数日前に最終回が放送されたのですが、TVドラマの『きのう何食べた?』という作品を楽しく見ました。
初回からではなく、第5回くらいから見始めたのですが、毎回面白くて、傑作だと思いました。
この作品、原作は漫画ということですが、私は読んだ事がないです。
ゲイのカップルが主人公ということ、主演に内野聖陽という私の好きな役者が出ていること。
この2点により、「もしかしたら面白いドラマかも」と試しに見てみたところ、当たりでした。
たぶんそのうち再放送されると思うので、私は見逃した回を見るつもりだし、見た事ない方もチェックしてみて下さい。
ゲイ・カップルの話なので、男同士でベタベタする場面があると思っていたのですが、全くといっていいほどなかったです。
中年のカップルなので、もはやそういう事があまりないのか、それともゲイの人は案外ベタつかないのか。
作者の意図(作風)なのか、それともテレビなので自主規制したのか。
理由は分からないですが、とにかく性的表現が無かったです。
それが、私としては好印象でした。
正直なところ、男同士のキスとか、男同士のベッド・シーンとかあったら、ドン引きになり、見るのを止めたと思います。
別にゲイの人が嫌いなわけではないのですが、男同士や女同士のキスとか見ると虫唾が走る感じがあるんですよね。
「オエーッ」ときてしまうのです。身体がうけつけません。
ちなみに私は、TVドラマとか映画で男女がベタベタするのも好きではありません。
「そんなもん、あえて表現する必要あるか?」と、冷めた目で見てしまう所があります。
性格なのでしょうが、小説でも恋愛小説が嫌いです。
『きのう何食べた?』は、性的な場面がなかったし、恋愛メインの話ではあるがベタついてないので、普通のドラマと変わらない感じで見られました。
そうして、社会の少数派の苦労が丁寧に描かれているので、むしろ社会派ドラマの趣きが強く、そこが私に合ったのです。
出演者たちは真面目に芝居する人が揃っていたし、カメラワークなど演出も落ち着いていて、大人の作品でしたね。
カメラワークが不必要に五月蠅いと、それだけで見る意欲が失せるものですが、この作品は要らない動きが無くて、良い仕事をしてました。
この作品は、料理するシーンが毎回ごとに長くあり、レシピを詳しく描くという、料理ドラマの側面も持っています。
たぶん原作がそういう作りなのでしょう。
あれを見てレシピ通りに作る人がいるのか分からないですが(意味があるのかよく分からないが)、個性的で印象的ではあります。
人物たちの色々な悩みとか苦労があって、話が重い展開でも、あの料理の場面になると爽やかになります。
実際、つらい時でも食べる時間はそれを忘れられる事があります。
食べるのが人生の楽しみという人も多い。
そんな感じで、あの料理の場面になると人生ドラマが休憩タイムになり、見てる側はホッと力を抜けます。
なかなかセンスの良い構成ですね。
ゲイのカップルが主人公で、その生活や思考が描かれるわけですが、基本的な発想や行動に男女カップルとの違いを感じませんでした。
正直なところ、私の知り合いにゲイの人が居ないので、このTVドラマで描かれるゲイの日常がどれほど真実味があるか、判定できません。
よく知っている事柄だと、「ここはリアルじゃない」とか「この場面はよく描けている」と論評できるのですが、知識がないので「ゲイの人の日常ってこんな感じなのかなあ、へーえ」みたいな曖昧な感想しか持てなかったです。
本当かどうか知らないのですが(私の実体験と乖離しているのですが)、同性愛の人は20~30人に1人の割合で居て、5人に1人は同性愛の傾向があると聞いています。
統計的にはそういう数字が出ているそうです。
ところが私の知り合いには同性愛者が居ません。
居てもおかしくないのですが、居ないのです。
ぶっちゃけた話、もしかすると身近に居るのに、気付いていないのかもしれません。
私の友人や知り合いには、女性的なナヨッとした男性や、男性的な女性がいます。
でも、色んな人がいるから気にしてないし、改まって「同性愛者なの?」なんて聞かないから。
自分が同性愛者じゃないと、相手がそうかどうかなんて気にしないと思います。
だから同性愛者の知り合いが居ないし、その人達の生活ぶりも見えていません。
でも冷静に考えれば、同じ人間だからそんなに変わっているはずないですよね。
というか、異性愛者だって変な奴が一杯いるし。
私には縁遠い世界(関心の極めて薄い世界)なのですが、世の中には動物と性行為をしたり、アナル・セックスをしたり、小便を飲んだり、SMプレイをしたり人がいるといいます。
エロ本を見ると、そんな性癖の人々が出てきます。
真面目な映画や小説でも出てくる事があるし、ノンフィクションものでも出てきた事があります。
だから、生で目にした事はないし、目にする気もないのですが、存在するのは確実でしょう。
こういう人々に比べれば、同性愛なんて普通と言ってもいいのではないかな。
今記事を書いていて、色んな性癖の奴がいる事を考えていたら、次のような話が頭に浮かびました。
せっかくなので、発表したいと思います。
※ここからしばらくは、SF小説を読む気持ちで、読んで下さい。
1年ほど前の事だが、あるニュースが報じられた。
それはほとんど世人に注目されなかったが、短くまとめると次の内容だった。
『ある大型犬(ここではXと呼ぶ)と性交をすると、人間とするよりも15倍の快楽が得られる』
もちろん、そんな事が発表されても、実行する人は稀だった。
ところが先日、続報が報じられた。
『その大型犬Xとの性交は、ある特殊なホルモンを人間から大量に分泌させる事が確認できた。そのホルモンは大変にすばらしいもので、まだ実証過程ではあるが、継続的に出していけば寿命が20年ほど伸びると推定される。』
発表したのは、某有名な研究所である。
だから、この話を一蹴するわけにもいかない。
この研究成果が知られるようになって以後、富裕層を中心に、急速にXを飼う者が増えていった。
Xは珍しい犬種で、今まではある国の原始的な生活を送る種族しか飼っていなかった。
それが、非常に強靭な身体を持ち、寿命も他の犬種よりも遥かに長い事が知られて、研究され始めたのだが、大きな発見に繋がったのである。
不思議な事に、Xとの性交で発生するホルモンは、他の犬種だと一切発生せず、人間同士でも発生しない。
そしてそのホルモンは、人工的に作るのが全く困難である。
Xは希少種なので、高額で取引されており、現在は富裕層ばかりが入手している。
だが、目をつけた業者が、その血統を増やす努力を始めたという。
Xは頑強な身体で精力も強く、増殖させるのは簡単だと見られている。
私こと村本尚立は、この一連のニュースを懐疑的に眺めていた。
よくある、何かのいかがわしいブームであり、単なる金儲けの一種だろうと。
そのうちに終息するだろうと確信していた。
ところが、その予想は完全に外れる事になるのだった…。
それから、20年。
もはや私の住む世界は、全く変わってしまったといってよい。
『大型犬X』の物語は、今では最終章を迎えているのかもしれない。
というのも、今ではXとの性交を楽しむ者が、世の大半を占める様になってしまったからだ。
もう、人間同士の性交を楽しむ者はほとんど居ないのである。
確かにXをめぐる研究成果は目覚ましいものがあった。
Xと性交をすると生じるホルモン、あれは研究が進み、副作用が全くない事が判明し、個人差はあるが平均で寿命が50年も伸びることが分かった。
単に寿命が伸びるだけでなく、そのホルモンに若さを保つ抜群の効果がある事も、今では周知されている。
さらには、Xの増殖計画は極めて順調に進み、今では大量生産できており、値段も手ごろである。
最近では、Xの品種改良にも着手されていて、より可愛い顔立ちの良いものや、性交技術の高いものが登場し始めている。
振り返ってみると、Xを飼う者が出て来た当初は、多くの人が眉をひそめたものだ。
「いくら特別の快楽が得られ、寿命が伸びるからといって、犬と性交するかね?」と、多くの人はバカにしていたのである。
その世の大勢が変わったのは、私が驚愕するほどに早かった。
しばらくすると、犬との性交をカミングアウトする者が出始めた。
流れが変わったのは、某大物有名人がカミングアウトし、愛犬との日々をネットで公開し、それが話題になってからだった。
その頃にアメリカのカリフォルニア州で愛犬法が成立し、犬と結婚する事が正式に認められたのも、アメリカに何でも追随する日本にとっては大きかった。
Xの成獣は成人女性ほどの大きさになるのだが、価格が低下し、飼うためのノウハウ本が出たあたりから、日本でもお試しで飼う者が急増した。
そうした人々は、Xとの性交に感動し、「もう人間に戻れない」と口々に語った。
この現象は最初は人類滅亡への道と危険視されたのだが、現在では子供を作らない人が増えているし、体外受精の技術も進んでいる。
さらには「Xとの性交には無限の可能性があり、研究していけば人間の寿命は200年伸びる」との最新報告も出ており、「それなら人口は減らないのではないか」と危機感は失われつつある。
現在の日本では、人間同士の性交をする者は、1割ほどといわれる。
夫婦となっていても、それぞれが愛犬を抱えるのが当たり前である。
考えてみれば、寿命が50年も伸びるのだから無理もない。
こうなってみれば、異性愛者も同性愛者もない。ひとっからげに「時代遅れの人間同士の性交を行う者たち」とバカにされている。
外国では宗教的な問題から、頑なにXとの性交を禁じている国もある。
だが将来的に寿命が200年も伸びるというのだから、その禁忌が破棄される日も近いだろう。
その一方で、Xを神聖視したり神格化する者も現われている。
「Xこそ救世主である」とか「人間はXと性交するために生まれてきた」と主張する者が支持され、最近は「X教」なる新興宗教まで誕生した。
X教の信者たちは、Xを研究実験に使うことを強く非難し、品種改良で純潔が奪われると怒っている。
私は、もともとかなり保守的で、流行に乗るタイプではない。
そして犬が昔からあまり好きではない。猫派なのである。
だから、Xを飼った事はない。
その事を後悔していないが、すでに私の周りのXと性交をしている同年代の者たちとは、外見など老化に顕著な差が出てしまっている。
最近は、友人や親戚から「なぜXを飼わない」と詰問される事が増えている。
「お前がXを飼っていないのは、一目見れば分かるぞ。お前のために言うんだ、Xを飼え」と、忠告らしいのだが始終言われる。
人の性交において、何が正しいのだろうか。
私は犬とは性交したいと思わない。周りがどうあろうが。
それで損をしようが、私の生き様ではないのである。
私が上記のSF小説で言いたかったのは、『視点が変われば評価も変わる』という事です。
Xとの性交が多数派の世界になれば、異性愛者と同性愛者は人間同士の性交を指向する少数派の仲間になってしまうわけです。
結局のところ、少数派というのは時代が変われば多数派になる可能性があります。
だからこそ、現状に居心地の良さがある人は少数派を非難し弾圧するのです。変わる可能性を排除するために。
こんな風に私は大きな視点で物事を捉えられるようになったので、同性愛者に対して何の危険性も感じません。
同性愛者じゃないので、積極的に関わろうとは思わないですが、居ても問題ないし、大型犬Xみたいに世を席捲して同性愛者が世界に満ちる状態になっても、ほとんど動揺しないでしょう。
究極的な話をすると、同性愛者だけになって特に何の手も打たれず、地球人類の種が絶えても、「ああ、そうか」くらいにしか思わないですね。
冷静に考えれば、かつては人類は地球に存在しなかったのだし、その状態に戻るだけです。
宇宙規模で見れば、人類の存在する星は多いし、地球では一度絶えるというだけの話ですからね。
「地球人類は崇高で特別な存在である」とか「地球人は世界を支配する権利がある」みたいな驕りにみちた価値観を、私は持っていません。
だから、皆が楽しく暮らして幸福を追求し、その上で種が絶える結論になるなら、全然受け入れますよ。
私が受け入れられないのは、一部の人間が儲けたり他人を支配するために作った、核兵器みたいな愚かな技術で、人類が滅亡することです。
これには我慢がならない、絶対に阻止してやる。
だいぶ話が脱線したので、そろそろ元の『きのう何食べた?』に戻しましょう。
原作の漫画は、ネットで調べたところ、まだ連載中です。
TVドラマのバージョンは面白かったから、原作が続いている以上、「シーズン2(続編)」が放送される可能性はかなりあると思います。
私は、このTVドラマを見ていて、ドラマ史に残る傑作になる力を秘めていると感じました。
そこで「シーズン2」を前に、ここを良くしたらいいという点を指摘しようと思います。
課題はシンプルで、『主役の1人である史朗を演じる西島秀俊の演技不足』、これに尽きます。
もう1人の主役である賢二を演じる内野聖陽の演技が素晴らしく、脇役たちも頑張っているので、秀俊の力量不足がモロに見えてしまう。
西島秀俊が演じる史朗は、常識人の傾向が強く、恋人の賢二と対して感情表現に乏しいです。
大人しいキャラクターです。
この方向性は理解できるのですが、見ていてロボットみたいで、魅力に乏しいのです。
内野聖陽がしっかり演じているから場が保っているが、秀俊だけだとすぐに飽きがきてしまう。
秀俊の演技を見ていると、きちんと役を掴めていないと思います。
フラフラしている感じが拭えず、単なる良い人にしか見えません。
弁護士という高級職をしていて、ゲイである事を世間にカミングアウトせずに暮らす人物が、単なる良い人で終わるか??
そんな表現はあり得ない!
秀俊の演技からは、本気を感じません。まだ本気を出してない。
分からない人には分からないかもしれないが、私は感じ取っています。
彼が本気を出して、聖陽と良い意味で勝負しだしたら、真の意味で傑作になるでしょう。
「シーズン2」を楽しみに待ちたいと思います。