明けましておめでとうございます
当面の方針
(2020.1.11.)

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

最近は体調が良いので、今年は記事作成が進みそうです。

このところ、昔にノートにとって勉強したものの整理をするなど、内政(内整)を進めてまして、このウェブサイトの更新は停滞がちでした。

ノート整理の1つとして、ジャズについて勉強したものを、このサイトの『私の愛するジャズアルバム』の下の方に移植したりしてます。

ただ捨てちゃうんじゃ勿体ないものは、こそっと隠れる様にしながら、このサイトに置いちゃおうかなと。

そんな事もしております。

しかし、いまや2020年ですか。

正直なところ、この時期まで生きられるとは若い頃は想定してなかった所があり、感慨深いものが少しありますね。

私は霊的な世界・思想を学んだので、世界が進む道(未来)は1つではなく、いくつもの道があるのを理解しています。

で、そうした道には、2020年になる前に地球人が絶滅するものもあったのです。

「そうなんですか、尚立さん。私は初耳です。」なんて思う方もいるかもしれませんが、本当にそのようにこの物質世界は創られています。

だから、「私達は頑張った。滅亡しない道を選んできたじゃないか。地球人は存続する道、共存する道を選択してきたのだから、とりあえず褒めていいんじゃないか。」と思います。

地球人の皆で、一緒に称え合う拍手をしておきましょう。
パチパチパチ。

このサイトの当面の方針ですが、日本の近現代史を最近は主に勉強しており、すでにノートに書きためているので、『日本史の勉強』のページが多く更新されていくと思います。

日記のページは、書きたい事がけっこうあります。
でも以前と違って日記なのに書き出すと長くなってしまうのがほとんどで、5日間くらいかかる事がよくあり、書き出すのに勇気がいるんですよね。

なんとか1ヵ月に3つ位のペースで書きたいのですが、どうなるか分かりません。

文章力がアップしてきたため、以前だったら削っていた(表現できなかった)事柄も上手く書けるようになったのですが、その分だけ長文になってしまいます。

成長している手応えはたっぷりあるのですが、すぐに長文になる癖が付いてしまった。

さらに成長すると、書こうと思えば全部書けるけど、あえて書かずに短くする、という世界に入れるのかもしれない。そんな気がする。

あとは、このウェブサイトで大きく取り上げている『神との対話シリーズ』に、新作がしばらく前に登場しているのを知りました。

ニール・ドナルド・ウォルシュと神の対話、その書籍化は、『神へ帰る』で完了したと思っていました。
『神へ帰る』の最後で、「これが最後になる」とはっきり言ってたから。

大好きなシリーズなので、完了した事を喜びつつ、「新刊でないかなー」とも思い続けていたのですが、長い事出てなかったので諦めてました。

そしたら私の知らない所で、サクッと『完結編』と銘打って、新作が出版されていたのです。
肩透かしを食らった感じですねー。

まあ、私のほうはこの所『引き寄せの法則』に取り掛かっていたので、それが終わるまで知らせる事無く、そっとしておいてくれたのでしょう。

ちなみに引き寄せの法則は、ほぼ記事作成を終えましたが、あと少し勉強して記事もアップしようかなと思っています。

上記したノート整理などが終わって、心身が落ち着いた状態になったら、神との対話の『完結編』を購入して勉強しようと思います。

今年はオリンピックが東京で開かれるけど、もう興味が無いです。

CMやテレビ番組で「東京オリンピックで感動しよう、スポーツは素晴らしい」との煽りを見るほどに、逆にオリンピックの本質(金儲け)が見えてしまい、冷めきってしまった。

私はオリンピックという幻想から、もはや完全に脱却しています。

幻想が振り撒かれればまかれるほど、その幻想の酷さに気付き、目覚めを起こす者も出てくる。

東京オリンピックは、基本的に無視しようと思ってます。
チケットは1つも取ってないし、テレビ観戦も非常に限定したものにする予定です。

時流に乗る気も、流される気も、一切ありません。

最近では、パラリンピックまでが純粋さを失ってきており、お金の臭いが強くなってきてますねえ。

スポーツなんて、遊びで軽い気持ちで楽しんでいるのが一番なんだよ。

それなのに、何を熱くなってるんだ? 何をそんなにムキになってるんだ?

メダルなんてどうでもいい。金メダルなんて糞くらえだ。

こう思う所まで来ました^^

これほどに、スポーツと競争の幻想から解き放たれる所まで、私を連れてきてくれて、ありがとう。オリンピック関係者たちに深く感謝します。

石原都知事らがオリンピックを東京に誘致する段階から、開催が決まりエンブレムの盗作や国立競技場の無意味な解体と一からの建設、血眼になってオリンピック景気に乗ろうとする人々まで、私はずっと観察してきました。

さらに、あまり興味がないのに動員される人々や、一線を引いて醒めた目で見ている人々も、しっかり視界に入れてます。

日本史の1つとして、東京オリンピックという大運動会の誕生から運び具合を、観察し続けています。

観察を続けてきた結果、新規に建設された競技場のほとんどが、オリンピック後に長く赤字になる事も予想できています。

プロスポーツを絶対の善とする信仰、競争原理の信奉。

私は、東京オリンピックを、この幻想から解き放たれる道具として活用しました。

皆さんは、東京オリンピックを、どう活用しますか。


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