旅番組にはまっている私。
面白いなあと思ってよく見ている番組を取り上げる記事の後半です。
ここ1年くらい、欠かさず見てるのが『ブラタモリ』です。
10回中8回は興味深く「勉強になったなあ」と思える、質の高い旅番組です。
見た事ない人は、ぜひチェックしてほしいな。
ブラタモリの素晴らしい所は、タモリさんの好きな地質学や歴史学を扱い、深堀りした話になることです。
毎回、真面目に学問してます。
私は元々この番組が始まった時、タモリがNHKに出るというので話題だったし、最初から注目して第1回からしばらく見ました。
放送開始は笑っていいともが終了した直後だったと思うのですが、笑っていいともの雰囲気を引きずっていて、タモリさんが茶化すというか不真面目に動く感じがありました。
「タモリがブラブラ街を歩く」というキャッチフレーズだから、くだけた感じで行けばいいと思ったのだろうけど、私としては中途半端で煮え切らないと思いました。
他の凡庸なバラエティ番組と大差ないなと。
で、2017年1月に『かながわらく楽ウォーキング』という旅番組を取り上げた時、「ブラタモリは良いコンセプトだが軽薄さがある」と評しました。
タモリさんの軽口ぶりに違和感があり、その後見なくなっていたのですが、1年くらい前だったかな久しぶりに見たら、めちゃくちゃ面白い番組に進化してました。
その土地の学者を招き、その方の研究成果を一途に学ぶという、硬派一辺倒のスタイルになっていました。
以前だと学者たちを変な人扱いして笑う感じがあり、そこが気にくわなかったのですが、無くなっていましたね。
もはやブラブラする感じは全くないです。
番組の最初から最後まで、無駄な歩きは一切なく、次から次へと学問する場所へ移動していき、学者も一人では足りずに数人出てきたりします。
妥協なしに学ぶ姿勢を貫く、私の大好きなスタイルです。
ただし、自分が出演者だったら、あんなに移動し歩かされたらバテてしまうはず。
タモリさんを見ていて、「よく足が持つなあ、あの年齢なのに健脚だなあ、偉いなあ」と感心してます。
ブラタモリというタイトルを掲げていますが、実態は「ガクタモリ」と言ってよい内容です。
学問する事に専念した番組になっています。
ブラブラするっていうのは、後述する『じゅん散歩』みたいな、その場のノリで行く所を決めるものだと思いますが、そういう曖昧さやいい加減さは全くないです。
最大の見所は、タモリさんの問答ですねー。
学者の方が、「ここは〇〇なのですが、なぜでしょう」とか「これは何だと思いますか」と質問した時、タモリさんは少し眉をしかめて考え込み、数秒後に答えるのですが、大抵は正解してしまうのです。
質問した側が正解できないと予想しているマニアックな質問でも、言い当ててしまう事が多い。
あの瞬間に生じる、想定が外れて「あ…そうなっちゃったの…」と皆が硬直し時が止まりかけた、変な空気がたまりません。
この番組で、タモリさんが地質学にえらく詳しいと知りました。
普通の人はまず興味を持たない、石とか地層の種類について、このジジイはやたらと知っているのです。
普通のタレントだと、専門家しか知らないようなネタの場合、知ってても知らない振りをするじゃないですか。
「えー、なんですかー、分からないなあー」とか言って、招かれた学者に自慢気にしゃべらせて花を持たせようとする。
それをしないんですよ、タモリさんは。
セオリー無視で難しい質問にあっさり答えてしまい、学者をうろたえさせたり、かえって知識を認められて学者と仲良くなってしまう。
この即興性のある展開が、好きなんです。ジャズを感じる。
タモリさんはジャズ好きで有名ですが、私もジャズ愛好家なので、こういうセオリーを崩す意外性を尊重する対話が気持ち良いのです。
私が住んでる所から近い、箱根や伊豆を取り上げた回は、特に楽しく見ました。
箱根なんて3回も扱うのだから、びっくりしてしまった。
2回目までは「最高じゃないか」と思う傑作だったけど、3回目はさすがにネタ切れの感があったなあ。
地元民の私が知らない話を出してきて、「そんな土地だったのか、ここは!」と喜ばせてくれるなんて、感謝しかないです。
ブラタモリはすでに100回を超えていて、日本各地を取材しているから、全国の人々がそう思っているはずです。
旅番組は、その場所の魅力を掘り、好きになったり行きたくなるのが理想だから、見事です。
ブラタモリは賞をあげたいくらいに面白い番組で、完成度の高い作りですが、ただ1つ弱点があります。
どうしても、草彅剛さんのナレーションを好きになれません。
聞くたびに「元気ねえな、活気ねえな、盛り下げてるな」とイラついてしまいます。
草彅さんはナレーションで見かける人ではないし、あえてブラタモリでは登用したのだと思うが、はまってないです。
声に魅力がないし、聞きやすくもないし、長所がありません。
彼の事は、随分前から心配しています。
死相が出ていると思うので。
常に顔色が悪いし、声には力も生気もないし、目は死んでいるし、無表情だしで、なぜアイドルとして売れてるのか意味不明だと思っていました。
実は、「草彅剛はゾンビなのではないか」と、ずっと前から疑っています。
草彅剛氏がある日、突然に緊急記者会見を開くと発表した。
以後の人生を左右するほどの重大な事を発表するという。
それで、すでにスマップは解散し、彼に興味を持つ者もまばらだが、さすがにテレビで生中継される手筈となった。
当日、沈痛な面持ちで現れた草彅氏は、いつも以上に元気のない様子で、取材陣たちは思わず息を飲み顔を見合わせた。
草彅氏は席に着き、会場は静まりかえったが、意を決した彼はついに言った。
「本当にすみませんでした。今まで隠していましたが、実は私、ゾンビなんです!」
その後は泣き崩れ、殺到する質問にまともに答えられない草彅氏。
「ゾンビは実在した、それも日本で芸能活動をしていた」、このニュースは世界を駆け巡り、騒ぎはしばらく収まりそうもない。
こんな事になったら、皆が大混乱するでしょう。
だが、かねてから目を付けていた私には、完全に冷静さを保つ自信があります。
「ふむ、ようやく告白したか。人間もゾンビも正直になるのが一番なんだぞ」と、説教臭い顔つきで眺める自信が、100%ある。
結局のところ、ゾンビだったとしても、特に害はないですから。
草彅剛は、根は良い奴です。
人間を食べたり、仲間を増やそうとしていかがわしい儀式を行いゾンビを氾濫させるなんてことは、しない奴です。
たまに裸で公園に出没してしまうが、それはちょっと目のやり場に困るくらいだから。
昔は皆、裸同然で暮らしていたのだからね。
話をまとめると、ナレーションには向いてないって事です。
たしか彼は、韓国語を学んで、ペラペラだったと思うんですよ。
いま韓国の芸能界が人気だから、語学力を生かして韓国との橋渡し役になれば活躍できるんじゃないかと思ってます。
さて。
そろそろ記事タイトルの『じゅん散歩』に行きますか。
この番組は、高田純次というお笑い芸人が、ブラブラと街を散歩して、興味の湧いた場所を取材する内容です。
毎日10~15分くらいの量で、平日の朝10時に放送されています。
私は録画して見てますが、見てるのはその時間に家にいる年配の方が多いみたいですね。
この番組、最初はたまたま見たのですが、第一印象は「あれ? 高田純次ってまだ生きてるのか」でした。
どうも私、長く彼を見ない間に「死んでしまった」と認識していたようです。
元々、私が高田純次さんを知ったのは、ビートたけしさんの主催する番組においてでした。
今から30年くらい前なのだろうか、彼らの他には、片岡鶴太郎、山田邦子、関根勤、たけし軍団あたりが出演するお笑いのバラエティ番組でした。
この番組は、たけしさんはスタジオでVTRを見てコメントするだけで、現場に赴いて笑いを取るのは高田さん達でした。
たけしさんは、太陽にほえろの石原裕次郎と一緒で、現場で汗をかく事は全くせずでした。
もちろん面白くもない。
そんな番組なので、たけしさん以外が頑張らなくてはならないのですが、たけし軍団のメンバーを筆頭に、たけしさんに気を使って遠慮する瞬間がありました。
そうなると、当然ながら面白くなくなります。
だからつまらなくなる時間がけっこうあったのですが、唯一遠慮をせず、どかーんと毎回爆発していたのが、高田純次でした。
面白いのも面白いのだが、その度胸の良さに、私は感心しました。
高田純次には、空気を読まない凄みがありました。
はっきりいって、たけしを完全に食っていました。
私の見るところ、純次さんがダントツに面白かったが、たけし軍団が何人も出演している番組だったので、外様大名扱いだったんですよね。
番組に一番貢献しているのに、どこか孤立していました。
見ていて不憫に思い、「素晴らしい才能があるのに可哀相だ。独立して頑張れば、天下を獲れるんじゃないかな」と応援してました。
お笑い芸人の中で最も面白い人の1人だったので、活躍していくのだろうと思っていましたが、その後いつの間にか消えてしまった。
彼は突き抜けた面白さがあるけど、ブレーキが効かなくて暴走する時があったので、制作側からすると使いづらそうでした。
私からすると、「そういう芸人の手綱をさばいて使わないでどうする」って事なんですけどね。
かれこれ15年くらい見かけなかったので、野垂れ死んだのだろうと。
無意識下でそう理解してました。
才能のある奴が場を得ずに野垂れ死ぬのは、かなりある現象なのでね。
ところが半年強ほど前に、突然現れたんですよ。どこからともなく。
向こうにしたら「ずっと活動してたぞ」という話かもしれませんが、私の認識世界には入って来なかったので。
久々に目撃したが、案外元気で、顔色も良い。あの眼光の鋭さも残っている。
「まだ死にそうにない」と嬉しくなりました。
死んだはずの人とばったり再会しただけでも驚き一杯でしたが、純次さんは生意気にも、じゅん散歩では自作の絵まで発表してました。
番組を見始めて知ったのですが、彼はデザイン系の学校を出ているという。
別に自慢になる話でもないのに、何回も話すものだから、私も知る破目になりました。
まあ彼の事だから、学歴詐称の可能性も高いのですが。
で、彼の書いた絵を見たのですが、人物画は全く似ておらず、ひどい出来です。
一方、風景画はきちんと彩色されているのも大きいのですが、割と良いです。味わいがある。
こっちはまずまずで、片岡鶴太郎とどっこいどっこいです。
彼の書く人物画は、やる気を感じないんですよね。
あの人、根本では他人に興味がないんじゃないだろうか。
描く人にぐうっと入り込む感じが、絵から全くうかがえないです。
まあいいんですけどね、絵がメインの番組ではないから。
じゅん散歩を最初に見た時、ちょうど純次さんは自分がプロデュースした靴を、直後の通販商品を売り出す時間枠で宣伝していました。
私はそれを見て、「じゅん散歩には高田純次の作品を売る時間があるのだ」と思ったのですが、実はあの時だけでしたね。
いつもは高田純次とは関係ない商品が売られており、たまたま私の初視聴で、彼とコラボした商品に当たっただけでした。
高田純次は、私の記憶していた通りのインチキ臭い表情と声音をまだ保持していました。
あの独特の節回しとテンポで、プロデュースした靴について「履き心地が良い」とか語って宣伝していた。
彼の言葉には全く説得力を感じなかったが、ハッシュパピーとのコラボで作られており、売れ残っていたのか最終処分セールで5千円引きだったし、なんだか見ていて魅かれました。
直感的に、「これは買いだ」と思いました。
5千円引きになってて、たしか送料込みで1万5千円くらいだったと思う。
すぐに電話で注文したところ、私の足のサイズはまだ在庫があり、あっさり購入できました。
おまけで純次さんの絵がプリントされたトートバッグも付く事になっていましたが、そっちは在庫切れでもらえませんでした。
オペレーターの方は申し訳なさそうに、「トートバッグのほうは在庫が切れております」と告げてきたが、全く悔しくなかったです。
「いえ、大丈夫です。何の問題もありませんよ。」と優しい口調で、しかし力強く返事し、オペレーターの方を安心させてあげました。
で、1週間くらいしたら、靴が到着しました。
さっそく履いてみたが、ぴったりのサイズで、そこそこ重量があるのに歩いていて全く疲労がきません。
見たところ革靴っぽいが(素材はよく分からない、興味もない)、スニーカーみたいな履きやすさです。
数日履いてみて、「やはり当たりだった。直感は正しかった」と嬉しさで一杯になりました。
ありがとうハッシュパピー、ありがとう高田純次。
まあ、多分、ハッシュパピーの貢献度が98%なんでしょうがね。
5年は履いて、履き潰してやろうと決意してます。
ハッシュパピーについては、ちょっと思い出があるんですよね。
脱線になりますが、ここでそいつを語ってみる事にします。
私の母方の祖父は、庄一という奴で、頑固で内弁慶で本の虫だったのですが、孫の私たちにやたらと靴を買ってくれたのです。
「贅沢はいかん」とか「物を大事しろ」としょっちゅう説教する爺さんだったのですが、根は買い物好きで、彼が亡くなった後に遺品整理をして完全に理解できましたが、無駄な買い物をたくさんする人物でした。
普段はしかめっ面している事が多いのに、買い物となるとご機嫌になる性格でした。
彼はかなりお洒落に気を使う奴で、外出時には帽子とステッキを欠かさなかったです。
私が大人になってから、昔の映画(白黒のやつ)をたくさん見て気付いたのですが、たぶん戦前のモボ(モダン・ボーイの略)に彼は憧れて体現していたのでしょう。
そんな人物なので、「靴にはこだわれ、靴には人間性が出る、靴を見て人は判断する」と、小学生の私によく説いてました。
まあ小学生なのでね、馬の耳に念仏で、いつもスニーカーを履いてました。
彼もそこは理解していて、一緒に買いに行ってスニーカーを選んでも文句は言わなかったです。
いつも祖父母の暮らす家に遊びにいくたびに、彼に連れられてデパートに行き、スニーカーを買っていました。
それが、私が中学生になったら、変化が訪れたのです。
中学になって最初に祖父母の家に行った時、超ハイテンションの庄一が待っていて、「革靴を買いにいくぞ」と満面の笑みで言ってきました。
こっちが乗り気でないのを見ると、「中学生になったのだから、ちゃんとした靴を持たないといかん」と、大真面目な顔をつくって説教してくるのです。
すぐに気付きましたが、孫に革靴を買ってあげたいのでした。
おそらく、私が小学校にあがる前から、指折りでこの日を待っていたのでしょう。それくらいのテンションの高さでした。
私としては、革靴を履きたい気持ちはありませんでした。
今でもそうなのですが、リラックスできる靴が好きで、大抵はスニーカーを愛用しています。
とはいえ、向こうが買ってあげると言っているのに、断る理由もありません。
革靴を1つも持ってなかったので、「1つくらい持ってもいいか」と思いました。
そして庄一に連れられて駅前に行きましたが、入った店がハッシュパピーの専門店だったのです。
当時は、ハッシュパピーなんて露ほども知らなかったです。
そもそも靴メーカーはアディダスくらいしか知らず、ナイキですら中学に入ってしばらくしてから知ったほどです。
だから、あの独特な犬のマークに眼が行くくらいで、なにがなにやら分からずでした。
だが祖父は、「素晴らしい靴メイカーなんだぞ、玄人好みの靴なんだ。これを履いておけば間違いない」と力説しました。
私は高級感のある店内の様子に圧倒されながら、祖父の勧めるままに靴を選び試着して、1足買いました。
きっと祖父は大満足だったのでしょうが、私は「???」でした。
その後、何回か履いてみましたが、足が苦しいし、身体に馴染まなかったです。
いま振り返ると、初めての革靴の感覚に、身体が戸惑い拒否反応を示していました。
「なんか違うなあ」と首をひねっているうちに、中学生なので足のサイズがまだ大きくなり、履けなくなりました。
そうして捨ててしまいました。
なんでもデビューした時って、そんなもんですよね。
ハッシュパピーの靴には何も感じなかったけど、祖父が推しに推していたのは印象深かったです。
それから7年ほど経ち、祖父はすでに亡くなっていましたが、ある時祖母と会話していて靴の話になりました。
私が「おじいちゃんはハッシュパピーが好きだったねえ」と言ったところ、一生忘れられそうにない、とんでもない言葉が返ってきました。
祖母はこう言ったのです。
「あの人がハッシュパピーの靴を好きだったのは、よく読んでる
スパイ小説の主人公が愛用しているからよ。
『スパイはたくさん歩かなければならないが、その職業の人が
ハッシュパピーを選んでいると書いてある。だから間違いない、
素晴らしい靴なんだ』と言ってたわ。」
これを聞いた時の衝撃と脱力感を、読者に伝えるのは容易ではありません。
村本庄一という人間の人生が、あんなに軽く見えた時も他にない。
庄一は本が大好きで、それはきっちり私にも受け継がれていますが、本で読んだことを鵜呑みにする所がありました。
新聞も時間をかけて隅から隅まで読んでいて、記憶力が高くて情報をよく憶えていましたが、入って来る情報を整理せずに頭に収納してる感じがあったんですよね。
とにかく知識を溜め込むことが、頭が良くなることだと思っている節がありました。
そんな人なので、スパイ小説の情報を丸呑みしちゃって、完全に乗っかってました。
「あの人は色んな靴を履いたけど、ハッシュパピーほど長く付き合ってきた靴はないわね」、こんな格好良いエピソードが欲しかったのですが、もう故人だしどうしようもないです。
脱線から戻りますが、ハッシュパピーには苦い思い出しかなかったんですよ。
だから高田純次プロデュースの靴も、買う時にちょっと迷いがあったんです。
直感を信じることが大切だと、『神との対話』などを読んで悟ったので、「これは当たりだ」という心の叫びに従えましたが、スピリチュアル・マスターとして覚醒する前の私なら買わなかったかもしれません。
ハッシュパピーの靴、良いですわ。
祖父の推しは、根拠薄弱だったが、結論は間違っていなかったですね。
良い靴に出会わせてくれた恩義を少し感じたのもあり、『じゅん散歩』を毎日見始めたのですが、高田純次の個性は昔のままですっかりハマってしまいました。
純次さんの良い所は、「インチキ臭い」のと「貧乏臭い」こと。
街をぶらつく様も見事で、社会からアウトしている感じが身体中から発散され続けています。
私に言わせれば、これぞお笑い芸人の姿です。
彼の素晴らしさは、庶民性を失わない事です。
私は先ほど、「高田純次がまだ死にそうにないと分かり嬉しくなった」と書きましたが、これは単なる寿命だけの話ではなくて、芸人としての寿命も含まれています。
ビートたけし、明石家さんま、とんねるず、ダウンタウン、といった連中は、私の感覚では「死んだお笑い芸人」なのです。
彼らは、大御所的な存在となり、カネの臭いがプンプンしていて、庶民性を失っています。
世間的には面白いとされているが、私は面白いと思いません。
お笑い芸人は、知的であっていいし、大金を稼いでもいいし、政治発言をしてもいい。
だが、金持ちの臭いが染みつき、人々から「あいつは俺たちの仲間じゃないな」と思われたら終わりです。
そうなったら、表面的には大笑いしてくれても、腹の底からは笑ってくれなくなる。
高田純次は、もしかすると豪華な私生活を送っているのかもしれないが(生意気にも自分の絵をカレンダーにして売り出すという、副業行為までしています)、出ているオーラに庶民的な地に足のついた安心感があり、金銭感覚も庶民から離れていません。
じゅん散歩を見ていて知りましたが、彼は意外にも知的かつ芸術的なタイプで、さらに年を重ねて成熟したらしく年配の方へのリスペクトもあります。
発言はちゃらんぽらんだが、世の中を冷静に見つめていて、「カネを持つ事にはさしたる意味はない」と達観している所があります。
純次さんにこれを言ったら、驚いて大否定するかもしれないが、態度からにじみ出ているんですよね。
ぶっちゃけた話、ビートたけしらも同じ価値観を持っていそうなのですが、彼らはそれを隠しています。
高田純次は、本音をポロッと意図的に出して笑いにする。
それも相手かまわずにです。
それをしても嫌味にならず憎まれないのは、彼が庶民だからと(仲間だと)皆が本能的に感じるからです。
かつてはビートたけしもそれが出来るのを売りにしていたが、もう今では出来ません。
自分の軍団つくったり映画つくったりして遠い存在になり、庶民と認識されなくなったからです。
純次さんは、自分をさらけ出す強さを持っていますね。
彼の発言を聞くと、自分を弱い奴だと思っているみたいですが、他の芸人より強い部分があるのは間違いないです。
彼のようにどんな職業の人とも自然体で渡り合えるのは、容易にできる事ではありません。
何か確固たるものを自分の内側に待っているな。
じゃないと、あれは出来ないから。
上手いとは到底思えない絵なのに、それを毎回にじゅん散歩の最後で発表するのも、一見するとバカ丸出しみたいに思えますが、よく考えると凄い度胸ですよね。
あいつは、只者ではない。
昔からそう思っていましたが、今でもそのままです。そこが素晴らしい。
私の見るところ、ビートたけしと明石家さんまは、弱い人間です。人間として小者です。
だから、本当の面白さはない。そう思ってます。
世間の評価とあまりに乖離していて、ただこう書いただけでは誰も納得しそうにないので、詳しく説明しましょう。
まずたけしさんですが、彼は「たけし軍団」というものをつくりました。
出世したお笑い芸人が、後輩を何人も身近に置くというのはよくありますが、普通は「師弟関係」です。
ところがたけし軍団は、師弟関係ではありません。
後輩たちは、たけしを「殿」と呼び、家来として仕えています。
こんないびつな関係を結び、「殿」なんて呼ばれて良い気になっている所に、たけしの心の弱さが現われています。
芸人における先輩と後輩の関係は、本質的に同志関係でなければなりません。
師弟関係なんて言うと、弟子が絶対服従の縦関係だと思いがちでしょうが、そうではないのです。
ちゃんとした師匠は、偉ぶらないし、弟子の意見に耳を傾けるし、弟子が一人立ちできるように育て導き、自分を超えるところまで行くのを願うものです。
それこそが健全な師弟関係です。
たけし軍団を見てほしい。そういった健全性は皆無です。
弟子のはずの後輩たちは、「殿」と呼んで付き従う。
そこには独自のものを磨き上げ一人立ちしようとする気概も、師匠を超えようとする気迫も感じらません。
実際に、たけし軍団からは、たけしを脅かすような大物は出ていません。
たけし軍団のメンバーは、たけしのコネで多くのチャンスを与えられたのに、開花しませんでした。
それは偶然ではなく、必然です。
たけしさんが自分を慕う若者を集めて、軍団を創設し、「殿」と呼ばせ始めた時、あまりに愚かな行為に呆れました。
恥さらしの極致だったので、すぐにやめるだろうと思ったのですが、あれから何十年も経つのにまだ続けていますね。
あの行いは、愚かなだけでなく、お笑い芸人としてのたけしの評判も落としたと思います。
芸に真摯に向き合う姿勢があったら、誰かに殿なんて呼ばせないでしょ。
たけしさんの著作『浅草キッド』は、とても面白くて大好きな本ですが、そこでは彼の師匠の深見千三郎が主役となっています。
師匠の深見から学んで成長していくたけしの一生懸命な姿が描かれていて、実に微笑ましい。
読むと分かるのですが、深見千三郎というのは(私は一度も見たことはないのですが)立派なお笑い芸人で、本物です。
彼の許で学んだからビートたけしが生まれたと言っていいと思うのですが、深見の生き様をたけしは踏襲できず、師匠ではなく殿になってしまいました。
そこが、たけしの弱さです。
弱いから軍団をつくって自分を守ろうとする。そういう逃げの姿勢だからいつまでも弱いまま。悪循環です。
そんな奴だから、本当の面白さは生み出せなくなりました。
無名なところから這い上がって、深見師匠から独立し頂点に登るまでの守りに入ってなかった頃は、すっごい面白かったのに。
たけしさんには、映画監督という顔もあります。
こっちについては彼の作品を1つしか見た事がないので、はっきりと評価はできないのですが、見た1作品は全く面白くなかったです。
つまらなかったので他の作品を見る気にならず、賞を取ったりして話題になった事もあったけど、無視してきました。
後悔は一切ないです。
次に明石家さんまさん。
彼は、本当の自分を晒していません。だから笑いに深みがない。
ずっとそう思って見つめてきました。
彼は色々と自分の話もするのですが、そこに実体が希薄です。
どこか霞みたいで、はっきりしない。説得力がありません。
ここで、彼の本性に関する貴重な情報を提供します。
これは今から30年くらい前の情報で、今の彼はこうじゃないかもしれないが、過去はこうだったと知るのは、彼を深く知る重要な材料になり得るでしょう。
ちなみにこの情報は、とある筋からのものですが、とても信頼できるルートからのものです。
30年くらい前に得た情報は、次の内容でした。
「明石家さんまは、寂しい家庭環境で育ったので、
人間関係が苦手である。
暗い家庭環境の影響か、食事は激しく偏っていて、
食べられるものが少ない。
友達が全く居ないので、仕事を終えると自宅に直帰するが、
自宅でいつもしているのは庭いじりと盆栽である。」
これを聞いた時、テレビで見せている姿とかけ離れているので、大いに驚きました。
だが、仕事の顔と素顔が違う人間はかなりいるし、特にお笑いの世界だとありそうな事なので、「ふーん」と思って終わりました。
私生活で何をしてようがどうでもいいし、他人がとやかく言う筋合いもありません。
だけどさんまさんの場合、見ていて何か苦しくなるんですよね。
常に笑いを渇望し、少しでも寒い時間があると動いて解決せずに居られない、異常に熱狂な仕事ぶりを見ていて、「この人、病気じゃないかな」と心配になります。
「無理しないで、もっと楽に行こうぜ。肩の力を抜いて、本当の自分を受け入れてみろや。」と言いたくなる。
世間的には明るく華やかな人間と見られているらしいが、私から見ると彼の笑いには実在感がなく、無理矢理に上げるテンポからは自信の無さが伝わるし、「本当は暗い人なんじゃないか」と思えるのです。
分からない人には分からないのかもしれないが、心に深い闇があるのをチラッと見せる時があります。
根は良い奴だと見ているので、無理に無理を重ねる芸風が痛々しくて哀れに思える時があるんですよ。
「さんま、そんなに頑張らなくても大丈夫だ、見捨てられないよ」と慰めたくなる。
今でも盆栽が趣味か知らないですが、もし趣味ならばそれをカミングアウトして、盆栽の番組は無さそうだけど、ガーデニングは流行しているからその手の番組に出ればいいと思います。
自分が好きな事を堂々とやったら、あの偽物の笑顔も少しは改善するのではないだろうか。
彼はサッカーも趣味で、それは公けにしています。
30年くらい前はミイラというサッカー・チームを作って遊んでいたくらいだから、本当に好きなのでしょう。
だが、クラブ・ワールドカップ(旧トヨタカップ)のゲストで登場し、サッカーについて熱く語っても、全然面白くないんですよね。
あれは本当に不思議。
人間って、自分が好きな事を話すと、どんな人が語っても面白い話が飛び出すんですけどね。
なんで明石家さんまだとならないのかな。
おそらく、もの凄く自分に自信のない人なのでしょう。
だから好きな事をしゃべっても、本当の体験や感想を語らず、ウケそうな事を言ってしまうのです。
そして実体の無いつまらない話になる。
たけしさんかタモリさんが、「さんまは面白いが、教養がない。どんな話をしても低俗な話になる」と評しているのを見た事があります。
本質を突いていると思いました。
たぶん、知識も教養もあるんですよ。でも、それを出すと笑えなくなると計算している。
もしくは小心者なのでありのままの自分を出せない。
ここまで読んだ人は、私がビートたけしや明石家さんまを嫌いなのだと思うかもしれません。
そんなことはないです。
良い奴だと思っているし、才能もあると思っています。
だからこそ、もっと素直に笑いに取り組んでほしいのです。
自分の殻に閉じこもった、テクニックだけの表面的な守りの笑いではなく、心にじんわりくる攻めの笑いをしてほしい。
やったら出来る人なので。
タモリと高田純次は、寒い空気になっても耐えられる粘り強さがあります。
変にあがかずに、そのうち温かい空気になるだろうといって待てる、寛大さがあります。
余裕と、他人への信頼があります。
そこが好きなんだよ。それが味わい深さ。
純次さんは昔はそういうキャラじゃなかったと記憶してますが、人間として成長したんだなあ。
最後にとんねるずとダウンタウンについても書きますが、長文になっているのでさらっと書いて終わりにします。
とんねるずは、色んな事をやっていますが、木梨さんが面白キャラを演じる時が一番ですね。
木梨さんはモノマネも面白く、「モノマネ専門の芸人を除くと、関根勤と木梨憲武のモノマネが一番だ」と思ってます。
石橋さんは、根が真面目な努力家なので何をやってもそこそこ面白いですが、突き抜けた笑いはない印象です。
とんねるずは、後輩の芸人やスタッフをいじるのを得意にしていますが、あれはキワモノで、しょっちゅうやってはいけない笑いです。
それなのにやり過ぎるから、つまらなくなる。
それに彼らが誰かをいじる場合、先輩をいじったほうが面白いんですけどね。
ダウンタウンは、コントが断然面白いです。
20年以上前のコントを見て、古く感じずに楽しめるのは、本当に凄いと思います。
フリー・トークもそこそこですが、コントの素晴らしさと較べると時間の無駄ですね。
今のとんねるずとダウンタウンを見ていて駄目だと思うのは、自分達の強い場所でやらずに、後輩の芸人いじったりしてお茶を濁していることです。
あとは金持ちの臭いがしていて、親近感を持てないことも、大きなマイナス点です。
おまけになりますが、タカアンドトシのコントが凄く好きです。
素晴らしい才能を持っていると思います。
彼らのコントは、暗さのない所が良い。爽やかなんです。ドリフターズみたいな気持ち良さ。
演技力を上げれば、もっと面白くなると思います。
話は面白く、テンポも良いので、演技力を磨いて1つ1つの笑いがビシッと決まればさらに良くなるでしょう。
コントなのに身体の動きが少ないし、身体の動きに面白さが薄いと思います。
話術は高いので、身体面を改善すれば凄いレベルにいけるのではないかと期待してます。
先輩の真似をしてるのか、バラエティ番組の司会みたいなこともしていますが、全然面白くないですね。
あんなのやらなくていいよ。
あとウーマンラッシュアワーの漫才、良いです。
良いよ、見入ってしまうもの。
村本さんのしゃべりのテンポが速すぎる気はするけど。
あのマシンガン・トークは、音楽でいうとスラッシュメタルかデスメタルなんですよ。
客層が限られちゃうんだよねー。若者じゃないと付いていきづらい速度です。
基本的にリズムは、ゆっくりだと高齢者にウケやすく、速いと若者にウケやすいです。
ウーマンラッシュアワーの漫才は、内容が広い客層を設定できるものだと思うので、万人が付いていけるテンポを採用したほうがいいと考えてます。
でもリズム感覚は人それぞれなので、あのノリが気持ち良いならそれで行けばいい。
村本大輔は、やれる。
順調に行けば、あと30年くらいすると、インチキ臭い雰囲気を身に付けて、万人と隔てなく接して雑談をかまし、下手くそな絵を書いてそれをカレンダーにして売るようになるでしょう。