(『日本はなぜ、戦争ができる国になったのか』矢部宏治著から抜粋)
吉田茂・政権は、『岡崎・ラスク交換公文』を交わして、基地権(在日米軍の特権)について、アメリカに全面的に譲歩した。
交換公文とは、国家間でかわす合意文書の1つで、往復書簡の形式で書き、それぞれがサインする。
公けに発表しないので、密約となるケースが多い。
『岡崎・ラスク交換公文』は、岡崎勝男とディーン・ラスクがサインしたものだが、米軍の日本占領が終わった後の事について決めたものである。
(岡崎は当時、吉田茂・首相の右腕だった人物)
この交換公文は密約として処理されたが、後に首相にもなる宮澤喜一が著書『東京ーワシントンの密談』に書いて、一般公開した。
宮澤は本の中で、次のように語っている。
占領軍は平和条約の発効後に90日以内に日本から撤退しなければならないと、平和条約(第6条)に定められていた。
だが、『岡崎・ラスク交換公文』で骨抜きにされてしまった。
私は、折衝中の日米行政協定の草案を見たが、次の規定があった。
『アメリカは駐留を希望する地点(基地)について、平和条約の
発効後90日以内に日本側と協議し、同意を得なければ
ならない。
ただし90日以内に協議がととのわなければ、ととのうまで
暫定的にその地点にいてよろしい。』
協議がまとまるまで居ていいのでは、90日と日を限った意味がない。
非常に驚いて、この規定を削るよう外務省に申し入れた。
ところが再び驚いたのは、この規定は行政協定からは姿を消したが、『岡崎・ラスク交換公文』に入っていた。
それを知った時には、すでに行政協定は両国の間で調印を終わっていた。