(『韓国歴史地図』から抜粋)
乙巳条約(1905年に日韓が結んだ条約)の前後に、知識人を中心にして、大衆啓蒙と実力養成を目標に、『自強啓蒙運動』が展開された。
知識人たちは、「教育と産業振興が、実力を養い国権を回復する道だ」と考えたのである。
啓蒙運動家が力を注いだのは、『教育・言論・産業の育成』だった。
彼らは、私立学校を建て、新聞を発行した。
彼らは、「韓国政府が日本から借りた1000万円を返還しよう」という『国債報償運動』を行い、国の自主権を取り戻そうとした。
しかし、日本の妨害と組織の内部対立によって、失敗した。
日本の総監府は、啓蒙団体を認めず解散させた。
このため、一部の団体は親日色を帯び、日韓併合を主張したりし始めた。
一部の運動家は、秘密裡に『新民会』を組織した。
そして会員の一部は、間島地域に軍事基地を建て、武力闘争の準備をした。
(2013.4.14.)