1962年にはシリア・イラクと統合国家を創ろうとするが、
実現せずに終わる

(『中東戦争全史』山崎雅弘著から抜粋)

アラブ連合(UAS)の解体は、エジプトのナセル大統領の威信を著しく失墜させた。

エジプトは、1971年8月までUASの名称を国名に掲げ続けたが、ナセルの名声は低下の一途であった。

1961年12月に、イエメンはUASからの脱退を発表した。

翌62年9月26日に、イエメンで反王政のクーデターが発生し、内戦に突入した。

イエメンの革命政権から支援要請をうけたナセルは、内戦への介入を決めた。

しかしイエメンの国王派はサウジアラビアから武器援助をうけて、頑強な抵抗を続けた。

介入を続けるうちに、エジプト経済は疲弊していった。

他方で、中東でのバース党の勢力は、ますます拡大していった。

1962年2月8日には、イラクでバース党のクーデターが成功し、3月8日にはシリアでもバース党の単独政権が樹立した。

両国のバース党政権は、ナセルに「統合国家を創ろう」と提案した。

同年4月17日に、エジプト・シリア・イラクの3国の代表が話し合いを行った。

しかし3ヶ月後に、反ナセル派のバース党員であるアミン・ハフェズが、シリアで政権を奪取した。

そして、親エジプト派は粛清されてしまった。

こうして3国の統合は物別れに終わった。

これ以降は、アラブ諸国の統合は実現していない。

こうしたアラブ諸国の混乱の時期に、イスラエルは軍備を増強していった。

イスラエルは、イギリスとフランスから戦車を買い、これは第3次中東戦争で使われた。

(2014年5月18日に作成)


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