『引き寄せの法則』のページを更新しています
(2019.10.23.)

このところ、『引き寄せの法則』のページを更新しています。

もう少しで完成のところまで来ています。

あと『日本史の勉強』のページも、結構更新してます。

日記で書きたい事もあるけど、それは後回しにしてます。

エイブラハムの引き寄せの法則シリーズは、大変に面白いのですが、今までの概念や生き方を変えるほどの強烈な内容なので、コンディションの良い時でないと手を出せません。

だから勉強に時間がかかりました。

引き寄せの法則シリーズを読み、ノートにとって勉強している時、普段は使っていない脳の部分が活性化しているのを感じる事がよくあります。

独特の脳の疲労感があるのですが、これは神との対話シリーズを学んだ時にも感じました。

スピリチュアル系の上質の本を読み、新しい見方(視点)を獲得しようとする時(霊的に言うと自分の中にある神の視点を思い出そうとする時)、いつもと違う脳の使い方をするらしいです。

時には、ぐうーっと頭のてっぺんを上方に引っ張られる様な感覚になる事もあります。
この場合、2時間くらいの勉強(ノートへの書き取り)でぐったりするほど疲れてしまいます。

その一方で、非常に調子の良い時は、ペンが勝手にノートに書いてるという位にスラスラと運ぶ事もあります。

このような感覚は、他のジャンルを勉強している時に感じた事はないです。

私にとってエイブラハムの教えで付いていきづらいのは、「世の殺人や不正などの悪事は、あなたと関係ないのだ。あなたが創造したものではない。だからそこに注目する必要はない」という点ですね。

こういう、すぐには飲み込めない教えが出てくるので、学ぶのに時間がかかります。

冷静に考えれば確かにその通りで、私は、殺人などの暴力行為をしたいとも見たいとも思ってないし、不正をして自分だけ美味しい思いをしようする発想もありません。

だから、当然ながら私はそういう事を創造していません。

実際に、引き寄せは発生しておらず、周りにはそういう人はいないです。

「あなたの創造じゃないのだから、そんなの無視しなさい。それよりも、自分にとって気持ちの良い、自分がワクワクする楽しい事に集中しなさい。」というエイブラハムの意見は、もっともだと思います。

「エイブラハムの言う事は、本質を突いてるよ。説得力あるなあー」と思います。

だけど子供の頃から「悪事を見逃してはならない」と世間から教わり、「こんな悲惨な出来事があります」とテレビなどで常に知らされるので、なかなか貫徹できないのです。

一方で、『神との対話』シリーズでは、「あなた方は全員が魂のレベルで繋がっており、一見すると影響し合っていない様に見えるが、実はすべてが影響し合っている。本質的には無関係な人はいない。」と説きます。

私は、この考え、世界の捉え方にも真実を見ています。

この矛盾した2つの世界観は、視点の違いだと思っています。

つまり、どちらの視点も真実です。

エイブラハムの視点は、ぐぅ~と焦点を個人に絞ったもので、個人の視点からの創造を解説しています。

反対に神との対話の視点は、どわーと焦点を拡大して、宇宙的な視点からの創造を解説しています。

対立するよりもむしろ、お互いに語りきれない所を補完し合っている感じです。

もちろんエイブラハムだって宇宙論を語っているし、宇宙的な視点から創造の本質を見ています。
すべてが創造のエネルギーから生まれていると説き、その繋がりも話しています。

でもその広大な視点から物事の本質を説いた上で、最終的には「あなたは独立した創造者であり、他の人も独立した創造者である」となり、「あなたが他の人へ責任を感じることはない」と言われます。

「あなたは創造者であり、どんな他人からも創造の邪魔をされない。自由に生きられる。それと同様に、他人も自由に生きられるのである。他者を解放しなさい。創造は個人個人で完結できるのだ。」

これがエイブラハムの教えの1つですが、あなたは自由で誰にも侵害されないという事で深く安心する一方、創造は個人で完結する事(集団で動く必要がない事)に寂しさも感じます。

とはいえ、創造が個人で完結できるからこそ、完全な自由も獲得できるわけです。

神との対話だと「すべては繋がり合っている」と説き、「あなた方は偉大な創造者で、もっと進化できる。さあ手を取り合って、新しい世界を創造しなさい」と語ります。

こっちのほうが、私としては気持ち良いんですよね。

この発想に対しエイブラハムは、「その考えは、一つ間違うと多様性を排除する道に行く」と非常に消極的です。

エイブラハムの指摘も一理あり、現状が気持ち良い人に「新しき世界へ」と言っても、かえって相手を苦しめる可能性があります。
相手への押し付けになる危険性もあります。

エイブラハムは、「あなたは自分が幸せになれる人々を引き寄せればいいのだ。世の中には様々な人がいるし、それでいい。自由にやらせておきなさい。」と言います。

『人間は皆、成長や進化を求めている』という点では神との対話と考えが一緒なのですが、「あなたは自分の進化や成長に注力すればいい。そうすれば世の中にも良い影響がある」との考えで、「さあ手を取り合おう」とはならないのです。

さっきも言いましたが、どちらの視点も正しいと、私は結論しています。

私が『神との対話』や『引き寄せの法則』を学んで得たのは、新しい視点、それまでと異なるものの見方です。

何かを観察し判断する時に、神との対話の視点から見てみたり、次は引き寄せの法則から見てみたりと、手に持った物体をクルクルと回してあらゆる角度から眺める感じで、仔細に分析・評価できるようになりました。

「これは、この角度から眺めるとこう見えるな。でもこっちの角度からだと、だいぶ違うじゃないか。」みたいに、色んな視点から見て遊べるのです。

『神との対話』や『引き寄せの法則』に出会うまでの、多くの地球人がいまだに持っている現在の常識的な視点も、私の中には残っています。

だからそれも使った上で、「なるほど、世間ではこう見がちだが、地球で最新の視点(宇宙的な視点)を導入するとこう考えられるか」なんて、遊べるんですよ。

1つの視点に固執して、それを信じて安心したり、別の視点を否定したい人からすると、異常な行動に映るかもしれません。

でも、いくつもの視点を持つ方が、余裕が生まれて楽になります。

『神との対話』と『引き寄せの法則』は、私の生き方を変えた本であり、生涯の愛読書であり続けると思います。

でも、「これこそ真実だ! 最終回答だ!」と大きく出たくないんですよね。

なんかカッコ悪いじゃないですか、それだと。
1つの宗教や価値観に凝って、そこに属さない人を見下す、わりと居る人と違わなくなってしまう。

それに、さらに凄い視点に到達する(出会える)可能性は十分にあるし。

まあ、ここまで『神との対話』と『引き寄せの法則』の違いを書いてきましたが、冷静に考えれば一致している部分がむしろ多いですね。

「すべては創造エネルギーから成立していること」「全員が創造者なこと」「死は存在しないこと」「人間の本質は自由であり、愛や喜びを求めていること」「人間は神と一体であること」

ここいらでは完全に一致しています。

だから両者は、やっぱり視点の違いにすぎません。

とにかく、面白いんですよ、エイブラハムの『引き寄せの法則』は。

だから多くの人に知ってもらいたいと思い、私のウェブサイトで取り上げました。

エイブラハムって本当に面白い奴で、質問の内容次第では、今の法律や概念をぶっ飛ばすようなアナーキーな事も言います。

私のウェブサイトでは、引き寄せの法則の理論面を取り上げる方針で、法律との向き合い方なんかはそこには当てはまらない内容ですが、最後に少し取り上げようと思ってます。


日記 2019年10~12月 目次に戻る