(『これならわかるベトナムの歴史』から抜粋)
1976年にベトナムでは総選挙が行われて、選出された議員たちにより南北の統一が決定した。
7月1日には、国名が『ベトナム社会主義共和国』に決まった。
首都はハノイとなり、サイゴンは「ホーチミン市」に改名された。
南ベトナムの臨時革命政府は消滅し、解放戦線は祖国戦線に吸収された。
北ベトナムの指導者たちが、実権を握ったのである。
しかし、ベトナム南部に社会主義を強制した結果、農業生産は停滞した。
そして、アメリカからの輸入と援助に頼っていた南部の経済は、立ち行かなくなった。
南部各地で闇市が幅をきかせて、政府は取り締まったが効果はなかった。
検問をする役人が、闇市に物資を横流ししたからである。
旧サイゴン政府の要人たちは、新政府では「反動分子」とされて、長い間の再教育を受けた。
南部を中心に国外へ脱出する人々が現れ、彼らは「ボート・ピープル」と呼ばれた。
その後も、ベトナム経済の低迷のために、たくさんの人が国外に出た。
国外に出たベトナム人は、世界各地に住み、アメリカには最大となる140万人が暮らし、日本でも1.4万人が暮らしている。
ベトナムは、カンボジアの内紛に介入して戦争を始めると、世界から孤立した。
(2014.6.5.)