仙田聡という絵師は天才かもしれない
(2019.4.17&19&23.)

しばらく前の事ですが、仙田聡という絵師を知りました。

なかなか良い絵を描くなあと思い、ネットで検索してみたところ、彼のウェブサイト「xianren」があった。

そこには彼の絵がたくさん置いてあるのだが、見ていて「この人、天才なんじゃないだろうか」と感じたのです。

というわけで、今回はこの件に絡んで色々と書いていきます。

仙田さんのサイトに行けばすぐに分かりますが、彼は「本の表紙や挿絵」「ゲームのキャラクターの絵」を主に描いている。

この手の人は、一般的にイラストレーターと呼ばれていますが、私は『絵師』という古風で職人的な一匹狼の響きのする呼び方が好きです。

実際に彼らは、フリーの立場で一匹狼の活動をしている事が多い。
だから今記事では絵師という呼び名で統一していきます。

私が本の表紙やキャラクター絵に関心を持ったのは、人生を振り返ってみるとかなり早い。

小学生の頃には確実に興味を持ち熱心に見ていたし、それより前の保育園時代にも絵本やテレビアニメや特撮ヒーローもののテレビドラマを通じて、絵やキャラ・デザインを楽しんでいた。

そう考えると、私の人生で最も長く続いている趣味と言ってもいいのかもしれない。

私は本が大好きなので、必然的に大量の表紙と挿絵に出会う事になった。

その中で印象に残っているのは、「ゲームブックの挿絵」と「SF小説の表紙」と「歴史群像シリーズ」です。

ゲームブックは、今では廃れて見かけないが、1980~90年代には書店で1コーナーを占めるほどの人気を持っていました。

これは作品のスタイルとして、大量の挿絵を必要とする。
だからどの本にも挿絵が一杯だったのですが、中には実力のある絵師が起用されて高質の絵が散りばめられたものがあった。

10冊に1冊くらいかな、出来が良くて興奮する絵師の作品があるんですよ。
そうなると絵だけ見ても楽しいし、やはり絵が良いとプレイしていても盛り上がる。だから記憶にも残る。

ゲームブックの内容は、ほとんどが冒険もので、モンスターが登場するものが多い。

主人公たちの装備する剣や鎧、モンスター達の絵を、どう描くかで、絵師のセンスと画力が測れる。
ぶっちゃけた話、やっつけ仕事のどうしようもない絵も、かなりあった。

だけど、こんな日の目を見ないと思われる仕事でも、サボらずにきっちり描く絵師もやっぱりいるわけですよ。
子供なので大人の事情(依頼料がいくらかとか)は全く考えなかったが、「真面目にやる奴と手を抜く奴がいる」というのははっきり見て取れましたね。

で、真面目に描いてる作品に出会うと、「偉いなー」と思ってました。

変わった作品になるとSFや推理ものもあり、そうなるとまた違った絵の世界になる。

1冊の値段も手ごろなので、今から振り返ると、かなり楽しませてもらいました。

SF小説の表紙に話を移しますが、私の読んだのは外国からの輸入作品がほとんどでしたが、表紙は日本の絵師が担当していました。

良い絵だなと思い、誰が書いたのか確認すると、大抵は日本人の方でした。
よく分からないが、たぶん日本で発売するにあたり、日本人向けの表紙にしたほうが売れるのでしょう。

小説の内容が奇想天外かつ多様なのに対応し、表紙も幅広いスタイルで描かれていて、私を楽しませてくれた。

正直なところ、表紙は素晴らしいのに、肝心の中身の話がつまらないというパターンもあった。
その逆で、表紙はダサいが話は面白いという事もあった。

SF小説は、ひとつずれるとファンタジー小説や冒険小説になる。

ここいらの垣根は非常に曖昧なのだが、ファンタジー小説にも良い表紙がかなりありました。

ファンタジーものだと、竜などのモンスターや、剣を腰を下げた筋肉質の人物が、表紙を飾ることになる。
だからゲームブックに近いスタイルでした。

傑作の表紙だと、その本を持った時にワクワク感があるんですよね。

読む前から「きっと面白い話に出会える」と期待させてくれる。
表紙からストーリーが浮かび上がってくる感じがあり、アドレナリンみたいな何かが体内から出てくる。

ま、実際のところ、中身はいまいちでガクッとくる事もあるのですが。

ちなみに、SFものもファンタジーものも自分で買ったのではなく、祖父の蔵書を読み散らしたのです。

祖父はSF、ファンタジー、推理、冒険のジャンルが大好きで、蔵書の9割を占めていました。
それを20歳くらいの時に見境いなく開き、面白いのは完読したのですが、その過程でかなりの表紙に接しました。

あの頃は中身の文章ばかりに注目していましたが、いま思い出すとけっこう絵が浮かんでくるんですよね。

祖父はとっくに亡くなっているので、読んだものは売ったり図書館のリユース・コーナーに持って行って、今では手元に残していないのですが、面白かった作品と、面白くないが表紙が素晴らしい作品を、いくつかまだ持っています。

歴史群像シリーズは、歴史好きなら一度は見た事のあるシリーズ本だと思います。

大判の本なうえに表紙が赤色で目立つのだが、その表紙には中国的なタッチの細かい筆使いで、強面の好戦的な表情の武将が描かれている事が多かった。
(今回、確認してみたところ、毛利彰という絵師が担当してますね)

この絵のインパクトは絶大で、書店に平積みで置いてあるとすぐに発見でき、絵が格好良いので欲しくなる。

このシリーズは中のページでも、昔の衣装や合戦場の様子を描いた、高質の絵が載っていることが多かった。

さらに、昔の絵師が書いた肖像画なども載っているので、狩野派などの巨匠の絵も楽しめました。

1冊で1200円くらいするので、子供には簡単に買えるものではなかったが、好きなシリーズなのでよく買ってました。

中身の文章は、学者や歴史小説家が担当してたけど、かなりの人数で分担しており、質に差があって1冊の中でも面白い記事とつまらない記事があった。

冷静に見たら充実の記事は少なかったのかもしれない。でも歴史勉強の入り口として大いに役立った。
これを見て戦国武将の名前と業績を憶えましたから。

甲冑の着こなし方とか、城郭の構造といった、歴史本で教えてくれそうで教えてくれない部分を、このシリーズだと絵入りで解説してくれるので、勉強になりました。

お世話になった歴史群像シリーズですが、子供心に「そのうちネタが尽きて消えちゃうんだろうな」と思ってました。まだ続いているのかな?

今回、ネットで検索してみたけど、続いているのか微妙だな。
ここ数年、ほぼ本屋に行ってないので、今でも新刊が出ているのか知りません。

本は、ネットで買うか図書館で借りるかになっていて。今気づいたのですが、いつの間にか本屋からすごく遠ざかってたな。
なんかいけない事してる気になってきた。今度いこうっと。

絵に話を戻すと、武将の絵だと正子公也さんが好きですね。

独特の色使いと構図で華があり、武将の表情も渋くて味わいがある。

彼の絵が使われると豪華さが生まれるし、一目で彼の作品だと分かるしっかりとした個性を持つ、素晴らしい絵師だと思ってます。

以上のように、本だけでも凄い数の絵を見てきたのですが、他にも漫画とコンピュータ・ゲームを通じて、様々な絵と出会ってきました。

次はそれを回想しましょう。

私が小学生の時(1980年代)は、週刊の少年ジャンプは全盛期でした。

今でもファンの多い傑作の漫画がずらりと連載されていて、それはそれはもの凄い人気ぶりでした。
バブル時代だったのもあると思いますが、売り上げ記録を次々と更新していました。

これについては思い出が一杯なので、そのうちエッセイのページで詳しく書こうと思ってます。

この時期に連載されていた漫画を挙げると、ドラゴンボール(その前はDr.スランプ)、キン肉マン、北斗の拳、キャプテン翼、聖闘士星矢と、キャラ絵の宝庫なんですよ。
(これ以外の漫画も凄かったのだが、ここでは割愛します)

私はこれらの漫画を見ることで、キャラ萌えに開眼してしまった。
毎週ジャンプを読んでいるうちに、自然に入り込み、ガチンコで向き合うようになった。

具体的に言うと、見ている漫画たちを単なる娯楽や消費物と思えず、登場人物たちに生きてる人間以上に愛着や親近感を抱き、徐々に文化・芸術と認識するようになって、人生の一部としてしまった。

私と同じ世代で少年ジャンプを熱心に見ていた人は、多かれ少なかれこの感覚があるのではないだろうか。
だから今でも日本の各地で、ふとした時にケンシロウのセリフが出てきたり、かめはめ波のポーズが見られるのである。

これらの漫画は海外にも輸出され、世界中の人が見ることとなった。
そのため現在では、世界中でかめはめ波が打ち出されたり、ドライブシュートのフォームが披露されたりする様になっている。

私からすると、自分の後を継いだ息子を見ている心境です。

今回のテーマである「絵師」という観点からいうと、特に興味深かったのはDr.スランプ(ドラゴンボールの初期も含む)と聖闘士星矢ですね。

Dr.スランプはギャグ漫画だが、舞台であるペンギン村が南米のジャングルにも劣らないほどの多様な生態系を持っていたため、怪獣や歩くウンチやミニ・ウルトラマンといった変わった生物も暮らしてました。

だから読者は色んなものの絵を見られたのだが、どの絵にも個性と味わいがあり、漫画ではなく1コマ1コマを絵画として見ても面白かったのです。

作者の鳥山明という人物は、完全な変人で、ウンチに散歩させたり、がっちゃんという謎キャラを登場させたり、神様がエロジジイだったり、自分がロボットの姿で作中に登場したりと、ぶっ飛んだセンスを見せ続けていました。

で、大人達は「こいつは天才か変態だ」と思ったのでしょうが、私たち小学生からすると「俺らのセンスを遺憾なく発揮している、やるじゃないかお前」という気持ちでした。

Dr.スランプの世界は、子供にとっては遠い非現実の世界ではなく、いかにもありそうな、でもなぜか近くに見当たらない環境でした。

そんな鳥山明の作品は、当然ながら少年の私は熱心に見たのですが、驚愕し呆れたのは「各回の扉ページ」です。

普通の漫画だと、扉ページはストーリーに関係のある絵が多いのですが、鳥山氏はどういうわけか全然関係ない絵が多く、恐竜を書いたりレトロな車を書いたりと、やりたい放題でした。

自分の好きな絵を描いてるのが一目瞭然で、完全に趣味に走っていた。
「こんな事してよく編集者に怒られないな」と感心するやら呆れるやらで、「この人、一般社会なら絶対に通用しないな」と鳥山氏の人生と将来を心配したものです。

趣味に一直線の個人的かつ独善的な扉ページ群だったが、その絵は非常に質が高く、見飽きることのない傑作ばかりでした。

子供だったので感心するだけで終わったが、いま振り返ると芸術作品ですね。
鳥山氏は、ただ毎週ストーリーを描き進めるだけに飽き足らず、しょっちゅう扉ページで1枚絵の作品を発表していたのです。

すごい力を入れてるのが伝わってきたし、だからこそ私は「おい、ストーリーと関係ないんだから、もう少し手を抜けよ。なんでそんなに頑張るの?」と不思議に思ったわけです。

よく芸術や文化はムダや暇から生まれると言いますが、全くその通りで、鳥山氏はそういう必要性のないムダに見えることを続けていたからこそ、その後にドラゴンクエストというゲーム史上の傑作のデザイナーになれたのでしょう。

あの扉絵たちは、ドラゴンクエストに繋がるものがある。

次に聖闘士星矢ですが、これは特殊能力を備えた鎧(作中ではクロスと呼ばれる)を着てバトルする作品です。

私が作者の車田正美は深刻な変人だと思ったのは、クロスが箱に収納されている状態と、それを解体して身体に装着するやり方が、扉ページを使って解説されていた事です。

扉ページをわざわざ使って、プラモデルの組立図みたいな奴を、これみよがしに描いて見せている。
その絵には、子供がロボットの絵を描いてその作り方を説明するみたいな、純真で想像の世界に飛んでしまう遊び心と無邪気さがあった。

私は自分が子供ながら、「大人がこんな事を真面目にやっちゃうんだ」と少し驚きましたね。

あれってストーリーを進める上では必要ないと思うんですよ。
むしろあんなの描いたら、「本当にその方法で収納と装着が出来るのか」が論争されちゃうじゃないですか。

実際に私たちは、「あの絵の通りにやれるのか」と話し合ったものです。

尽きない議論を生じさせる危険な解説絵に思えたのだが、副産物として、あの組立図を元にして。クロス一式と装着させる人形がセットになったおもちゃが発売されたんですよ。

4千円くらいしたとおもうのですが、本当に漫画と同じに装着できるのか興味津々だったので、買ってしまいました。

で、やってみたところ人形にちゃんと装着できた。
嬉しかったですね。子供は大人には裏切られる事が多いので、約束を守ってもらったような気がして。

まあ、おもちゃとしては、何回か着脱させたら飽きちゃったのですが。
でも飾っておけるから。

この体験後は車田氏を尊敬するようになったのだが、残念な事に連載が長引くにつれて、上記したクロスの収納・装着の解説ページが乱暴になってきた。

見てて分かるんですよ、きちんと考えずに何となくで描いているのが。

この作品、ストーリーも徐々に支離滅裂になってきて、「これはいかんぞ」と危機感を持って眺めていたら、突然に連載終了しちゃいました。

最後の終わり方は酷いものでしたが、連載が始まってから2年くらいは凄い作品で、クロスを着た時の恰好良さ、脱いで元の形に置いた時の美しさは輝いてました。

そういえば、キン肉マンと銀牙(の続編だったか)では、主人公たちが鎧を着た時期がありましたねえ。
あれは聖闘士星矢の人気にあやかろうとしたのかな。

賛否両論だったのかもしれませんが、私は鎧を着たキン肉マン、けっこう好きでした。

以上のように、漫画からも様々なデザインを知り、絵についての感性を養ったのでした。

次にコンピュータ・ゲームの絵なのですが、記憶に強く残っているのは、家庭用ゲーム機の初期型であるファミコンとスーパーファミコンの絵が多いです。

現在のゲームのほうが遥かに技術が進化していて精密に描かれているのですが、あの頃の絵の方が好きなんですよね。

しかしぶっちゃけた話、鳥山明が担当したドラゴンクエストをはじめとして、そのデザインの素晴らしさを当時のコンピュータ技術では4分の1も表現できてなかった。

だから絵が素晴らしいといっても、それを十二分に表現しているのはソフト(カセット)の外箱に描いてある絵とか、ソフトに付属している説明書にある絵とか、派生品の下敷き等のグッズなんです。

ドラゴンクエストのシリーズでは、ゲーム内のグラフィックが鳥山明の絵をちゃんと表現できるようになったのは、ドラクエ8からだと思う。

8はプレイステーション2をハードとして発売されたが、ようやく立体感と実在感を持って鳥山ワールドを表現していた。

でも不思議なもので、リアルな絵で表現されたら感動するかというと、そうでもない。

ハードがファミコンだったドラクエ1~4では、粗いドット絵なのに鳥山さんの特徴である可愛いモンスターたちはかなり表現できてたと思う。

その一方、主人公たちの立ち絵や、装備する品々は全くリアルに表現できてなかった。

私はロトの紋章や、それが刻まれたロトの盾など、装備品のデザインの良さに感心していたが、ドラクエ8まではゲーム内でそれを味わうことは出来ず、鳥山さんや他の人が書いた絵を見て満足するしかなかった。

だから、「コンピュータ技術がもっと進化したら、きっとゲーム内でも表現できるようになり、素晴らしいデザインを堪能できる」と、ずっと心待ちにしていたのです。

でもドラクエ6の辺りから鳥山さんの絵が変わり、好きになれなくなってきて…。

8でついにリアルに表現されたのを見て嬉しかったけど、モンスターにも装備品にもキャラ達にもかつての輝きが感じられなかった…。

私が思うに、ドラクエにおける鳥山明の絵は、5までがピークだった。

特に1~4のソフトの表紙絵は、芸術そのものだと思う。
当時からその格好良さにしびれていたが、自分が大人になり、いわゆる画家と呼ばれる人々の作品も大量に見るようになってから、それと比べて全く劣らないクオリティだと気付かされて、ドラクエの絵を再認識した。

ドラクエ6以降は、鳥山の絵に緊迫感と格調高さが失われ、見る者を圧倒する力が感じられない。

漫画のドラゴンボールのほうも、ある時期から魔法が失われ、単なる格闘漫画になってしまった。
私はそう思ってます。

ドラゴンボールについては、後期のほうが好きという人もいるみたいだから、好みの問題なのかもしれないが、初期の遊び心満載で伸びやかなタッチの、亀仙人といった面白キャラが一杯だった頃のほうがずっと魅力的だと思うのです。

私が鳥山さんの絵に魅力を感じなくなった時期は、彼が巨匠とか大御所と呼ばれ始めた時期と重なっている。

ドラゴンボールとドラクエの大ヒットにより、ヒットメイカーとして持ち上げられたのであった。

これについて、私はものすごい反感を持った。
だって鳥山明は、変人で変態じゃない。

彼の原点であるDr.スランプでは、主人公の少女ロボット(アラレちゃん)はウンチと親しみ、ウンチを木の棒でツンツンしたり、その木の棒にウンチを刺して持ち歩いたり、ウンチを片手に「キーン」と言って走り回ったりしていた。

もう一人の主人公である千兵衛博士も、エロ本大好きの激エロ男で、想いを寄せる女性の裸を覗こうとする変態野郎である。

そんな漫画を描いてた奴が、巨匠のわけないでしょ。

鳥山明は、変人でド変態なんですよ。

だからこそ魅力的で、常人の届かない絵を描けるのに、それが巨匠だって?
ふざけるなっての。

周りが巨匠とか大御所と呼ぶのを許している時点で、鳥山明はかなり危ない状況にあると見ていたが、私の懸念は的中し、その後に彼の作品は輝きを失ってしまった。

巨匠とか先生とか世間で言われるようになると、だいたいダメになりますね。

そもそも一流の芸術家は常に挑戦的で賛否の分かれる作品を創るので、世間から激賞される事が少ないんです。

世の皆が褒めるようになったら、創作が下降線にきていると危機感を持つくらいじゃないと、芸術家であり続けるのは難しい。

ファミコンでドラクエ4が出た時、同時の発売だったと思うのだが、その表紙絵を使った下敷きが文房具屋に並んだ。

それを私の弟が買い、長い月日を経て、現在では私が日々愛用しています。

で、その下敷きを使いながら見ていて今思うのが、「これは芸術だな」ということ。

なんだか知らんが、使っていて充実感と満足感がはんぱないんですよ。

考えてみると、葛飾北斎といった伝説的な絵師たちも、実際には襖絵とか扇子絵とか、今でいうカレンダー絵とか芸能人の姿絵といった、日常的な作品も描いていた。

それが後の世に芸術作品として扱われるようになっただけで、当時は庶民の使うありふれた作品だったわけです。

そう考えてみると、ドラクエ1~4あたりの表紙絵は、あと数十年もすると「絵画」的に扱われるようになり、応接室の壁に額に入れて飾られるのかもしれない。

冗談でも何でもなく、本気でそういうクオリティの絵だと思う。

私は高校を卒業した頃から、絵画にも興味を持つようになり、美術館に行ったり、図書館で本を借りたりして、色んな絵師の作品を見ました。

その過程で、漫画とかそこらにあるイラストを一段低く見る時期もあったのだが、色々見てきて思うのは「良いか悪いかだけだな」というシンプルな結論。

見ていて飽きることがなく、幸せな気分になったり感動できるなら、それが傑作じゃないか。

この心境に辿り着くと、「子供の頃に楽しんだ作品には、当時はそうと気付かなかったが、芸術作品があったんだ」と理解できたのです。

そんなわけで、今では偏見なく力みなく、世の中全部の絵を自然体で眺められるのですが、そうするとコンピュータ・ゲーム界にも芸術の絵を描ける人がいると悟れました。

1番有名なところだとドラクエの鳥山明とFFの天野喜孝なんでしょうね。

実は私、FFにおける天野さんの絵があまり好きではありません。

素晴らしい個性を持っていて、誰にも真似できない世界を表現していると脱帽したが、好きになれないんですよ。

絵の線がぐにゃぐにゃしていて、下絵みたいじゃないですか?
下書き見せられてる気がしちゃって。

天野さんの絵だと、グインサーガ・シリーズの表紙絵や、PS作品のレブスの絵のほうが好きです。
あっちのほうがぐにゃぐにゃしてないと思う。

いや、ぐにゃぐにゃ、ぐちゃぐちゃしてる方が好きという人もいるだろうと予想はできますけどね。

同じ系統(淡い色使いが似ていると思う)の絵師、末弥純さんのほうが、私は好きなんです。

正統派のファンタジーという感じがして。

コンピュータ・ゲームだとウィザードリィの仕事が有名みたいですが、ジルオールでも良い絵を描いてますよ。

コンピュータ・ゲームで一番好きな絵師は、寺田克也さんです。

神宮寺三郎シリーズとBUSINシリーズのキャラクター・デザインをした人なんですが、大好きな絵ですね。

彼の絵の素晴らしい所は、その人物の内面が表情やしぐさに見事に現れていて、見ると一発でその人物が分かる感じがするのに、その絵を喜怒哀楽のどの場面で使ってもきっちりはまる事です。

深みがあるんですよ、顔の表情と身体のしぐさに。

BUSINはPS2で出た作品ですが、低予算で作られたからでしょうけど、寺田さんが書いたキャラの絵がストーリーを通じて使い回される。
楽しい場面でも悲しい場面でも、同じ1枚絵でいっちゃうわけです。

それなのに、全くだれない。
すごくないですか、同じ1枚絵を色んな場面で使っていって、それで抜群に説得力があるって。

ファミコンの頃だと同じ絵を使い回すのがしょっちゅうでしたが、絵が粗いのもあって場をもたせるのが大変でした。どうしても飽きてしまう。

寺田さんの絵は細部まで描き込まれているので、PS2以前だったら表現しきれなかったと思う。
BUSINのスタッフは頑張ったと思うのですが、原画を忠実にゲーム内グラフィックに描き起こしているね。良い仕事しているよ。

寺田さんは人物画を描いた時に、その人の光の面と影の面を両方込められるんですよ。
良い肖像画家ってそうじゃないですか。それと同じ。

だからどんな場面で用いても違和感がないし、飽きがこない。

寺田さんはモンスターの絵も素晴らしくて、生々しくて体液を感じさせるスタイルです。
ボスクラスのモンスターだとグロテスクなのを精密に描くから、怖いし気持ちが悪い。

ドラクエで鳥山さんが描く可愛いモンスターとは、真逆です。

BUSINは、ダンジョンを潜るゲームだというのもあるけど、グロテスクでじめじめドロドロしたモンスターばかりです。

私はホラー映画が大っ嫌いだし、グロいの嫌いなんですが、寺田さんの絵だと芸術的なので見入っちゃうんですよね。

絵の持つ力がハンパないし、人物の隠れた気持ちを絵に込められるしで、日本で最高の絵師の1人なのは間違いない。

さて。
ここまでに名前を挙げた絵師たちって、みんな天才だと思うんです。

こういう絵師の描いた作品を見るのが好きだし、キャラクター絵が好きなので、たまにネット・サーフィンして色々見ます。
で、実力を感じる絵を見つけて、聞いた事のない絵師だった場合、その名前を検索してみたりもする。

そうやって、しばらく前に「仙田聡」という絵師のホームページに辿り着きました。

ちなみに絵師の人って、フリーの立場で一人で仕事受けている人ばかりだけど、意外にも自分のホームページを持ってない人が多いですね。

今はパソコンを使ったデジタル画の人の方が多いだろうし、コンピュータ技術に詳しそうなのに、ツイッターやってるくらいでホームページ持たない人が多数を占めてる。

自分のサイトを立ち上げて、そこに描いた絵を載せて宣伝したり、どんな絵が得意か説明したり、やりたい仕事を書いたりしたほうがいいと思うんですけどね。

フリーだからこそ、そういう事したほうがいいのにな。

たぶん、シャイな人が多いんだろう。
世間に自作をドーンとアピールするのはおこがましいとか思ってるらしい。

絵師の多くが、作品を世に出してるくせに、隠れ暮らしてる感じがある。
自分は雇われる職人であり、脇役で目立つべきでないと考えているのか。

「もっと前に来い、お前ら! そんな後ろからこっちを覗ってるんじゃない」と言いたいですね。

仙田聡さんは、自分のホームページ「xianren」を持ち、そこに大量に絵を置いてる。

そこがまず良いね。

大量に絵を置いてるページを見つけると、嬉しくなる。
美術館に来たみたいな気分になれる。
つまらない絵だったらすぐに撤退すればいいし。

で、肝心の仙田さんの絵だが、基礎の画力がしっかりしていて、どの絵を見ても完成度が高い。

人物の表情、身体のライン、全身のバランス、どれも高精度で、違和感がなく見れる。

例えば女の子だと、顔と胸にだけ力いれる絵師がいるんです。
あと服にだけ力いれる人とか、鎧にだけに力入れるとかする人もいる。

そういう一部にだけ注力して、全体の出来を軽視するスタイルが、私は嫌いなんですよ。

仙田さんは全体図に配慮している感じがして、そこが高評価ポイントの1つ。

あと彼の絵は、身体の部位の角度や、肉の付き方が自然だと思う。

たいていの絵師って、あり得ない身体つきにさせちゃう事が多いんですよね。
足が異常に細いとか、首が長すぎるとか、腕の角度がおかしいとか。

そうなると説得力がなくなり、長時間見るのに堪えなくなる。

彼の絵を見てて、かなりの実力者だと感じたのですが、世間的にはその他大勢の絵師の一人という評価から出てないようです。

だから気になっちゃってね。ここで取り上げることにしました。

「大きな仕事を与えたら、飛翔するんじゃないかなー」と思うので、誰か抜擢してほしい。
私が本とかゲームのプロデューサーだったら、重要なのに起用するんですけどね。

仙田さんの絵を見ていて思ったのは、「どんな絵を描いても上手いが、これが自分のスタイルというものをまだ築いてないな」という事。

才能あると思うし、画力が高いので、「これぞ私!」という絵を築けばトップクラスに踊り出られるはず。

色んなスタイルで描けるって事は、勉強し努力してきてる証だし、基礎が出来てるから、逆にもっとめちゃくちゃなチャレンジをしてもいい気がする。

私が感心するのは、絵の完成度が高いのに、さらっと描いてる雰囲気で、「頑張って描きました」という重い空気になってない事です。

そこは凄い美質だと思うな。絵に軽やかさがある。

「仕事もらってお金のために頑張りました」という空気ではなく、「楽しく描いてたら完成しました」に見える。

絵に遊び心があり、余裕を感じさせるんだよね。だから大物なんじゃないかと。

注目する絵師になったから、気にかけていきますが、5年以内にブレイクすると思う。

あれだけの実力があり、努力を続けてるから、そのうちドーンと来るでしょう。
「ドーン」なのか「ドカーン」なのか、「ドゴーーン、バシュッゥーー、ガキッィィーン」になるかは、彼の努力次第だな。

最後におまけとして、レコードのジャケットの小話もします。

今はあまり流行ってないけど、CDの前にはLPレコードの時代が長くありました。
そのジャケットのデザインで絵師たちが腕を振るったんですよねー。

LPのジャケットは、大きさが絵を表現するのにちょうど良いと思うんです。

片手で持って、ゆっくり音楽聴きながら眺めるのに最適なサイズ。

あれ以上大きいと片手で持つのがつらく、椅子に座ったりしながら、まったり時間をかけて見るのが難しい。
逆にあれ以上小さいと、表現できる事が限られてしまう。CDは小さすぎるよね。

私は絵師ではないけど、「LPのサイズ、やりがいあるだろうなー」と思う。

LPの全盛期には多くの絵師が関わったんでしょうねー。

マイルス・デイビスのジャケットを横尾忠則が手掛けたりしてるもんなあ。

私はジャズが一番好きなので、ジャズ・アルバムを多く見たり買ったりしてきましたが、ある時、驚いた事があったんですよ。

ブルーノート・レーベルのジャケットにたまに登場する、筆使いがくにゃくにゃしてて下書きみたいで、空きスペースの多いスカスカした絵を描く人が、その世界で超有名な人だと知った時です。

ブルーノート・レーベルは、アルフレッド・ライオンという人が運営した小規模のレコード会社ですが、音楽もジャケットも最高峰です。

この会社が出したレコードには凄い高級感と重量感があり、レコード棚に集めるとそれだけでニヤニヤしてしまう位の逸品たちなんです。

で、ほとんどのジャケットにはフランシス・ウルフという写真家の撮った写真が採用されています。

このウルフという人は天才で、彼が撮ったジャズ・ミュージシャン達の姿は神々しくて、芸術そのものなんですよ。

彼が撮ると、ジャズ・ミュージシャン達は「音楽家」ではなく、「創造者」として写し出される。

それをジャケットにバーンと大きく使うと、創造的な雰囲気が一杯に溢れるのです。

ウルフの写真を使ったブルーノートのアルバムは、それを3枚買って自室に飾ったら、部屋全体がジャズの空気に染まるぐらいの圧倒的な存在感がある。

3枚で部屋を支配し、その部屋がジャズ・クラブ化するほどに、オーラというか魔力を持っている。

だから私は、ウルフという写真家を心底から尊敬し愛しています。

そんなブルーノートのLPたちだが、たまに描写の壊れた絵が使われて、ウルフの写真じゃない時があるのです。

その壊れた絵は、上記した様に、くにゃくにゃスカスカしている。

ギターを弾いてる姿を描いた絵もあるのですが(ケニー・バレルのBN1543)、私はギターを弾いてたから分かるけど、全然リアルじゃない。

弦を押さえる左手指も、弦を鳴らす右手も、酷い形をしていて、絶対に良い音で鳴らせない。

「ひっでえ絵だな、気持ち悪~。このジャケット、外れだな」なんて思ってました。

ところがその壊れた絵を描いてるのが、アンディ・ウォーホルという人物で、「伝説的レベルの絵師(デザイナー)だ」と本に書いてあるのに出くわした。

いやー、びっくりしました。

で、改めてよーくその絵を見てみましたが、やっぱりデッサン壊れてますね。

絵とかデザインって難しい所がある。

その人の好みによって、評価が天と地ほどに離れてしまうので。

まあでも、ウォーホルの他の作品(ブルーノート・レーベル以外での仕事)も見ていったら、その素晴らしさに気付いたんですけどね。

いま冷静に考えると、ウルフの写真に惚れ込んでいるので、それじゃないジャケットだと失望感が大きかったのだと思います。

「あの恰好良くて硬派で音が聴こえてくるほどに迫真のウルフの写真に対し、このヘナヘナした絵はなんだ!」という心境だった。

ことジャズに関しては、ウルフの写真は絶品で、ウォーホルほどの巨人でも全く歯が立たない。

絵の世界、写真の世界、どこにも凄い人がいますねー。


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