自分の見た夢を分析する
(2021.8.18~26.)

1ヵ月半ほど前ですが、夢を見て夜中に目が覚めました。

この時はかなり鮮明に夢の内容を憶えていて、それも長尺の内容を憶えており、私として珍しいことでした。

子供の頃から1年に1回くらい、目覚めた時に、見た夢をわりと憶えている事があります。

そうやって自分の見た夢のデータの蓄積が出来てきていた所に、今回の鮮明な夢が起きました。

これまでの睡眠中の夢を分析したら、なかなか興味深いです。
それを書いていきます。

まず始めに、今回見た夢の内容を少し書きます。

そのほうが後の分析の話を理解しやすいと思います。

なお、夢なので内容が突拍子もないです。
そこには突っ込まないで下さい。

その夢は、前半部は世界を冒険するものでしたが、目覚めた時点でほとんどが曖昧な記憶になってました。

なので最後の所しか、しっかりとは憶えていません。

最後の場面では、電車の駅の地下街みたいな場所にいて、一緒に冒険している仲間は漫画のドラゴンボールに出てくる孫悟空とブルマでした。
孫悟空は、背の低い子供時代の彼でした。

それで、地下から地上に出ることになったのですが、普通なら階段とかエスカレーターで地上に出るはずが、狭苦しいトンネルをもぞもぞと芋虫のように上がっていき、マンホールの蓋を開けて地上に出ました。

地上に出ると、6人の人間がそこで待っていて、彼らと合流しました。

そこは、どこかの駅前で、目の前には駅と商店街がありました。

人がそれなりに歩いてました。

この時点で、孫悟空とブルマは消え去り、以降は全くストーリーに関わらなくなりました。

待っていた6人が言うには、さらに合流する人がいるので、来るまで待つという事でした。

で、待つ間に腹に何か入れようと決まり、近くの店で食事することになりました。

私は6人と初対面で、知っている人は居なかったのですが、6人にはすでに仲の良し悪しがあるらしく、確か3グループに分かれて、私は60歳くらいの日本人の男性と一緒に食事をすることになりました。

その男性は他のメンバーと仲があまり良くないのか、孤立している風でした。

その男性と話しながら歩いて店を物色すると、パン屋があり、そこでパンを買うことにしました。

店内に入ると、パン屋なのになぜか四方は本棚ばかりで、本屋の様でした。

肝心のパンは、1人のみ居る店員が立つカウンターにある、ショー・ケースに陳列されるだけでした。

それでカウンター前に行って、ショー・ケースの中にあるパンを見たのですが、ショー・ケースの上(机上)にケーキがいくつか剥き出しで置かれているのに気付きました。

興味を持った私が、カウンターの向かいにいる店員に目を移すと、それまでは若い女性だったのに、なぜかケンドー・コバヤシさんに突然に変身してました。

思わず「ケンドー・コバヤシさんですか!?」と尋ねました。

返事があったかは憶えてないのですが、あの独特の低音ボイスを聞いた印象が無いので、たぶん返事は無かったと思います。

常識的に考えると、「なぜあなたが、突然にここに?」と質問する場面ですが、私は即座にその状況に慣れてしまい、疑問を感じなくなりました。

私はパンよりも、机の上のケーキが欲しくなったのですが、なんとケンコバさんがそのケーキ数個を持ち、両手でグシャグシャと潰して混ぜました。

かなり衝撃的な展開ですが、私は何とも思わず、グシャグシャになって一塊になったケーキを購入することにし、お金を払って店から出ました。

そして来た道を戻り、前述したメンバーと合流しました。

グシャグシャのケーキは食べたのですが、味は憶えてません。
普通のパンやケーキを食べるように、さらっと食べてしまいました。

その後、待っていたメンバーが来たのか(ここはよく憶えてません)、皆で自動車に乗って移動することになりました。

ここからさらに話は展開していったのですが、長くなるので省略します。

夢の分析に入りますが、夢なので目が覚めてから振り返ると、めちゃくちゃだと思える展開が多いです。

上に書いた夢も、現実世界ではあり得ない展開をしています。

夢というのは、とにかく自由度が高いです。

それまでの設定や脈絡を無視する、全く予想や予測の出来ない動きが次々と起きます。

例えば、今回の夢で上記した話の後に起きたのですが、私が1人で車を運転していたのに、次の瞬間には後部座席で隣の人と話しており、運転は別の人がしているという事が起きました。

普通だと、辻褄を合わせるために、誰かが車に乗り込む場面や、自分が後部座席に移る描写が入りますが、そんなの一切無しに、パッと場面が変わります。

世界設定についても、それまでは孫悟空やブルマと冒険していたのに、マンホールから地上に出たら2人がいきなり消え去り、別の話が始まるように、突然に大きく変わってしまいます。

面白いのは、それを体験している私が、どんな場面転換が起きても、ほとんど不思議に思わず、次々と起きる事に真面目に取り組むことです。

異常な展開や不条理な展開が起きても、投げ出したりせずに、真摯に取り組んでいます。

現実の私だったら、ツッコミを入れたり、しらけたり、疑問を呈したり、怒り出すでしょうが、夢の中の私は柔軟性に満ちていて、あらゆる出来事をすぐに受け入れ、適応しようとします。

すごく有能にも見えるし、すごく周りに流される弱い奴にも見えますねえ。

冷静に考えると、自分で脚本や演出をしているから、体験する私はそれがめちゃくちゃに思えても、真摯に取り組むのでしょう。

とはいえ、どれほど異常な展開でも付いていき、対応しようとするのは、驚異的ですね。

前述した夢でも、マンホールから出て知らない6人に会い、「まだメンバーが来るから待つ」と言われた時点で、現実の私なら「誰だこいつら?」と疑い始めるでしょう。

それで機を見計らって離脱し、駅から電車に乗って自宅に帰ってしまうはずです。

「メンバーが来るから待つ」と言われて、「そうなのか。よし頑張って待とう」と即座に思うのは、夢ならではの心理です。

私の場合、目覚めた時に夢を憶えているのは、話の最後が酷い悲劇的なものが多いです。

酷い場面になって、そこでびっくりして目覚める事が多いです。

憶えている夢の割合を言うと、悲劇が60%、幸福な話が10%、どちらでもないものが30%です。

実のところ、幸福な夢がかなりあると思うのですが、それは目覚めた時に憶えていないのです。

夢を鮮明に憶えているのは、1年に1回くらいなのですが、疲労が溜まっていて、なおかつ良い睡眠が出来なかった時に、憶えている事が多いです。

つまり体調が悪く眠りが浅い時に、見た夢を憶えていることが多いです。

逆にぐっすりと充実した睡眠が出来た時は、たぶん同じ様に夢を見ていると思うのですが、起きたら全く憶えていません。

今まで見てきた夢を振り返ると、全てが私自身が主人公として登場し、私の視点で見ています。

つまり、自分が別の人になったパターンはありません。

日本以外の国や、別の星に住んでいるパターンはあっても、常にこの私の体験でした。

自分が卑弥呼になるとか、徳川家康になるといった事は、私の場合は無かったです。

しかし考えてみると、私は現実世界(この物理世界)では「村本尚立」という名前ですが、夢の中で「村本さん」とか「尚立くん」と呼ばれた事が、ほぼありません。

だから私なのは間違いないですが、名前などは違っている可能性がありますね。

自分の体形とか身長も、夢のほぼ100%が自分の視点で展開し、次々と出来事が起きて周りの観察をするのに一杯一杯なので、ジロジロと自分の姿かたちを観てないし、じっくり見たら「村本尚立」の時とはかなり異なっているかもしれません。

基本的に、夢の中では会話があまりなくて、テレパシーに近い感じでコミュニケイトしてます。

前述した夢でも、「まだメンバーから来るから待つ」と「ケンドー・コバヤシさんですか!?」は数少ないセリフで、ほぼセリフ無しで話が進みました。

誰かと会話する際のほとんどは、言葉を使うよりも、目が合ったら思考が通じ合う感じです。

前述した夢の、孤立した風の男性との会話も、言葉のやり取りよりも、テレパシーでやり取りした気がします。

現実世界だと、孫悟空とブルマが私と別れる際には、「ここでお別れだね」とか「オラたちは〇〇に行くぞ」とか言うでしょう。

私を待っていた6人も、「君を待っていた」とか「私たちは〇〇の者だ」とか「こんにちは、私は佐藤です」とか言うでしょう。

夢だと、そういう挨拶や説明が無いのです。

去る者は何も言わずに突然去り、新しく現れる者は説明が無くても何者かが私には分かってしまうのです。

よけいな説明や描写が省かれるので、短時間でもかなり内容の濃いものになります。

しかし、たまにやたらとセリフが多くて、会話ばかりの夢もあります。

その1つでは、とんねるずの木梨さんが登場したのですが、あの独特のしゃべり方や声音を見事に再現しており、私は目覚めた後に自らの観察力や創作力に感心しきりでした。

霊的な教え(スピリチュアルの世界)では、夢に知っている人が登場する場合、その人の魂が訪れているのだと説くものもあります。

そう考えたほうが自然なくらい、木梨さんは本人そっくりでしたね。

ある夢では、自分の高校時代から老年になるまでという、かなり長い期間が描かれました。

数時間ほどと思われる、睡眠中の夢を見る時間内で、60年くらいの長期をかなり詳細に描いていたので、びっくりしました。

これは、よけいなものが省かれる、夢ならでは事でしょう。

この60年ほどの人生を描いた夢では、私は「オカガ」という名字の女性と高校時代に出会って恋人になり、そのまま老人になるまで一緒に生きていきました。

「オカガさん」は素晴らしい女性で、私のほうもとても穏やかで素直な心理状態を維持しており、浮気などの波風は一切なく、結果として非常に幸福な内容でした。
幸せ一杯の人生でした。

私の見る夢は、冒険ものとか、目標を実現するために努力するものが多いので、異色ともいえる恋愛・純愛の内容は、印象深かったです。

「オカガさん」の性格は素晴らしく良くて最高だったのですが(顔や体形といった外見は、目覚めた時点でぼんやりし曖昧になってました)、それまでオカガという名字は聞いた事すらありませんでした。

試しにネットで検索したところ、かなり珍しいながらも実在する名字と知りました。

それでオカガという名字の人と知り合ったら、すてきな関係を築けるだろうと期待したのですが、今のところまだ知り合ってません。

今まで見た夢は、90%は日本を舞台にしてました。

わずかに別の国で生きる事もありましたが、2回だけは別の星で暮らした事があります。

その地球ではない星は、どういう星だったかは忘れてしまったのですが(たぶん砂漠が多かったです)、わりと詳細に描かれた夢でした。

その夢では私は異星人なので、地球での私と大きく見た目が異なっていました。

驚いたのは、周りに居る同じ姿の異星人について、地球ではこの人は誰なのかが分かったのです。

数人居る異星人は、皆が地球で私の近しい人(ほぼ肉親)でした。

この夢は、単なる夢というよりも、自分の転生した姿を見た気がしました。

夢にたびたび出てくる人は、大抵は家族や親しい友達か、テレビで見る芸能人です。

しかし、これに当てはまらない人がいました。

その人は、私の知人なのですが、ごく普通の人で、特に親しいわけでもなく、私が興味を持っているわけでもありません。

なぜその人が数度も登場したのか不思議でした。

分析したところ、私はその人を「ある典型」として登場させたようです。

常識に富んだ、ごく普通の答弁や態度をする、穏やかなサラリーマン的な人物として、登場させたと思われます。

手塚治虫のマンガでは、同じ人物がいくつもの違う作品に登場し、使い回されています。

悪者だとこのキャラを使う、みたいな使い回しの定番があります。

どうやら私の夢でも、そういう使い回しがあるらしいのです。

上記の知人は、常識的な言動をする普通の人の役として、そういう人がストーリーで必要な時に登場してる気がします。

私は長い間、夢によく出てくる人は自分にとって思い入れのある人とか、自分と深い縁のある人だろうと思ってました。

そうして、自分が好意を寄せる女性は当然思い入れがあるので、沢山登場するのではと期待してました。

ところが、ほとんど登場した事がありません。
私が目覚めた時に憶えていた夢では、2回しかありません。

また、坂本龍馬とか前田慶次とか会ったら面白そうな歴史人物も、夢に出てくるのではと期待してましたが、全然出てきません。

これを考えると、思い入れがあったら出てくるわけではなさそうです。

私は、実父に殺される夢を、若い頃に見たことがあります。

私と父はあまり上手く行った事がなく、父のことは嫌いだったし、人間としても信用してなかったので、そういう心理が投影された夢なのかと当時は思いました。

しかし今考えると、私がごく親しい人に殺されるストーリーを考え、一番私を殺すことに無理のない親戚を考えた時に、親戚の中で一番信用してなかった父に消去法で決めたのかもしれません。

要するに、初めにストーリーがあって、それに相応しい人を私がキャスティングしているのではないでしょうか。

色んな夢を見てきましたが、予知夢とか、前述した転生し別の星にいる自分を見るといった、超能力的な夢は、ごくわずかです。

ほとんどの夢は、奇想天外な展開を見せる、小説とか映画みたいな夢で、娯楽作品との印象です。

で、娯楽作品を作るあたり、私のキャスティングのセンスだと、ステキな女性と恋愛する話の場合、現実世界で自分の好きな女性よりも、新しく魅力的な女性を考えて登場させるほうが楽しいのでしょう。

それに血なまぐさい話は嫌いなので、坂本龍馬とか前田慶次とか魅力的でもどこか血の臭いのする人はキャスティングしないのだと思います。

私の夢では、何度も登場する場所があります。

そこは日本のどこかで、かなりきつい上り坂、広めの道路に面したレストラン風の外見をした楽器店、細い道に入って行って何度か道を曲がった先にある墓がたくさんある寺、などです。

これらの場所はどれも、現実世界では行ったことも見たこともありません。
だから現実の日本に存在するのかは分かりません。

もし私が絵描きならば、これらの場所を絵に出来るでしょう。
絵にできる位に鮮明な画像が頭にあります。

面白いのは、何度も夢を見ているうちに分かったのですが、夢の中で徐々に街ができているらしいのです。

例えば上記したきつい上り坂は、そこを上るとしばらく住宅がちらほらする畑や林のある道となり、その先には中学校があります。

最初はこの坂から下にしか行かず、上になにがあるか分からなかったのです。

しかしある夢で、私は中学校の生徒だったのですが、その学校から同級生と下校してしばらく進むと、この坂に来ました。

それでこの時に、坂の上の地図が加えられたみたいです。

こんな感じで、私は何度も何度も夢を見る中で、現実には行った事のない、日本にあると設定された場所を、数十も創作し、中には街レベルまで創り進めたものもあるのです。

夢でそこを訪れた時に、現実では1度も行った事がない場所なのに、「ここは知ってるぞ」と思って、歩いて行くと予想通りの建物に着くというのを、何度も体験しています。

ただし、ここが夢の凄くて怖いところなのですが、知っている場所に来て、「よし、この先にはコレがあるな」と思って進んでいくと、前回と全く違うものが待っているパターンがあります。

その場合、ショックを受ける間もなく、いきなり新たな話が急展開されていきます。

だから、地図が出来ているといっても、絶対的なものではありません。

夢の内容が、その街に自分が住んでいる設定や、知っている場所を訪れる設定だと、この道を進めばここに着くみたいな予想がつく事が多いです。

時には、現実世界で通った学校や公園のように、現実で見て暮らした街が出てくる事もあります。

上記したきつい上り坂などは、私のお気に入りの場所みたいで、何度も登場するのですが、その時の話に合っているから使っているっぽいです。

私の分析では、話の舞台として既存のもので使い回せるならそこを使うし、新しい場所が必要なら創って用意しています。

こうやって考えると夢は、映画の撮影みたいですね。

でも出演者も場所も予算を気にせず選べるし、瞬時に選び直せるので、はるかに自由度が高いです。

自由度が高いので、異性にモテまくる話や、救世主になって人々を救いまくる話や、世界記録を更新しまくるスポーツ選手になる話といった、棚から牡丹餅のものを作りそうに思います。

ところが、そういったウハウハな話は全くないです。

たぶんですが、1度やってみたところ、さして楽しくなかったのだと思います。

夢では、私が監督と脚本を担当し、主演もします。

で、現実の映画作りと違い、予算だとか、役者のスケジュールだとか、撮影日数だとか、スポンサーの意向といった制約はゼロです。

自分の好きなように作れて、出演交渉なしにどんな人でも出せるし、舞台も自由自在で別の星にすることまで可能です。

だから凄い可能性に満ちています。

ただし、主演の私には、話のコントロールがいっさい出来ません。

脚本はどうやら、しっかり決まったものではなく、その場の気分で変えています。

だから突然に話の主題が変更されることがあります。

その変更をしているのは、もちろん私なわけですが、主演の私には全く相談がないので、ものすごい戸惑う時もあります。

しかし、立ち止まっている暇はありません。

もし立ち止まったら、それは目が覚めることになります。

私は悲劇的な展開になると、「うおー、こんなの嫌だー!」と、もの凄い抵抗する事がありますが、そうなると100%の確率で目覚めます。

ですから、立ち止まり抵抗すると、目が覚めるのです。

夢を終わらせたかったら抵抗することです。
私はこの事を学び、話がやばそうな方向に向かい始めたら、それに気付けた時は目覚める準備を始めます。

夢はとにかく急激な展開をするので、それまで幸せだった話が、脈絡なく悲劇になり得るのですが、悲劇が始まる直前に予感できる事があります。

夢の効用は、現実では体験できない、もしくは体験してはいけない事を、非常にリアルに体験してしまえることです。

例えば、私が誰かを殺すとか、逆に誰かに殺されるというのは、現実世界で起こしてはならない事ですが、夢ならばOKです。

夢の中で私は、殺すのも殺されるのも体験してますが、それは非常にリアルだったし、体験してみて「もの凄く後ろ向きな行いで、良くない体験だ」と痛感しました。

殺された時の体験を言うと、血がドバーッと出てもあまり肉体の痛みは感じないのですが、心の痛みがとても激しくキツかったです。

夢の中では、海で溺れ死んだ事もあるのですが、こちらも意外なくらい肉体の痛み(呼吸のつらさなど)は無く、水中で力尽きるまでは少しの間苦しかったですが、力尽きるとフーッと心身が楽になりました。
そして目が覚めました。

夢で人を殺した時の感想を言うと、とにかく後ろ暗いネガティブな気持ちで一杯になり、実に後味が悪くて、寿命が一気に5年縮むほど身体中に毒素が生じた感じがしました。

こういう経験をすると、現実世界で堅実に真面目に生きようと思います。

だから勉強になりますよ、夢は。

寝ている時間を、無駄な時と定義する人もいますが、私はそうは思いませんね。

人を殺すとか、人に殺されるとかは、映画や小説、テレビドラマやコンピュータゲームでも擬似的に体験できますが、夢のほうが遥かにリアルです。

なにしろその時は本当に体験していると思い込んでますから。

バシャールは、「夢で人は学ぶ」とか「本当は夢のほうがリアルな世界だ」と言いますが、私には理解できますね。

夢から学ぶことは出来るし、夢は自由度が高くて自分の願望が一直線に実現するので、もの凄くリアル(心や願望が剥き出しになる)でもあります。

実は、2年くらい前に、夢を少しだけコントロールする術を見つけました。

それを皆さんに教えましょう。

夜中にトイレで目が覚めた時、直前まで見ていた夢を憶えている事があります。

「ああー夢を見ていたなー、こんな内容だったなー」と思いながらトイレに入り、ボーッとした寝ぼけた頭のまま用を足して、すぐに寝室に戻って横になります。

すると、ほぼ寝ているのですが、ほんの少しだけ頭が起きている状態になります。

ほぼ寝てるので、こうなると再び夢を見始めるのですが、頭が少しだけでも起きているので、夢を見ていることを自覚できるのです。

つまり、夢を見ていながら、少しだけ頭が目覚めている状態になれます。

この面白い状態を経験したのち、トイレに起きて夢を見ていた記憶があった時、寝ぼけたまま横になればすぐに再び夢を見ると確信できたので、自分が見たい夢を思い浮かべつつ横になりました。

そうしたら、思い浮かべた形で夢がスタートしたのです。

見たい夢をスタートさせるのに成功したのですが、すぐに問題が発生しました。

というのは、夢に集中するとすぐに完全な眠りに入ってしまい、そうなると夢のコントロールが出来ないのです。

夢の出だし2分くらいですね、コントロール出来るのは。

夢は前述したとおり、脈絡のない展開をするので、出だしを理想の形で始めても、あまり意味がありません。

話の筋を通そうとする意思が皆無なので、簡単にそれまでの流れが放棄されてしまいます。

例えば、魅力的な女性とイチャつきたいと考えて、その女性と2人っきりの情景を思い浮かべ、そこから夢をスタートさせても、完全に眠って夢のコントロールが止まると、全く別の話に移行します。

公園でその女性と座って話していたはずが、次の瞬間に砂漠に1人で立っているなんて事が、簡単に起きます。

夢の興味深い点の1つは、自分が現実世界で得た知識が、夢に使われる事です。

私は現実世界で、運転免許を取り、かれこれ20年近く自動車を運転してきました。
その知識が、夢の中での車内の描写や、運転の描写に、活かされていると思うのです。

つまり、夢における自動車やその運転の表現に、現実世界で免許を取る前よりも進化が見られます。

運転だけではなく、色んな描写や表現が、子供の頃に見た夢よりも精密になっていると感じています。

とはいえ、子供の頃の夢は夢で、当時に興味があった事柄(仮面ライダーとかおもちゃとか)については、今よりもリアルに表現できてました。

だから、総合力では今のほうが表現や再現は上ですが、子供の時期の夢に及ばない分野もあります。

基本的に、子供の時分から現在まで、夢というのはとてもリアルですね。

話の展開はめちゃくちゃですが、1つ1つの景色や、登場人物の顔や動き、聞こえる音など、それが現実だと思えるほどに、きっちり仕上がってます。

そういえば、子供の頃から20歳くらいまでは白黒の夢がかなりあったのですが、その後は白黒は全くなくて、全てがカラー映像です。

白黒だとリアルじゃないかと言うと、そんな事はなくて、白黒でも話に完全に没入して体験してました。

基本的に、夢で見た内容は、元ネタがなんとなく分かります。

これはこの小説から影響を受けたのかな、これはあのアニメのシーンに似たのがあったな、みたいに、現実世界の体験と繋げることができます。

ところがたまに、「これはどこから来た?」と元ネタが見当たらない事があります。

こういう夢は、当たりの夢で、神秘的なものを感じるし、自分の中に未知の可能性があると思えて嬉しくなります。

以上が、私が見てきた夢の分析です。

また新たな発見や気付きがあったら、記事にして報告しようと思います。


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