しい質問にあっさり答えてしまい、学者をうろたえさせたり、かえって知識を認められて学者と仲良くなってしまう。

この即興性のある展開が、好きなんです。ジャズを感じる。

タモリさんはジャズ好きで有名だが、私もジャズ愛好家なので、こういうセオリーを崩す意外性を尊重する対話が気持ち良いのです。

私が住んでる所から近い、箱根や伊豆を取り上げた回は、特に楽しく見ました。

箱根なんて3回も扱うのだから、びっくりしてしまった。
2回目までは「最高じゃないか」と思う傑作だったけど、3回目はさすがにネタ切れの感があったなあ。

地元民の私が知らない話を出してきて、「そんな土地だったのか、ここは!」と喜ばせてくれるなんて感謝しかない。

ブラタモリはすでに100回を超えていて、日本各地を取材しているから、全国の人々がそう思っているはずだ。

旅番組は、その場所の魅力を掘り、好きになったり行きたくなるのが理想だから、見事である。

ブラタモリは賞をあげたいくらいに面白い番組で、完成度の高い作りだが、ただ1つ弱点がある。

どうしても、草彅剛さんのナレーションを好きになれない。
聞くたびに「元気ねえな、活気ねえな、盛り下げてるな」とイラついてしまう。

草彅さんはナレーションで見かける人ではないし、あえてブラタモリでは登用したのだと思うが、はまってない。

声に魅力がないし、聞きやすくもないし、長所がないよね。

彼の事は、随分前から心配している。
死相が出ていると思うので。

常に顔色が悪いし、声には力も生気もないし、目は死んでいるし、無表情だしで、なぜアイドルとして売れてるのか意味不明だと思っていた。

実は、「草彅剛はゾンビなのではないか」と、ずっと前から疑っています。

草彅剛氏がある日、突然に緊急記者会見を開くと発表した。
以後の人生を左右するほどの重大な事を発表するという。

それで、すでにスマップは解散し、彼に興味を持つ者もまばらだが、さすがにテレビで生中継される手筈となった。

当日、沈痛な面持ちで現れた草彅氏は、いつも以上に元気のない様子で、取材陣たちは思わず息を飲み顔を見合わせた。

草彅氏は席に着き、会場は静まりかえったが、意を決した彼はついに言った。

「本当にすみませんでした。今まで隠していましたが、実は私、ゾンビなんです!」

その後は泣き崩れ、殺到する質問にまともに答えられない草彅氏。

「ゾンビは実在した、それも日本で芸能活動をしていた」、このニュースは世界を駆け巡り、騒ぎはしばらく収まりそうもない。

こんな事になったら、皆が大混乱するでしょう。

だが、かねてから目を付けていた私には、完全に冷静さを保つ自信がある。

「ふむ、ようやく告白したか。人間もゾンビも正直になるのが一番なんだぞ」と、説教臭い顔つきで眺める自信が、100%ある。

結局のところ、ゾンビだったとしても、特に害はない。

草彅剛は、根は良い奴である。
人間を食べたり、仲間を増やそうとしていかがわしい儀式を行いゾンビを氾濫させるなんてことは、しない奴です。

たまに裸で公園に出没してしまうが、それはちょっと目のやり場に困るくらいだから。
昔は皆、裸同然で暮らしていたのだからね。

話をまとめると、ナレーションには向いてないって事です。

たしか彼は、韓国語を学んで、ペラペラだったと思うんですよ。

いま韓国の芸能界が人気だから、語学力を生かして韓国との橋渡し役になれば活躍できるんじゃいないかと思ってます。

さて。

そろそろ記事タイトルの『じゅん散歩』に行きますか。

この番組は、高田純次というお笑い芸人が、ブラブラと街を散歩して、興味の湧いた場所を取材する内容です。

毎日10~15分くらいの量で、平日の朝10時に放送されている。

私は録画して見てますが、見てるのはその時間に家にいる年配の方が多いみたいです。

この番組、最初はたまたま見たのですが、第一印象は「あれ? 高田純次ってまだ生きてるのか」でした。

どうも私、長く彼を見ない間に「死んでしまった」と認識していたようです。

元々、私が高田純次さんを知ったのは、ビートたけしさんの主催する番組においてでした。

今から30年くらい前なのだろうか、彼らの他には、片岡鶴太郎、山田邦子、関根勤、たけし軍団あたりが出演するお笑いのバラエティ番組だった。

この番組、たけしさんはスタジオでVTRを見てコメントするだけで、現場に赴いて笑いを取るのは高田さん達だった。

たけしさんは、太陽にほえろの石原裕次郎と一緒で、現場で汗をかく事は全くせずです。
もちろん面白くもない。

そんな番組なので、たけしさん以外が頑張らなくてはならないのだが、たけし軍団のメンバーを筆頭に、たけしさんに気を使って遠慮する瞬間がある。

そうなると、当然ながら面白くない。

だからつまらなくなる時間がけっこうあったのだが、唯一遠慮をせず、どかーんと毎回爆発していたのが、高田純次だった。

面白いのも面白いのだが、その度胸の良さに、私は感心した。

高田純次には、空気を読まない凄みがあった。
はっきりいって、たけしを完全に食っていた。

私の見るところ、純次さんがダントツに面白かったが、たけし軍団が何人も出演している番組だったので、外様大名扱いだったんですよね。

番組に一番貢献しているのに、どこか孤立していた。

見ていて不憫に思い、「素晴らしい才能があるのに可哀相だ。独立して頑張れば、天下を獲れるんじゃないかな」と応援していた。

お笑い芸人の中で最も面白い人の1人だったので、活躍していくのだろうと思っていたが、その後いつの間にか消えてしまった。

彼は突き抜けた面白さがあるけど、ブレーキが効かなくて暴走する時があったので、制作側からすると使いづらそうだった。

私からすると、「そういう芸人の手綱をさばいて使わないでどうする」って事なんですけどね。

かれこれ15年くらい見かけなかったので、野垂れ死んだのだろうと。
無意識下でそう理解していた。

才能のある奴が場を得ずに野垂れ死ぬのは、かなりある現象なのでね。

ところが半年強ほど前に、突然現れたんですよ。どこからともなく。

向こうにしたら「ずっと活動してたぞ」という話かもしれませんが、私の認識世界には入って来なかったので。

久々に目撃したが、案外元気で、顔色も良い。あの眼光の鋭さも残っている。
「まだ死にそうにない」と嬉しくなった。

死んだはずの人とばったり再会しただけでも驚き一杯だったが、純次さんは生意気にも、じゅん散歩では自作の絵まで発表していた。

番組を見始めて知ったが、彼はデザイン系の学校を出ているという。
別に自慢になる話でもないのに、何回も話すものだから、私も知る破目になった。

まあ彼の事だから、学歴詐称の可能性も高いのですが。

で、彼の書いた絵を見たのだが、人物画は全く似ておらず、ひどい出来である。

一方、風景画はきちんと彩色されているのも大きいのだが、割と良い。味わいがある。
こっちはまずまずで、片岡鶴太郎とどっこいどっこいだ。

人物画は、やる気を感じないんですよね。

あの人、根本では他人に興味ないんじゃないだろうか。
描く人にぐうっと入り込む感じが、絵から全くうかがえない。

まあいいんですけどね、絵がメインの番組ではないから。

じゅん散歩を最初に見た時、ちょうど純次さんは自分がプロデュースした靴を、通販商品を売り出す時間枠で宣伝していた。

私はそれを見て、「じゅん散歩には高田純次の作品を売る時間がある」と思ったのだが、実はあの時だけでしたね。
いつもは高田純次とは関係ない商品が売られており、たまたま私の初視聴で当たっただけだった。

高田純次は、私の記憶していた通りのインチキ臭い表情と声音をまだ保持していた。
あの独特の節回しとテンポで、プロデュースした靴について「履き心地が良い」とか語って宣伝している。

彼の言葉には全く説得力を感じなかったが、ハッシュパピーとのコラボで作られており、売れ残っていたのか最終処分セールで5千円引きだったし、なんだか見ていて魅かれた。
直感的に、「これは買いだ」と思った。

5千円引きになってて、たしか送料込みで1万5千円くらいだったと思う。
すぐに電話で注文したところ、私の足のサイズはまだ在庫があり、あっさり購入できた。

おまけで純次さんの絵がプリントされたトートバッグも付く事になっていたが、そっちは在庫切れでもらえなかった。

オペレーターの方は申し訳なさそうに、「トートバッグのほうは在庫が切れております」と告げてきたが、全く悔しくなかった。

「いえ、大丈夫です。何の問題もありませんよ。」と優しい口調で、しかし力強く返事し、オペレーターの方を安心させてあげた。

で、1週間くらいしたら、靴が到着した。

さっそく履いてみたが、ぴったりのサイズで、そこそこ重量があるのに歩いていて全く疲労がこない。

見たところ革靴っぽいが(素材はよく分からない、興味もない)、スニーカーみたいな履きやすさである。

数日履いてみて、「やはり当たりだった。直感は正しかった」と嬉しさで一杯になった。

ありがとうハッシュパピー、ありがとう高田純次。

まあ、多分、ハッシュパピーの貢献度が98%なんでしょうがね。

5年は履いて、履き潰してやろうと決意してます。

ハッシュパピーについては、ちょっと思い出があるんですよね。

脱線になりますが、ここでそいつを語ってみる事にします。

私の母方の祖父は、庄一という奴で、頑固で内弁慶で本の虫だったのですが、孫の私たちにやたらと靴を買ってくれたのです。

「贅沢はいかん」とか「物を大事しろ」としょっちゅう説教する爺さんだったのですが、根は買い物好きで、彼が亡くなった後に遺品整理をして完全に理解できましたが、無駄な買い物をたくさんする人物でした。

普段はしかめっ面している事が多いのに、買い物となるとご機嫌になる。

彼はかなりお洒落に気を使う奴で、外出時には帽子とステッキを欠かさなかった。

私が大人になってから昔の映画(白黒のやつ)をたくさん見て気付いたのですが、たぶん戦前のモボ(モダン・ボーイの略)に彼は憧れて体現していたのでしょう。

そんな人物なので、「靴にはこだわれ、靴には人間性が出る、靴を見て人は判断する」と、小学生の私によく説いてきたのです。

まあ小学生なのでね、馬の耳に念仏でいつもスニーカーを履いてました。
彼もそこは理解していて、一緒に買いに行ってスニーカーを選んでも文句は言わなかった。

いつも祖父母の暮らす家に遊びにいくたびに、彼に連れられてデパートに行き、スニーカーを買っていた。

それが、私が中学生になったら、変化が訪れた。

中学になって最初に祖父母の家に行った時、超ハイテンションの庄一が待っていて、「革靴を買いにいくぞ」と満面の笑みで言ってきた。

こっちが乗り気でないのを見ると、「中学生になったのだから、ちゃんとした靴を持たないといかん」と、大真面目な顔をつくって説教してくる。

すぐに気付いたが、孫に革靴を買ってあげたいのである。
おそらく、私が小学校にあがる前から、指折りでこの日を待っていたのだろう。それくらいのテンションの高さだった。

私としては、革靴を履きたい気持ちはなかった。

今でもそうなのだが、リラックスできる靴が好きで、大抵はスニーカーを愛用している。

とはいえ、向こうが買ってあげると言っているのに、断る理由はない。

革靴を1つも持ってなかったので、「1つくらい持ってもいいか」と思った。

そして庄一に連れられて駅前に行ったが、入った店がハッシュパピーの専門店だったのである。

当時は、ハッシュパピーなんて露ほども知らなかった。

そもそも靴メーカーはアディダスくらいしか知らなかった。
ナイキですら中学に入ってしばらくしてから知ったほど。

だから、あの独特な犬のマークに眼が行くくらいで、なにがなにやら分からずだった。

だが祖父は、「素晴らしい靴メイカーなんだぞ、玄人好みの靴なんだ。これを履いておけば間違いない」と力説する。

私は高級感のある店内の様子に圧倒されながら、祖父の勧めるままに靴を選び試着して、1足買った。

きっと祖父は大満足だったのだろうが、私は「???」だった。

その後、何回か履いてみたが、足が苦しいし、馴染まなかった。
いま振り返ると、初めての革靴の感覚に、身体が戸惑い拒否反応を示したのだ。

「なんか違うなあ」と首をひねっているうちに、中学生なので足のサイズがまだ大きくなり、履けなくなった。そうして捨ててしまった。

なんでもデビューした時って、そんなもんですよね。

ハッシュパピーの靴には何も感じなかったが、祖父が推しに推していたのは印象深かった。

それから7年ほど経ち、祖父は亡くなっていたが、ある時祖母と会話していて靴の話になった。

私が「おじいちゃんはハッシュパピーが好きだったねえ」と言ったところ、一生忘れられそうにない、とんでもない言葉が返ってきた。

祖母はこう言ったのです。

「あの人がハッシュパピーの靴を好きだったのは、よく読んでるスパイ小説の主人公が
 愛用しているからよ。

 『スパイはたくさん歩かなければならないが、その職業の人がハッシュパピーを
  選んでいると書いてある。だから間違いない、素晴らしい靴なんだ』
  と言ってたわ。」

これを聞いた時の衝撃と脱力感を、読者に伝えるのは容易ではない。

村本庄一という人間の人生が、あんなに軽く見えた時も他にない。

庄一は本が大好きで、それはきっちり私にも受け継がれているが、本で読んだことを鵜呑みにする所があった。

新聞も時間をかけて隅から隅まで読んでいて、記憶力が高くてよく憶えていたが、入って来る情報を整理せずに頭に収納してる感じがあったんですよね。

とにかく知識を溜め込むことが、頭が良くなることだと思っている節があった。

そんな人なので、スパイ小説の情報を丸呑みしちゃって、完全に乗っかってました。

「あの人は色んな靴を履いたが、ハッシュパピーほど長く付き合ってきた靴はないわね」、こんな格好良いエピソードが欲しかったのだが、もう故人だしどうしようもない。

脱線から戻りますが、ハッシュパピーには苦い思い出しかなかったんですよ。

だから高田純次プロディースの靴も、買う時にちょっと迷いがあったんです。

直感を信じることが大切だと、神との対話などを読んで悟ったので、「これは当たりだ」という心の叫びに従えましたが、スピリチュアル・マスターとして覚醒する前の私なら買わなかったかもしれない。

ハッシュパピーの靴、良いですわ。

祖父の推しは、根拠薄弱だったが、結論は間違っていなかった。

良い靴に出会わせてくれた恩義を少し感じたのもあり、『じゅん散歩』を毎日見始めたのですが、高田純次の個性は昔のままですっかりハマってしまいました。

純次さんの良い所は、「インチキ臭い」のと「貧乏臭い」こと。

街をぶらつく様も見事で、社会からアウトしている感じが身体中から発散され続けている。

私に言わせれば、これぞお笑い芸人の姿である。

彼の素晴らしさは、庶民性を失わない事だ。

私は先ほど、「高田純次がまだ死にそうにないと分かり嬉しくなった」と書いたが、
これは単なる寿命だけの話ではなくて、芸人としての寿命も含まれている。

ビートたけし、明石家さんま、とんねるず、ダウンタウン、といった連中は、私の感覚では「死んだお笑い芸人」なのです。

彼らは、大御所的な存在となり、カネの臭いがプンプンしていて、庶民性を失っている。

世間的には面白いとされているが、私は面白いと思わない。

お笑い芸人は、知的であっていいし、大金を稼いでもいいし、政治発言をしてもいい。

だが、金持ちの臭いが染みつき、人々から「あいつは俺たちの仲間じゃないな」と思われたら終わりだ。
そうなったら、表面的には大笑いしてくれても、腹の底からは笑ってくれなくなる。

高田純次は、もしかすると豪華な私生活を送っているのかもしれないが(生意気にも自分の絵をカレンダーにして売り出すという、副業行為までしている)、出ているオーラに庶民的な地に足のついた安心感があり、金銭感覚も庶民から離れていない。

じゅん散歩を見ていて知ったが、彼は意外にも知的かつ芸術的なタイプで、さらに年を重ねて成熟したらしく年配の方へのリスペクトもある。

発言はちゃらんぽらんだが、世の中を冷静に見つめていて、「カネを持つ事にはさしたる意味はない」と達観している所がある。

純次さんにこれを言ったら、驚いて大否定するかもしれないが、態度からにじみ出ているんですよね。

ぶっちゃけた話、ビートたけしらも同じ価値観を持っていそうなのだが、彼らはそれを隠している。

高田純次は、本音をポロッと意図的に出して笑いにする。
それも相手かまわずにである。

それをしても嫌味にならず憎まれないのは、彼が庶民だからと(仲間だと)皆が本能的に感じるからだ。

かつてはビートたけしもそれが出来るのを売りにしていたが、もう今では出来ない。
自分の軍団つくったり映画つくったりして遠い存在になり、庶民と認識されなくなったからだ。

純次さんは、自分をさらけ出す強さを持っているな。
彼の発言を聞くと、自分を弱い奴だと思っているみたいだが、他の芸人より強い部分があるのは間違いない。

どんな職業の人とも自然体で渡り合えるのは、容易にできる事ではない。
何か確固たるものを自分の内側に待っているな。じゃないと出来ないから。

上手いとは到底思えない絵なのに、それを毎回にじゅん散歩の最後で発表するのも、一見するとバカ丸出しみたいに思えるが、よく考えると凄い度胸である。

あいつは、只者ではない。
昔からそう思っていたが、今でもそのままである。そこが素晴らしい。

私の見るところ、ビートたけしと明石家さんまは、弱い人間である。人間として小者である。

だから、本当の面白さはない。そう思ってます。

世間の評価とあまりに乖離していて、ただこう書いただけでは誰も納得しそうにないので、詳しく説明しましょう。

まずたけしさんだが、彼は「たけし軍団」というものをつくった。

出世したお笑い芸人が、後輩を何人も身近に置くというのはよくあるが、普通は「師弟関係」だ。

ところがたけし軍団は、師弟関係ではない。

後輩たちは、たけしを「殿」と呼び、家来として仕えている。

こんないびつな関係を結び、「殿」なんて呼ばれて良い気になっている所に、たけしの心の弱さが現われている。

芸人における先輩と後輩の関係は、本質的に同志関係でなければならない。

師弟関係なんて言うと、弟子が絶対服従の縦関係だと思いがちだが、そうではない。

ちゃんとした師匠は、偉ぶらないし、弟子の意見に耳を傾けるし、弟子が一人立ちできるように育て導き、自分を超えるところまで行くのを願うものだ。
それこそが健全な師弟関係である。

たけし軍団を見てほしい。そういった健全性は皆無だ。

弟子のはずの後輩たちは、「殿」と呼んで付き従う。
そこには独自のものを磨き上げ一人立ちしようとする気概も、師匠を超えようとする気迫も感じられない。

実際に、たけし軍団からは、たけしを脅かすような大物は出ていない。

たけし軍団のメンバーは、たけしのコネで多くのチャンスを与えられたのに、開花しなかった。
それは偶然ではなく、必然である。

たけしさんが自分を慕う若者を集めて、軍団を創設し、「殿」と呼ばせ始めた時、あまりに愚かな行為に呆れた。

恥さらしの極致だったので、すぐにやめるだろうと思ったのだが、あれから何十年も経つのにまだ続けているね。

あの行いは、愚かなだけでなく、お笑い芸人としてのたけしの評判も落としたと思う。

芸に真摯に向き合う姿勢があったら、誰かに殿なんて呼ばせないでしょ。

たけしさんの著作『浅草キッド』は、とても面白くて大好きな本だが、そこでは彼の師匠の深見千三郎が主役となっている。

師匠の深見から学んで成長していくたけしの一生懸命な姿が描かれていて、実に微笑ましい。

読むと分かるのだが、深見千三郎というのは(私は一度も見たことはないのだが)立派なお笑い芸人で、本物である。

彼の許で学んだからビートたけしが生まれたと言っていいと思うのだが、深見の生き様をたけしは踏襲できず、師匠ではなく殿になってしまった。

そこが、たけしの弱さ。
弱いから軍団をつくって自分を守ろうとする。そういう逃げの姿勢だからいつまでも弱いまま。悪循環だ。

そんな奴だから、本当の面白さは生み出せくなった。
無名なところから這い上がって、深見師匠から独立し頂点に登るまでの守りに入ってなかった頃は、すっごい面白かったのに。

たけしさんには、映画監督という顔もある。

こっちについては彼の作品を1つしか見た事がないので、はっきりと評価はできないのだが、見た1作品は全く面白くなかった。

つまらなかったので他の作品を見る気にならず、賞を取ったりして話題になった事もあったが、無視してきた。後悔は一切ない。

次に明石家さんまさん。

彼は、本当の自分を晒していない。だから笑いに深みがない。
ずっとそう思って見つめてきた。

彼は色々と自分の話もするのだが、そこに実体が希薄である。
どこか霞みたいで、はっきりしない。説得力がない。

ここで、彼の本性に関する貴重な情報を提供したい。

これは今から30年くらい前の情報で、今の彼はこうじゃないかもしれないが、過去はこうだったと知るのは、彼を深く知る重要な材料になり得る。

ちなみにこの情報は、とある筋からのものだが、とても信頼できるルートからのものだ。

30年くらい前に得た情報はこうである。

「明石家さんまは、寂しい家庭環境で育ったので、人間関係が苦手である。

 暗い家庭環境の影響か、食事は激しく偏っていて、食べられるものが少ない。

 友達が全く居ないので、仕事を終えると自宅に直帰するが、自宅でいつもしているのは
 庭いじりと盆栽である。」

これを聞いた時、テレビで見せている姿とかけ離れているので、大いに驚いた。

だが、仕事の顔と素顔が違う人間はかなりいるし、特にお笑いの世界だとありそうな事だったので「ふーん」と思って終わった。

私生活で何をしてようがどうでもいいし、他人がとやかく言う筋合いもない。

だけどさんまさんの場合、見ていて何か苦しくなるんですよね。
あの常に笑いを渇望し、少しでも寒い時間があると動いて解決せずに居られない、異常に熱狂な仕事ぶりを見ていて、「この人、病気じゃないかな」と心配になる。

「無理しないで、もっと楽に行こうぜ。肩の力を抜いて、本当の自分を受け入れてみろや。」と言いたくなる。

世間的には明るく華やかな人間と見られているらしいが、私から見ると彼の笑いには実在感がなく、無理矢理に上げるテンポからは自信の無さが伝わるし、「本当は暗い人なんじゃないか」と思えるのです。

分からない人には分からないのかもしれないが、心に深い闇があるのをチラッと見せる時がある。

根は良い奴だと見ているので、無理に無理を重ねる芸風が痛々しくて哀れに思える時があるんですよ。
「さんま、そんなに頑張らなくても大丈夫だ、見捨てられないよ」と慰めたくなる。

今でも盆栽が趣味か知らないが、もし趣味ならそれをカミングアウトして、盆栽の番組は無さそうだけど、ガーデニングは流行しているからその手の番組に出ればいいと思う。

自分が好きな事を堂々とやったら、あの偽物の笑顔も少しは改善するのではないだろうか。

彼はサッカーも趣味で、それは公けにしている。

30年くらい前はミイラというサッカー・チームを作って遊んでいたくらいだから、本当に好きなのだろう。

だが、クラブ・ワールドカップ(旧トヨタカップ)のゲストで登場し、サッカーについて熱く語っても、全然面白くないんですよね。

あれは本当に不思議。

人間って、自分が好きな事を話すと、どんな人が語っても面白い話が飛び出すんですけどね。
なんで明石家さんまだとならないのかな。

おそらく、もの凄く自分に自信のない人なのだろう。

だから好きな事をしゃべっても、本当の体験や感想を語らず、ウケそうな事を言ってしまうのだ。
そして実体の無いつまらない話になる。

たけしさんかタモリさんが、「さんまは面白いが、教養がない。どんな話をしても低俗な話になる」と評しているのを見た事がある。

本質を突いていると思った。
たぶん、知識も教養もあるんですよ。でも、それを出すと笑えなくなると計算している。
もしくは小心者なのでありのままの自分を出せない。

ここまで読んだ人は、私がビートたけしや明石家さんまを嫌いなのだと思うかもしれない。

そんなことはない。良い奴だと思っているし、才能もあると思っている。
だからこそ、もっと素直に笑いに取り組んでほしいのです。

自分の殻に閉じこもった、テクニックだけの表面的な守りの笑いではなく、心にじんわりくる攻めの笑いをしてほしい。
やったら出来る人なので。

タモリと高田純次は、寒い空気になっても耐えられる粘り強さがある。

変にあがかずに、そのうち温かい空気になるだろうといって待てる大らかさがある。
余裕と他人への信頼がある。

そこが好きなんだよ。それが味わい深さ。

純次さんは昔はそういうキャラじゃなかったと記憶しているが、人間として成長したんだな。

最後にとんねるずとダウンタウンについても書きますが、長文になっているのでさらっと書いて終わりにします。

とんねるずは、色んな事をやっているが、木梨さんが面白キャラを演じる時が一番ですね。
木梨さんはモノマネも面白く、「モノマネ専門の芸人を除くと、関根勤と木梨憲武のモノマネが一番だ」と思ってます。

石橋さんは、根が真面目な努力家なので何をやってもそこそこ面白いが、突き抜けた笑いはない。

彼らは後輩の芸人やスタッフをいじるのを得意にしているが、あれはキワモノで、しょっちゅうやってはいけない笑い。
それなのにやり過ぎるから、つまらなくなる。

それに彼らが誰かをいじる場合、先輩をいじったほうが面白いんですけどね。

ダウンタウンは、コントが断然面白い。
20年以上前のコントを見て、古く感じずに楽しめるのは、本当に凄いと思う。

フリー・トークもそこそこだが、コントの素晴らしさと較べると時間の無駄だね。

今のとんねるずとダウンタウンを見ていて駄目だと思うのは、自分達の強い場所でやらずに、後輩の芸人いじったりしてお茶を濁していること。

あとは金持ちの臭いがしていて、親近感を持てないこと。

おまけになりますが、タカアンドトシのコントが凄く好きです。
素晴らしい才能を持っていると思う。

彼らのコントは、暗さのない所が良い。爽やかなんだ。ドリフターズみたいな気持ち良さ。

演技力を上げれば、もっと面白くなるな。
話は面白く、テンポも良いので、演技力を磨いて1つ1つの笑いがビシッと決まればさらに良くなる。

コントなのに身体の動きが少ないし、身体の動きに面白さが薄いと思う。
話術は高いので身体面を改善すれば凄いレベルにいけるのではないかと期待してます。

先輩の真似をしてるのか、バラエティ番組の司会みたいなこともしているが、全然面白くない。
あんなのやらなくていいよ。

あとウーマンラッシュアワーの漫才、良いよ。良い、見入ってしまうもの。

村本さんのしゃべりのテンポが速すぎる気はするけど。

あのマシンガン・トークは、音楽でいうとスラッシュメタルかデスメタルだよ。
客層が限られちゃうんだよねー。若者じゃないと付いていきづらい速度。

基本的にリズムは、ゆっくりだと高齢者にウケやすく、速いと若者にウケやすい。

ウーマンラッシュアワーの漫才は、内容が広い客層を設定できるものだと思うので、万人が付いていけるテンポを採用したほうがいいと考えてます。

でもリズム感覚は人それぞれなので、あのノリが気持ち良いならそれで行けばいい。

村本大輔は、やれる。
順調に行けば、あと30年くらいすると、インチキ臭い雰囲気を身に付け、万人と隔てなく接して雑談をかまし、下手くそな絵を書いてそれをカレンダーにして売るようになるな。
間違いない。


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