英・仏・イスラエルは、ソ連接近とスエズ運河国有化を
阻止するため、ナセル暗殺を計画する

(『インテリジェンス 闇の戦争』ゴードン・トーマス著から)

エジプト大統領のナセルがソ連に近づくのを知ったイギリス政府内は、『ナセル暗殺』を語り始めた。

MI6長官のディック・ホワイトは、外務省高官から「ナセルは多分、取り除かなくてはいけないだろう」と言われ、部下のジョージ・ヤングに「どのような方法が可能か検討しろ」と指示した。

ジョージ・ヤングは、MI6ローマ支部長を計画立案に加え、2人はローマで計画を練った。

そして、『反ナセル派の将校2人を抱き込み、エジプト陸軍にナセルを逮捕させる』という計画を立てた。

ホワイト長官は外相に提示したが、外相はその案を却下した。

アメリカは1955年に、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムを建設する費用として、エジプトが5600万ドルの借款を行うことに同意した。

だが、ナセルが中国を承認したりモスクワを訪問したので、56年7月19日に借款契約をキャンセルした。

ナセルは激怒し、「エジプトは自力でダムを造る。スエズ運河の通行料でまかなう。」とラジオ演説した。

これを聞いたロンドンは、ナセル暗殺を本格的に語り始めた。

MI6の法務部は、「イギリスの安全保障が脅かされる緊急事態には、国を守るために他国の元首を殺害することも許される」と結論し、CIAの暗殺マニュアルを検討し始めた。

MI6は、CIAの暗殺マニュアルを所有していた。

そのマニュアルは、CIA技術部のシドニー・ゴドリーブが書いた、88ページから成る『暗殺法』という小冊子だった。

イギリスのイーデン首相は、フランスが同様にナセル暗殺を計画し、すでにカイロに特殊部隊を送った事を知ると、官邸内で公然と「ナセル暗殺」を口にするようになった。

MI6では、Q局が暗殺手段の検討に入った。

Q局の技術は、それまで主にドイツでソ連スパイを殺害するために使われていたが、国家元首の暗殺はレベルが違う。

犯行がMI6まで辿られないように、慎重に慎重を重ねて準備する必要があった。

まず検討されたのは、ナセルの好物であるチョコレートに毒物を入れて、「毒殺」する事だった。

ポートンダウンの科学技術研究所に、使用すべき毒物の研究が依頼され、「貝の毒素がよい」と結論された。

完成品が実行チームに渡されたが、実際に試みられたかは不明である。

次に考えられたのは、「神経ガス」を使う方法だった。

やはりポートンダウンの研究所に依頼され、動物実験の後にタブン、ソマン、サリンの3種類が提示された。

ナセルの執務室のエアコン用ダクトからガスを室内に放出する方法が考えられたが、イーデン首相は「無関係な人が巻き添えになる危険性が大きい」として却下した。

(ポートンダウンの科学技術研究所は、ロンドンの南西100km
 にある、イギリス国防省の生物・化学兵器の研究所である。

 第二次大戦前から神経ガスの研究を行い、戦後はナチスが開発
 したサリンなどの研究を引き継いだ。)

一方、イスラエルでも、モサドがナセル暗殺の方法を研究していた。

毒殺が一番よいと考え、捕虜にしているパレスチナ人を使って毒薬の実験をした。

モサドの元要員は、こう証言した。

「パレスチナ人の囚人が研究所に連れて来られて、人体実験に使われていた」

モサドの作戦は、数週間にわたって機会をうかがったがチャンスが無く、失敗に終わった。

(2015.5.13.)


エジプト史 目次に戻る