(『誰にでもわかる中東』小山茂樹著から)
1948年5月14日に、イギリス軍のパレスチナとイスラエルからの撤退が完了した。
その直後に、エジプト・ヨルダン・シリア・レバノンは、イスラエルの殲滅を目指して攻め込んだ。
これが、『第一次中東戦争』である。
アラブ側は大敗し、7月18日に停戦協定を結んだ。
イスラエルは領土を拡大し、パレスチナの80%まで領土を拡げた。
アラブ連合軍は、統一した戦略・戦術を持たなかった。
これが敗因だった。
この結果、パレスチナを追われるアラブ人はさらに増えて、難民の数は96万人に達した。
イスラエル建国は、領土紛争だけではなく、難民問題を生み出した。
(2013年3月14日に作成)
(『世界の紛争イスラム・アメリカ対立の構図』から抜粋)
第一次中東戦争は、1948年5月14日に起こった。
1949年に休戦協定が結ばれ、海岸平野部・ガラリヤ地方・ネゲブ全域がイスラエルの支配地となった。
ヨルダン川西岸は、ヨルダンの支配地になり(ヨルダンに併合され)、ガザ地区はエジプトの管理下に入った。
エルサレムは、東地区はヨルダンの支配地、西地区はイスラエルの支配地になり、分断された。
(『君はパレスチナを知っているか』から抜粋)
イスラエル軍は、休戦協定を結ぶまでに、パレスチナの77%を占領した。
この戦争でパレスチナを追われたアラブ人は、70万人と言われている。
(2013年4月8日に作成)