吉本の大騒動、私の視点
(2019.7.31.~8.4.)

吉本興業が、いま熱い。

連日のように新たな話題を提供し、見事なエンターテイメントぶりを発揮している。

私がこの騒動に注目したのは、多くの方もそうだと思うのですが、宮迫博之、田村亮の暴露会見を目撃してからです。

この会見、表向きは謝罪会見の体裁だったが、主に博之のほうが吉本興業の上層部とのやり取りを激白し、見た者は「謝罪よりも吉本の内情の酷さに目が行った」わけだから、暴露会見と言っていいでしょう。

そうして、それまで悪役扱いだった者が、急転して「勇気ある告発者」となり、正義側になってしまった。

その後、お笑いの老舗「吉本興業」の腐りっぷりが明らかになったので、皆がどうなるのかと固唾を飲んで見守っていたところ、急展開があった。

松本人志が暗躍したのもあって、急遽、宮迫・田村会見で悪事が表に出てしまった岡本昭彦・社長が、釈明会見を開いたのです。

そこでは長~い時間をかけて釈明が行われたが、言葉には重さも誠意も論理性もなく、賢明な国民は「ほとんど嘘だな、こりゃ」とあっさり見抜いてしまった。

味方であるはずの吉本の芸人たちからも、「ゼロ点」とか「やらない方が良かった」とか「何が言いたいのか全く分からなかった」とか「信用できない」と、フルボッコの批判が殺到する有様。

ここまででもかなり衝撃的な事件だが、これで終わらなかった。

続報がひっきりなしに出てくる。皆がこの日を待っていたのではないかと思うほど、あちこちから暴露話が咲いてくる。

「今の吉本の体制は、松本人志が中心になっている。岡本社長も元ダウンタウンのマネージャーなんだよ」

「吉本はブラック企業で、芸人と正式な契約を交わしておらず、ギャラも一方的に吉本が割り振っているんだ」

「お笑い芸人を養成する学校をいくつも創設して、授業料とって大儲けしているんだよ」

「今では日本政府や大阪府といった行政とも結び付き、100億円以上も投資をうけて税金が注がれているんだ」

「お笑い以外の事業にも乗り出しているが、赤字も随分と出しているぞ」

「上場廃止になったけど、テレビ局と癒着するために株を大手テレビ局たちに持ってもらっているんだよ」

「若手芸人のギャラは雀の涙で、まさに搾取だね、これは」

まさに黒い話のオンパレード。

世間的には「これは笑えないよ。笑いを提供しなければいけない団体なのに、全然笑えないよ…」との空気になっているらしい。

でも私はこういう話が大好物なので、大笑いしてます。

快笑し、ガッツポーズを決めた上で、「よし、吉本潰れちゃえ!」なんて思ってます^^

徐々に、『一番悪いのは、吉本の上層部じゃないか。で、そこと一部の芸人グループがくっついて威張っているんだな』という構図が見えてきた。

真の犯人が浮かび上がってきた。

私としては、もはや宮迫博之、田村亮はどうでもいいです。

今回の吉本騒動はいくつもの問題が発覚したわけですが、私が一番「これはまずいだろ」と思ったのは『吉本興業が日本政府や大阪府と深く結んで、ビジネスパートナーみたくなっていること』ですね。

これを知った時、なぜ最近のお笑い芸人が面白くないのかが、初めて根っこから理解できた。

骨のある笑い、社会風刺のきいた毒のある笑いが、非常に少なくなっている。
そりゃそうなるよね、お笑いの最大手の吉本興行が権力とがっちり握手しているんだもの。

今の芸人の多くが、時事問題を話す時に奥歯に物が挟まったような言い方をする。

躊躇いがあるし、遠慮があるし、遠まわしで、全然面白くない。

普通の人が遠慮する所で、「パコーン」と本音(皆が内心で感じていること)を爽やかに吐き出し、「言っちゃったの、それー」という笑いの渦がその場を包む。

これが無いんだよ、これが。

そもそも笑いは、庶民に寄り添うのが基本で、権力とは距離を置くのが基本。

権力におもねる話をしても、普通の一般人からしたら、何の面白味もない。

「だからどうした、それの何が面白いの?」ってなもんですよ。

権力との距離感は、笑いの根幹に関わるものなので、それが一番問題だと思うのです。

ところが、テレビを見ていると、お笑い芸人もコメンテーター達も、「吉本は方針を変えて、権力と距離をとらないといけない」という意見がほとんどない。

つまり危機意識がないので、「やべえぞ、これ」と私は思ってしまう。

テレビ番組での意見の方向は、「吉本は今の世に合わせて、現代的な企業経営にならないといけない。そうなればビジネスは上手くいく」という感じ。

テレビ局は吉本の株主になっているので、「早く企業体質変えて、又がっぽり一緒に儲けましょー」という気持ちなのだろうか?

そういう事じゃないと思うんだけどなー。

芸の道として、庶民よりも権力者の代弁者になるという、「金は儲かるかもしれないが、あきらかにつまらなくなる方向」に行ったら駄目でしょ。

長期的に見たら滅亡するよ、その選択は。

話を宮迫博之、田村亮の暴露会見に移しますが、あれを見た時に「久しぶりに宮迫博之が面白いじゃないか」と思ったんですよね。

博之は、元々はキワモノ系の「どぎつい芸人」だったんですよ。

彼は人相が悪くて、目付きが特に悪いのが特徴ですが、あの悪相で目をカッと開いて怖い表情をつくり、「お前死ね!」とか吠える芸風だったのです。

で、身体を動かして暴れるとかなり面白く、相方の蛍原徹が全く面白くなくて足を引っ張りまくっていたが、徐々に売れていった。

それが、売れるにつれて狂人ぶりが減り、普通の人になっちゃったんです。

「何をやってるんだ博之、それじゃあ面白くないだろ。決死隊の肩書きはどこにいった」と、嘆きながらずーと見てました。

そんな牙の抜けた、耄碌してヨボヨボだった博之が、あの会見では復活していた。

あの目付きの鋭さが、寄ってきた奴に噛みついてやるみたいな気迫が、戻っていたのです。

田村亮さんは誠実・不器用のみの人なので同情しながら見ましたが、博之に関しては会見の途中で「全部ウソじゃボケ!俺が謝るかボケ!」とか言って、全部をぶち壊しの笑いにしてくれるんじゃないかとワクワクしながら見てました。

だっふんだ!みたいな、それまでの全てを破壊して終わるオチが、そのうち出てもおかしくないと。

結局オチは無かったが、正直、私は今でも、博之には一切同情心は起きてません。

あの会見も博之の部分は、「博之が久しぶりに放った渾身の新作コント」くらいに見てますね。

なにしろ、笑えたので。
あの顔だから、真面目に話すと余計に笑えるんですよね。

宮迫博之は、悪相だから、反社会勢力が仲間だと思って近寄ってくるのも無理ないと思う。

私は、「この人の顔相は、いつか犯罪に手を染めて捕まる」と、予想してました。

だから私からすると、「なに、この程度の事件か。むしろ微罪じゃないか、良かったな」という心境です。

宮迫博之のコントと較べると、それの続編である岡本社長の釈明コントは、すべりまくりで酷い出来だった。

松本人志がプロディースしたらしいのに、散々な内容で、プロディーサーの人志まで匙を投げボロクソにけなしたほど。

あれを見れば、『権力者ってつまらない』とよく分かるでしょ。

だから笑いをするには、権力と距離をとらないと駄目。

今回の吉本騒動では、多くの芸人がコメントや批評をしているが、抜群に面白かったのが「おぎやはぎ」の批評でした。

テレビ番組のバイキングに出演してコメントしたのですが、どれも素晴らしかった。

特に面白かったのが、最後の所で小木博明が放った話。

「外国ドラマをよく観るんだけど」から入り、「松本さんが(善人の感じで)事態の収拾に動いてて」に繋げて、「ドラマだと最終的に一番ワルい奴は松本さん(のポジション)なんだよね」に持って行く。

見事な運び方で、スタジオも大爆笑でしたが、私も大爆笑でした。
本当に最高だった。今の所、お笑い芸人のコメントでナンバーワンじゃないかな。

『松本人志黒幕説』は、一部のメディアで報じられているけど、博明コメントが最高の出来だったので、私はすっかりそれを信じてます。

この展開だと面白いでしょ。実際に彼は経営陣と近くて、影響力を行使しているのは事実なわけだから。

全ての悪事の後ろにいて操っている極悪人・松本人志だが、彼はポロッポロッと真の姿を晒しているんですよね。

「吉本興業の中に松本興行をつくる」とか「このままなら僕が皆を連れて出ていきます」とか語り、下の者への愛を示そうとするが、自分がボスの立場を維持する提案ばかりで、権力への妄執がしっかりと感じ取れる。

さすがに一世を風靡したことのある芸人だけあって、ちゃんと伏線を張っている。
最終話に向けてさりげなく視聴者にヒントを与えるその腕は、確かなものだ。

この騒動で私にとって一番意外な登場人物は、加藤浩次だったんですよねー。

いきなり飛び出してきて、主役の1人となったけど、それまでは悪役専門のキャラで売っていたのに、どうも今回は正義側のエースらしいんです。

私にとって加藤浩次って、ツッコミ役なのにツッコミが下手で、行き詰ると逆ギレして吠えて笑いを取るしかないという、2流芸人のイメージだった。

それがテレビの解説だと、「吉本の東(東京)のリーダー格で、西の松本人志と対立している」との事。

「えーーー!!! あの声の汚くて、笑いも取れない男が、リーダー格なの?」と、びっくりした。

最初は冗談なのかと、ネタなんじゃないかと思ったけど、本当の事らしいんです。

お笑い芸人としてはイマイチだし、あんなヤンキー崩れの顔してますが、人望があるそうで、若手芸人から慕われているそうです。

で、若手を代表して吉本の経営陣と交渉をしている。

彼は「俺は今の経営陣が残るなら、吉本を辞める」と公約している。

会長も社長も辞めないみたいだから、「加藤浩次の吉本との契約解除」は確実でしょう。

彼が吉本を去るのは、ドラマのちょうど中間の回なんですよ。

それで飛び出た後に、ある雑誌で『吉本を飛び出た狂犬が吠えまくる!吉本の暗部をメッタ斬り!オレの思う吉本改革案』を連載し、新たな激動の展開が始まる。

ネタバレになりますが、最終的に加藤派と松本派の死闘となり、松本人志は海外逃亡、吉本の会長や社長は総退陣、加藤浩次も心労から発病して急死、になります。

まだまだこれからですよ、盛り上がるのは。

このストーリーのためにも、浩次には是非とも吉本を離れてほしい。

契約書がない=契約を交わしていないのだから、「じゃあね、バイバイ」と言って簡単に離れられるじゃない。

いま明石家さんまが、「吉本を辞めてもいいんだけど、若手の面倒を見たいからとりあえず残る」と発言している。

完全に外部者の私からすると、「彼みたいな大御所が抜けたほうが、吉本は危機感を持って若手を育てようとして時間も金もかけるから、若手の事を考えるなら吉本を辞めたほうがいい」と思うんですけどね。

吉本の文化として(芸能界全体の文化かもしれないが)、「大金を稼いでいる大御所が、売れてない若手に飯をおごるなどして面倒を見る」というのがある。

これが凄い美談として語られるわけですが、私の視点ではそれほど美談ではない。

これだと若手が先輩に従属してしまうと思うんですよ。

そんな事をするよりも、吉本と芸人で5対5のギャラ分けとか、きっちり決めて、売れ始めたらすぐにきちんとお金をもらえるようにしたほうが良いのではないかと。

若手だと「吉本9:芸人1」になっている出演料の配分問題について、元吉本の敏腕マネージャーらは「売れればいいんです。売れたら吉本1:芸人9まで行くんですから!」と説く。

でもさ、「吉本はファミリーなんです」とか言うなら、売れても5:5くらいでいいじゃない。

極端な話、「どんなに売れようが売れまいが「吉本7:芸人3」でいきます。吉本7の分で、劇場とか回していきます」というほうが、ファミリー感出るんじゃないの?

吉本の所属芸人は、みんな吉本大好きらしいから、一律に「吉本7:芸人3」にして、吉本7の部分で売れない芸人に生活保障したらどうかな。

ファミリーなんだから、お互いを尊重し、助け合わないといけないでしょ。

「才能ない奴は、金がなくても仕方ない」なんて、ファミリーだったら言えないはず。

あと、全員がファミリーなのだから、よその事務所に移る人がいても応援してくれるはずだよね。

家族の一人が新しい環境に身を置くことになるのだから、むしろ仕送りをしてくれるかもしれない。

自分の所から出て行った者を潰すなんて、吉本が毛嫌いしている反社みたいだもの。
そんな事、絶対にする事ないよ。

だから、安心して卒業(よその事務所への移籍)をすればいいんだ。

ギャラの割合については、テレビでコメンテーターの芸能人たちが皆、タブーだと思っているのか具体的な話を避けている。

そこで、私の知る情報をお伝えしたいと思います。

くだらないタブーをぶっ壊せたら幸いです。

私の母は若い頃、一時的に役者の道に行き、芸能事務所にも所属した事があります。

彼女の話だと(もう数十年前の事ではありますが)、当時は「役者7:事務所3」の配分が普通だったそうです。

力のある役者(人気のある役者)だと「役者8:事務所2」のこともあったという。

役者の世界とお笑いの世界は同じ芸能界でも若干の違いがありそうだし、役者でも劇団員だとまた違うのだと思う。

とはいえ業界に身を置いた母の、「私は役者7:事務所3だった。違う事務所の友達たちもほとんどが7:3だった」という証言はかなり参考になる。

ここから考えると、やはり吉本が若手に対して「芸人1:吉本9」で行くのは異常である。

ましてや、ある程度売れてきた芸人相手に「1:9」や「2:8」で応じるのは、詐欺的と言っていいでしょう。

私が思うに、もし吉本が本当に改革したいなら、「芸人7:吉本3」を基本にしなければならない。

これくらいの配分が、所属タレントへの最低限の敬意でしょう。

これが実現しないなら、どんどん吉本から離れて移籍すればいいんですよ。

そうやって、良い芸能事務所が勝ち残っていく。

こういう当たり前の事を起こさないために「ファミリー」という言葉で誤魔化しているのではないか。

ファミリーを強調するんだったら、所属芸人の全員に最低限の生活を保障すべきだと思う。

すでに書いたけど、一律に「事務所7:芸人3」にして、事務所が所属芸人みんなに生活保障するなら、それはそれで説得力がある。

だけどこのやり方だと、松本人志みたいな今ファミリーの結束を強調している人達は、心底をえぐり出すと自分の地位を守りたいだけなので、自分のギャラが減るのを嫌がってほとんどが他の事務所に移籍するでしょうね。

芸能界に居る人の多くが、本心ではこれまでの慣習を変えなければいけないと感じていると思う。

とりあえず事務所の移籍をもっと簡単に、爽やかに出来るようにしたらいい。

そういう意味で、加藤浩次とその仲間たちには期待しています。

他の事務所たちも、浩次らに勧誘かけて、条件面の話を持ちかけていいのではないか。

「これはチャンスだ、吉本から良さそうな奴は全部引っ張ってしまおう」、くらいの野望を持っていいと思うよ。

そうやって事務所が競争する事が、タレントたちの待遇改善にも繋がるわけだから。

さて。

ここからはおまけとして、ネプチューンの名倉潤さんが「鬱病で休養に入った件」が気になったので、私なりの視点で鬱病について書こうと思います。

この休養発表を聞いてまず思ったのは、勇気のある決断をしたという事です。

身体の病気と違い、心の病気は他人から理解されづらいので、カミングアウトする人が少ない。
下手をすると「怠けているだけだ」とか批判を食らいかねないので。

最近は鬱病への認知が広がり、誰にでも起きうると皆が知ったので、カミングアウトしやすくなった。

正直なところ、10年前だったら「根性が足りない」とか「やる気がなくなったらしい、引退か?」などと、批判的に言われてもおかしくなかった。

以前の日本は、精神的に参る人に対して、同情も理解もなかった。
現在、まだ身体障害者への同情と理解がない人がいるけど、要するに自分と違う人を理解して受け入れるのは大変だということ。

私自身が鬱病的な状態を経験した事があるので、ここからはその体験を踏まえて語ります。

いきなり結論を出しますが、鬱病というのは本質的には病気ではなく、『現状を変えたいと強く思う心が生じながら、様々な事情で変えられず、行き詰って精神の忍耐力が低下している状態』です。

よく「鬱病になるのは真面目な人」と解説されるのですが、それよりも「向上心を抱きながら新しい世界・状態に踏み出せない人」というのが正確な気がします。

鬱病になると嫌な事を我慢してやるだけの気力がなくなるのですが、好きな事だったら多少は出来ます。

鬱病の症状が悪化すると何もやる気が起きない所まで行ってしまうのですが、それは周りのサポートや理解がないからです。

今は鬱病への理解が進んできているから、そこまで悪化するのは少なくなってきていると思う。

鬱病になる人は(私の経験上だと)、心の奥に向上心があり、やりたい事もある。

でもそれを見失っていたり、素直に認められなくなっている。

で解決策としては、嫌な事はとにかく我慢できないので、まずそれをしない。

そして好きな事だと少しづつでも出来るので、それをやる。

これは周りから見ると我儘な行動に見えるけど、こうやって普段よりも極端に走り、『自分の好きな事を再発見している』ので、温かく見守って下さい。

非常に重要なのは、鬱病の本質には「現状を変えたい」という意欲があり、新しい状態に自分を持っていきたいという想いがある事です。

鬱病と言うと、やる気のない状態と捉えがちですが、本質的にはそうではないです。

だから周りの人が、「元気になって同じ状態に復帰してほしい」と願うのは、マイナスになる。症状の悪化に繋がる可能性も十分にあります。

例えば名倉潤さんの場合、いくつものレギュラー番組を持っていて、番組スタッフや仕事仲間たちは「彼が元気になって又元通りにやりたい」と当然思っているでしょう。

ところが、潤さんは内心では現状に不満があり、「この番組はやりたくない」とか「もっと違う事をしたい」と思っているんです。

そうじゃなかったら発病しません。

よく鬱病の人に「頑張れ」と言うと逆効果になるといいますが、鬱病の人は頑張るのが嫌なのではなく、同じ状態・状況で復帰するのが苦痛なのです。

「頑張れ」という言葉に、「頑張って元に戻ってくれ」というニュアンスを感じ、「それは嫌だ、それは無理」と感じている。

だから、周りが別の選択を許容できると、案外元気になるのが早い。

私としては、こういう理解なんです。

鬱病になりやすい人として、「神経質な人」「繊細な人」がよく挙げられる。

これも、そういう線が細い人というよりも、敏感に周りの気持ちを感じて、さらに他人の気持ちを深読みしすぎて、色々考えすぎて頭がごちゃごちゃになっているのが正解だと思う。

で、根っこの部分に他人の期待とか思惑に応えたいという優しさがあって、でも出来ないので苦しんでしまう。

こう考えると、鬱病というは個人の病気ではなく、周りとの関係が絡んだ複雑な問題なんだな。いま書いててはっきりと理解できた。

あとは、訃報などで気持ちが落ち込んでいる場合も、症状が出ることがありますね。

これも、心の奥には「今までとは違う自分になりたい」という欲求があると思う。
「今までとは違うんだ、新しい状況になるんだ」と感じて、新しい自分を模索する中での苦しみから症状が出るのだと思う。

このパターンだと、新しい自分に移行する(成長する)のを拒絶し、「新しい自分になるのは(亡くなった人などに)失礼に当たる」とか考えて、無理矢理に自分を今までの枠にはめて、それで苦しむ事が多い。

『人生とは変化あり、成長とは変化である』『生命は永遠であり、真の意味では死は存在しない』との、霊的な真実を頭に置いていけば、訃報で過度の苦しみに襲われることはなくなります。

鬱病の場合は、自分で自分にかけるプレッシャーや固定観念、周りの人がかけてくるプレッシャーや固定観念、から解放される事が重要です。

そうやって、新しい自分に出会う。

この真の解決法をとらず、職場復帰などで解決した事にしてしまった場合、また発病する可能性がある。

私の鬱病論は以上になります。

最後にもう一度言いますが、鬱病は本質的には病気ではありません。

電車で例えると、幾つもの路線と繋がっている駅で一度下車し、今までと違う電車に乗るために駅構内を移動したり、どの電車に乗るか調べたり、電車が来るのを待っている状態です。

これが他人には見えず、何もしてないように感じたり、別の電車に乗ろうとしているのに同じ電車にまた乗せようとするのです。


日記 2019年7~9月 目次に戻る