山本七平の周期説から脱却するために
現在の野党に求めること
(2021.9.30~10.12.)

山本七平が著作で論じた、日本政治の「15年周期説」。

これは、「日本政治は官憲主義と全体主義が順番に起きて、15年が1サイクルになっている」という説です。

この説を使って、前回まで3回にわたり、現代の日本政治を語ってきました。

今記事では、山本七平が指摘した「官憲主義と全体主義が交互に起きる」という、日本政治の非民主的な流れから、どうやったら脱却できるかを書きます。

まず私は、15年周期説を学んで、それを通して日本政治を見た時に、1つ気付いた事がありました。

それは、『全体主義の時期が崩壊して終わると、一転して官憲主義になるが、そこから数年以内に政権交代が起きる事が多い』です。

過去記事に詳しく書きましたが、「全体主義の運動(国民の総政治化)」が崩壊したのは、1945年、1960年、1975年、1990年、2005年、2020年です。

そして、1945年、1990年、2005年の崩壊では、そこから4年以内に政権交代が起きています。

つまり、1947年には社会党が中心の政権が誕生し、1993年には細川護熙が首相となった非自民の連立政権が、2009年には民主党を中心にした連立政権が誕生しています。

上記の政権交代のうち、1947年のものはGHQの占領下だったので事情は異なりますが、上の3例を見ると『全体主義の時期が崩壊して終わると、その後に政権交代が起きやすい』と分かります。

私は歴史を学ぶ者として、日本の近現代史にも関心を持ってきましたが、上の3つの政権交代は日本政治にプラスだったと評価します。

この政権交代は、それまで続けられた政治の停滞や利権構造に国民がうんざりし、それを打破して欲しいとの願いを力にして誕生しましたが、それなりの成果を挙げたと思います。

2009年から数年続いた民主党政権は、現状だと最低評価といえる位に低く評価する人がけっこう居ます。

しかし私は、「それ以前および以降の自公政権よりもマシだった。政策が民主党のほうが良かった」と思います。

民主党政権の問題点は後に詳述しますが、私の感覚・政治の好みで言うと、小泉政権や第二次・安倍政権よりも民主党の鳩山政権や菅政権のほうが共感したり応援できる政策が多かったです。

「民主党政権の時は暗黒期だった。だから今の自公政権がどれだけ酷くても、そっちの方がマシだ。自公政権をとにかく支持するしかない。」と語る人々が居ますが、私は賛同した事はありません。

本質的に、自公政権の1択と考える人々は、政治への期待や進歩を諦めてしまったか、自公の強力な支持者でしかないと思います。

この考えでは、日本政治は進歩しない、良くならないと思います。

政権交代は、常に選択肢に入れておくべきです。

そうする事で、政治に緊張が生まれるし、投票先を拡げる事が出来ます。

政権交代をしない状態が続くと、今の自民党のように、実力が無いのに当選する者がたくさん出てしまいます。
自民党議員の不祥事の数々を、思い出して下さい。

きちんと選挙に行き、変な固定観念に縛られずに、各政党の政策や候補者の資質を見て投票し、阿呆な事や汚職をした現職の議員はちゃんと落選させましょう。

諦めたり、現在の権力に同調したり屈する事なく、しっかりと考え、過去の出来事を思い出しつつ、選挙で投票しましょう。

山本七平の15年周期説から考えると、2020年に全体主義の時期が崩壊した以上、そこから数年以内に政権交代が起きる可能性はかなりあります。

もうすぐある衆議院選挙や、その後の国政選挙が、野党にとって政権交代のチャンスと言えます。

自民党は、昨日(9月29日)に総裁選があり、岸田文雄が新総裁に選ばれました。

岸田文雄が新首相に決まったわけですが、文雄は地方票(党員と党友の投票)では河野太郎に大きく負けたのに、議員票が入った結果勝ちました。

ぶっちゃけた話、もし党員が総裁を決めるのならば、河野太郎の圧勝でした。

党員たちよりも、議員の方がはるかに多くの票を持つというのは、どうなのでしょうか。
これこそ「官憲主義」(一部のエリートが専制を敷く状態)ですね。

実は、2012年の自民党総裁選でも、地方票では石破茂の圧勝だったのに、議員票が安倍晋三に多く入って、晋三が勝っています。

これを見た時、「自民党の党員たちや地方組織って何なのだろう。実体としては何の権利も与えられていないのに等しいのではないか」と思えて仕方なかったです。

党員たちと関係ないところで、自民党の上層部が重要な事を決定しています。

もし私が党員だったら、怒りを覚えて党員から抜けるでしょう。
自分たちの意見が無視されて、勝手に議員たちが決定するのが制度化されているからです。

そういう総裁選なのだから、もっと批判的にマスメディアは報じてほしかったですね。

話を2009年~2012年の民主党政権に移しますが、彼らの政権運営で政策とは別に私が問題だと思ったのは、次の2つでした。

①国民の声にほとんど耳を傾けない(これは野田政権で特に強かったです)

②政権内部での抗争にあけくれ、分裂してしまった

『①国民の声にほとんど耳を傾けない』は、誤解のないように補足すると、自公政権よりはマシでした。

でも、せっかく政権交代して生まれた新政権なのに、国民を向いて政治をしてないじゃないか、という不満が消えなかったのも事実です。

特に野田政権になってからは、政策を政権の中枢だけで決めるのが強くなったと感じました。

民主党政権の失政としては、2011年3月に東日本大震災があり、その影響で福島原発が大事故を起こした際の事が忘れられません。

あの時、国民は原発の状態や放射能汚染の情報を切実に求めましたが、民主党政権は情報公開に後ろ向きで、国民の命に関わる事なのに、なかなか情報を出しませんでした。

東京電力の無能さと無責任さも大きかったと思いますが、政権の不誠実さも目立ちましたよ。

いま立憲民主党の党首をしている枝野幸男は、当時は菅直人・政権の官房長官でしたが、食品の放射能汚染が次々と明らかになる中で、記者会見でこう述べました。

「福島産の野菜の出荷と摂取を止めるように、福島県知事に指示しました。

しかしすでに出荷されたものを食べても、直ちに健康に被害はありません。
将来にも、健康に被害のある放射線量ではありません。」

上記の幸男の説明を聞いた時、「健康に被害が出ないならば、出荷と摂取を止めないだろ。健康被害が出る可能性があるから止めるんだろ」と思いましたよ。

本来ならば、「チェルノブイリ原発事故後の例を見ると、食べる量にもよりますが、健康被害が出る可能性があります。すでに出荷されたものは、追跡して回収するよう指示しました。」と言わなければならなかったです。

枝野幸男の「直ちに健康に被害はない、将来にも被害はない」という言葉には、「国民は深く考えなくていい。国民が色々と考えてパニックになったら、こっちが困る」というニュアンスがありました。

この態度は、正に官憲主義です。

幸男の言葉は、不誠実だったし、嘘に近いものでしたよ。

今のコロナウイルスのワクチンについても、日本政府(自公政権)は「ワクチンを接種してすぐに千人以上が亡くなってます」と公表しつつ、「因果関係が不明で、ワクチンで健康被害はありません。将来にも被害は出ません。」と説明しています。

なんだか放射能汚染の時と似ていませんか。

本当は、「データを見ると、健康被害が出ていると思われます。しかしワクチンを接種するメリットの方が大きいと考えています。政府が接種を推奨する以上、健康被害にはきちんと補償をします。」と言わなければならないです。

民主党政権を振り返ると、ずっと官憲主義だったと思います。

自公政権よりは国民に説明をしてましたが、重要な決定を説明なく行う傾向が自公と同様にありました。

民主党政権は、福島原発事故の後に、それまでは原発推進策を採っていたのに、脱原発に180度の大転換をしました。

私はこの決定には大賛成でしたが、180度の転換をしたのに、国民への説明は怠っているように見えました。

「あれだけの原発事故があり、こんなに被害が出ているのだから、何も言わなくても分かるだろ」と言う感じで、それまで原発推進だった事への反省の弁も少ないままに、一気に転換しましたよね。

党の内部や支持団体に原発推進派がいる事や、アメリカとの原子力協定が、脱原発への足枷になっていて、それへの対応で一杯だったのかもしれませんが、説明不足は残念でした。

あの脱原発へ急旋回した時、原発推進路線だった事への反省と謝罪を述べて、原発の問題点や利権をきちんと国民に説明した上で、「脱原発に方針を変えます」と言えば、国民はもっと納得したでしょう。

実のところ、日本に原発を造ってきたのは、歴代の自民党政権でした。
この原発の歴史も、きちんと民主党政権は解説すべきでした。

「説明しても分からないだろう」とか「いちいち説明する時間も暇もない」と思っている様に見えましたが、それだと官憲主義になってしまいます。

第二次・安倍政権が新安保法案を国会に提出した時、国民の過半数が法案に反対をしたため、マズイと思った安倍晋三・首相は、自らがテレビ番組に出演をして法案の説明をしました。

この時、その説明が的外れかつ不正確だったため、数多くの批判やツッコミが出ました。

私も、彼の説明を見て、めちゃくちゃな解説をしていると呆れました。

しかし、首相が自ら国民に説明をしようとする姿勢は、高く評価しました。

その後も安倍晋三はこうした率先した国民への説明をするかと期待したのに、晋三はモリカケの汚職疑惑を始めとして、説明をあえて避けるようになり、説明責任から逃げまくる様になりました。

モリカケ汚職は、きちんと説明をすると(真実を述べると)内閣総辞職に追い込まれるもので、晋三の逃げたい気持ちも分かりましたが、本当にみっともない姿でしたね。
正に醜態でした。

立憲民主党や日本共産党には、こうした官憲主義の醜態をしてほしくないのです。

説明責任から逃げてはいけないし、説明が自らの辞職に繋がる場合でも正直に真実を述べなければなりません。

それが本当の政治なんです。

立憲民主党の枝野幸男・党首は、かつて放射能汚染されたものを食べても「ただちに健康に被害はない、将来にも健康に被害のある放射線量ではない」と述べた事を、公式の場できちんと謝ってほしいです。

そもそも、原発事故を起こし、汚染された食品が出回る時点で、完全な失政なんですよ。

謝らないために、「健康被害は無い」と断言するのは、間違っています。不誠実です。

今のコロナ・ワクチンで、「健康被害は無い」「将来に健康被害が出る可能性も無い。それを言う人はデマを拡散している」と自公政権が言うのも、間違っているし、不誠実です。

データを見れば被害は出ているし、将来に何が起きるかなんて今の時点では分からないでしょ。
治験中(治験段階)のワクチンなのに、なぜ将来に健康被害が無いと分かるのか。

過去の行為(失政)を謝って反省する事は、支持率のアップに繋がる大きな可能性があります。

国民は、謝って軌道修正できる器量があるかを、きちんと見ていますよ。

枝野幸男や旧民主党の議員、それに民主党政権に参加した社民党などは、謝るべき事は謝ってほしい。

そうすれば、「民主党政権はダメだった」と語る人々も、怒りが収まり、「もう一度チャンスを与えようか」と思い始めるでしょう。

過去の反省が、現在の野党が選挙で勝つために必要なのですが、枝野幸男を見ていると、そうした態度が希薄です。

ここを改めてほしいです。

日本共産党も、官憲主義を抱えています。

私はこれまでにも何度か日記で指摘してますが、日本共産党は志位和夫が20年以上も委員長というトップの地位に居続けており、人事面での公平性や透明性がゼロです。

党の上層部だけで政策や人事を決定しており、上意下達の体質になっています。

私は立花隆の『日本共産党の研究』という本を読み、この官憲主義の体質が、戦前から(党の発足当時から)続いてきた事を知りました。

この悪癖を直さない限り、議席が大きく増す事は無いでしょう。

日本共産党は、委員長の職を、全党員が1票ずつ持つ公平な選挙で決めるルールをつくって下さい。

絶対に、自民党みたいに議員が絶大な票数を持ち、党員たちの票が無視されるルールにしてはなりません。

私の印象だと、日本共産党は全体主義よりも、官憲主義の色が濃いです。

党員が平等に1票ずつを持って、自分たちのリーダーを決めるというのは、当たり前だと思います。
日本共産党には率先して導入してほしいですね、自分たちが民主派だとのアピールを、いつもしているだから。

では次に、民主党政権の2つ目の問題点、『②政権内部での抗争にあけくれ、分裂してしまった』を取り上げます。

民主党政権での抗争は、連立を組む民主党と社民党の意見のすれ違いと、民主党内での小沢派と反小沢派の争いの、2つがありました。

まず、「民主党と社民党の政策をめぐるすれ違い(意見対立)」を述べますが、私は当時この対立がすごく残念でしたよ。

私は政策的には社民党の打ち出すものに、共感と賛成をしてました。

社民党が政権に加わっている時は、弱者目線の意見や政策を彼らが言うので、政権内に多様性が生まれていたと思います。

その一方で、社民党は衆院で7議席と、少数の政党だったのに、どんな分野にも意見を述べる感じで、とても自己主張が強かったです。

このため政策協議の時に民主党と揉める事が多く、民主党は困っていました。

私は当時、「社民党の言っている事には共感できる。正論を述べている事が多い。だが社民党は少数政党なのだから、我慢したり譲ることもしないといけない」と思いながら、見つめてました。

当時の社民党の党首は福島瑞穂でしたが、彼女からは自分の言う事が正しいと思っているのが強烈に伝わってきました。

彼女の言う事が正しいと思うことはしばしばでしたが、7議席の現実が見えていないのは明らかで、我儘放題に見えてしまう瞬間もありました。

結局、社民党は不満をつのらせて、わずか8ヵ月で連立政権から離脱してしまいました。

本当に残念でしたね、あれは。
せっかく政権入りし、自らの政策を国政で発揮する機会だったのに、あっさり離脱してしまったからです。

当時の社民党は、衆院で7議席なのだから、多くの政策協議で妥協しなければならない立場でした。

福島瑞穂は鳩山政権で大臣になり、社民党は食品安全や少子化や男女共同参画を担当したのだから、それに注力すべきだったんですよ。

社民党は、自らが掲げる政策や理念と違うものを民主党が持ってくると、とにかく噛みつく感じがありましたが、譲って妥協すべきでした。

民主党に譲りつつ、「あの政策では連立を組む民主党に譲りました。連立を組む以上、相手を尊重して譲らねばならない事も多いです。」と、党員や支持者に言えば良かったんですよ。

それなのに、政策で妥協するのは悪い事だと思っているのか、とにかく自らの政策を述べて、民主党が聞かないと怒り出す有様でした。

私は日本共産党にも、社民党と同じ傾向を見ているんですよね。

協力する相手に、時には大きく譲った上で、「ここでは大きく譲りました」とか、「この政策は我々にとって重要度が低いので、あっさり譲りました」と正直に言えばいいのに、譲ってもなかなか表立って言いません。

普段から「自分たちが絶対に正しい」との論を展開しているからか、なかなか譲らないし、譲っても素直にそれを認めません。

妥協するのは悪と思っているのが見て取れますが、実際問題として政治は妥協もしないとやっていけないです。

というか、連立を組むとか、選挙協力するならば、相手に譲る場面が絶対に出るでしょ。

譲っていいんですよ。
それを公言していいんです。隠さなくていいんです。

社民党が抜けた後の民主党は、タカ派の声が大きくなって、徐々に自民党と政策が近くなっていきました。

それで自民党との違いが見えにくくなり、野田政権になると自民党との大連立まで視野に入れ始めました。

私からしたら、自民党との連立政権なんて、裏切りそのもので、それを提案する事自体が間違っているし、民主党に票を入れた人々を侮辱する行為だと思いました。

民主党に票を入れた人は、それまでの自民党政治に失望したから入れたんです。
それなのに自民党と連立政権を組もうとするなんて、本当にどうしようもないと思いました。

「何を考えているんだ、野田佳彦たちは。どうしようもないバカだな」とまで思いましたよ。

民主党政権の時代を嫌う人々って、政策よりも、こういった迷走ぶりに失望したのが大きかったんじゃないかなあ。

私も、大連立構想には、本当に失望しました。

「アホじゃん、野田たちって」と思いましたもの。

2011年9月に野田政権が始まると、党内の小沢派の追い出しが加速して、民主党内の抗争が激化しました。

ここからは「小沢派と反小沢派の抗争」に話は入りますが、本当に深刻なもので、傍から見ていて「愚かさの極みだな」と思いました。

せっかく政権を運営しているのに、政策の実行よりも内部抗争を重視している姿を見て、「なんともったいない事をするのだ」と感じてました。

小沢一郎の剛腕ぶり、強引さも相当なものがありましたが、私としては反小沢派の方が異常な集団に見えました。

反小沢派は、とにかく叩きまくってましたね、同じ党内にいる小沢一郎を。

同じ党にいる仲間なのだから、少しは庇えばいいのに、鈍器で頭を殴りにいく感じの、殺気をおびた攻撃をしてました。

結局、小沢一郎ら50名が党から抜けてしまったのですが、民主党の弱体化は明らかでした。

なぜ弱体につながる事をあえてするのか、理解に苦しみました。

小沢一郎は、汚職疑惑とか、人事面での独裁ぶりとか、問題もありました。

しかし、一郎らが民主党に合流した事で、政権交代が実現したのは、事実です。

それに一郎は、民主党内で最も力のある(人数の多い)派閥を率いており、それを追い出したら民主党政権の死に繋がります。

反小沢派が、なぜそんな単純な事も分からないのか、本当に不思議でした。

反小沢派だった者のうち、前原誠司は後に党首になりましたが、小池百合子・都知事と組んで、あっさりと(民主党の後継組織である)民進党を解体してしまいました。

また細野豪志は、仲間の長島昭久と共に、今では自民党に所属しています。

こうした姿を見ると反小沢派には、民主党への愛着や、民主党を守っていこうとの意思があったのか、はなはだ疑わしいです。

私としては、むしろ小沢一郎のほうが、権力への執着も含めて、民主党への愛着があるように見えました。

結論としては、小沢一郎を民主党から追い出したのは、大失敗でした。

元首相の鳩山由紀夫を党から追い出したのも、やりすぎだったと思います。

反小沢派には、「隠れ自民党」の臭いがしました。

元自民党の小沢一郎や鳩山由紀夫よりも、前原誠司や細野豪志のほうが、自民党の臭いがしました。

誠司や豪志は、「現実路線の政治を行う」とか言ってましたが、それは実のところ、「長く続いた自民党の政治に戻す」のに極めて近かったです。

「それは現実ではなく、過去への逆戻り、良く言っても過去の継承にすぎない。創造性が欠如している。」と、私は思いましたよ。

私は自民党の政治に、共感した事も満足した事も無いので、隠れ自民党の行動に不満だらけでした。

彼らは、小沢派の貢献があって政権を獲れたのに、それを完全に忘れてました。
そして小沢一郎を殺しに(政治生命を潰しに)いってました。
どうかしていましたね。

結局のところ民主党は、社民党や小沢派が居なくなった事で、弱体化しつつ多様性を失い、自民党との違いを打ち出せなくなって、それで2012年12月の政権交代(民主党の野党への転落)に至りました。

民主党政権は、政策は自公政権よりもはるかにマシで、未来に繋がる政策や、苦しむ人々(貧困層や原発事故の被害者など)を助ける政策がありました。

だから彼らの自滅は、残念でしたよ。

民主党政権については、危機管理の能力が無かったと言う人がいますが、私はそんな事はなかったと思います。

もし第二次・安倍政権の時に、東日本大震災と福島原発事故があったら、もっと被害が出ていたでしょう。

なぜなら、自民党はアメリカの要望で日本に原発を導入した党だし、長く原発を推進してきた歴史があるからです。

原発村と呼ばれる原発の利権構造は、全てが自民党政権で生み出されたと言っていいくらいです。

原発利権と深く繋がるからこそ、第二次・安倍政権は民主党政権時代に決まった脱原発の流れを覆して、原発の輸出にまで動いたのです。

原発を長く推進してきて、原発利権と深く繋がる自民党ならば、福島原発事故に対して、もっと情報を隠したり、責任逃れの行動をしたでしょう。

原発利権を守るためや、沢山の原発を造ってきた責任を曖昧にするために、被害を過小に評価したり、嘘の情報を拡散した可能性があります。

第二次・安倍政権が行った、責任逃れの誤魔化しや、嘘の連発を思い起こせば、そうした事は容易に想像できます。

民主党政権の福島原発事故への対応は、酷いものでしたが、それでも私は「もし自民党政権だったらこんなものじゃなかったろう。想像するだけで恐ろしい」と思い、「民主党政権で良かった」と思いましたよ。

いまコロナ・ウイルスが流行し、自公政権が対応してますが、政治も社会も大混乱しています。

しかし福島原発事故の危険度は、コロナ・ウイルスの比ではなかったです。

なにしろ「事故の状況次第では、東日本にはもう人が住めなくなる可能性がある」と、公然と言われてましたからね。

私の体感では、東日本大震災+福島原発事故は、コロナ・ウイルス流行の5倍くらいの災禍でした。
福島県などにとっては、当然それ以上に感じられるでしょう。

そう考えると、民主党政権は未曾有の危機に直面し、精一杯努力してある程度まで成果を挙げたのは事実です。

ここまでのまとめをすると、こうです。

①政権交代は必要である
 政権交代は、ある程度の成果があった

②山本七平の15年周期説から見て、今は政権交代のチャンスである

③民主党政権は、自公政権より政策は上だったが、自公と同じく国民の声に耳を傾けず、内部抗争で自滅した

立憲民主党などの現在の野党たちは、官憲主義と全体主義が交互に続いてきた日本政治の悲しい流れを終わらせるために、もっと国民の声に耳を傾け、国民を信頼して、国民と共に歩む必要があります。

立憲民主党も日本共産党も、自らの官憲主義(エリート意識や、いざとなると独裁する傾向)に気付き、改めなければなりません。

そして、多様性を尊重して、協力関係にある政党が違う意見や政策を出してきた時に、譲ることを覚えなければなりません。

これまでの非自民の政権は、どれも内部の抗争で自滅してきましたが、繰り返してはなりません。

もうすぐ衆議院選挙があり、それに向けて立憲民主党は政権公約を発表してきています。

内容は自民党とは大きく違うし、なかなか良いと思います。

野党4党の政策協定もすでに成立しているし、きちんと選挙協力すれば、自公と良い勝負になりそうです。

私の見るところ、国民は立憲民主党などについて、政策よりも、協力しなければならない党としょっちゅう揉めているのに嫌気がさしている様です。

日本人は和を尊ぶので、仲間同士で揉めているのを見ると、ものすごく失望するらしいです。

この事を肝に銘じて、協力関係の党と仲良くして下さい。

立憲民主党が政権を獲った場合に、日本共産党は閣外から協力するという話になってるのですが、私としては違和感がありますね。

というのは、立憲民主党が衆院選で第1党になったとして、単独過半数でなかったらどこかの党と連立を組まないといけないわけです。

で、議席数の状況次第では、日本共産党に連立政権に入ってもらわないと成立しない事になりますよね。

各党の議席数がどうなるかで、連立の組み方が変わるはずなのに、最初から共産党は閣外と決めておくのは、柔軟性を欠く間違った判断なのではないでしょうか。

あらゆる状況を想定する必要があるのに、あらかじめ共産党は閣外と決めるのは、戦略上の縛りを生むと思います。

私としては、出来るなら一度、日本共産党に政権内に入ってもらいたいんですよ。

日本共産党は、その言葉に無責任な独善さを感じる事があります。

私は赤旗・日曜版をとっているのですが、彼らの独善さに辟易する時があります。

政権内に入ると、この態度が変わらざるを得なくなると思うのです。

そこで進化するか、かつての社民党みたくあっさり政権から離脱して衰退するかは、日本共産党が決めればいい事です。

日本共産党は、民主的な弱者寄りの政策を打ち出すし、強固な支持層があるしで、連立を組む相手にはメリットがあります。
立憲民主党には、最初から拒否しないでチャンスを与えてほしいんですよね。

日本共産党の側も、立憲民主党が支持層の連合などの反対を押し切って歩み寄ってきたら、素直に感謝してほしいです。

お互いに敬意を持ち、譲り合わないと、かつての民主党政権の二の舞になりますよ。

山本太郎(れいわ新選組・代表)が、先日に「野党共闘として今度の衆院選に東京8区から出る」と発表しました。

太郎は「すでに立憲民主党と話がついている」と述べたが、立憲の枝野党首は「そんな話はない」と応じ、東京8区には立憲の立候補予定者がいるために混乱が生じました。

結局、太郎が立候補を辞退して終結したのですが、こういう内輪揉めは野党共闘でよくある光景で、こういうのを無くしてほしいんですよね。

基本的に、立憲らの共闘は、普段からもっと話し合いを進めてほしいです。
衆院選が近づいてから話をつめるのは、遅いですよ。

今度の衆院選は、首相が突然に解散総選挙を決めたものではないから、準備不足の言い訳は出来ません。

日頃から話し合いを進めた上で、すでに力説しましたが、お互いに譲り合ってほしいです。

山本太郎は、出馬の辞退を述べた際に、「立憲の上層部とは出馬の話がすんでいたが、地元の立憲支持者たちに話がなされてなかった(から上手く行かなかった)」と釈明したそうです。

これは、一種の官憲主義です。

上層部だけで物事を決めて、支持者たちに何の相談もないというのは、エリートの専制政治ですよ。

山本太郎は、自らに内在する官憲主義に気付いているだろうか。

気付いていないとすれば、自民党議員と何も変わらないですね。

色々と厳しい事を書いてきましたが、私は今度の衆院選で立憲民主党に投票する予定だし、現在の野党たちを応援しているし、政権交代を望んでいます。

日本の政治が進化するために、ここに書いた分析と助言が活かされてほしいです。


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