乙未事変(閔妃暗殺事件) (1895年10月)
日本公使の三浦梧楼が首謀した

(『総図解世界史』から抜粋)

1895年10月8日の未明に、朝鮮王宮で、王妃であった閔妃が暗殺された。

そして、大院君(国王の父)が政権に復帰した。

この政変は、『乙未事変』と呼ばれている。

閔妃の暗殺は、日本公使である三浦梧楼の関与が判明した。

梧楼は、17日に更迭されて、裁判にかけられた。
しかし、証拠不十分で無罪になった。

暗殺の実行部隊となった日本軍の将校も、軍法会議にかけられた。

しかし、「公使の命令で行動した」との、三浦梧楼の裁判と合わないおかしな理由で、無罪となった。

この暗殺事件は、「三浦梧楼の首謀説」が通説である。

この政変の背景には、次に述べる経緯があった。

1895年の4月23日に、「三国干渉」によって、日本は遼東半島の返還を余儀なくされた。

それを見て、日本の威信が低下したと思った高宗や閔妃は、ロシアに接近して政府内の親日派を追放した。

95年9月1日に公使として赴任してきた三浦梧楼は、閔妃と親ロシア派の排除を目指し、閔妃と対立している大院君を担ぎ出した。

そして、閔妃一派を排除するために、閔妃を暗殺したのである。

乙未事変では、朝鮮の側からも協力者が出た。

高宗の寵臣だった鄭秉夏、総理大臣の金弘集などである。

乙未事変の後も、アメリカとロシアが支援して行われた王宮襲撃事件(春生門事件)や、親ロシア派のクーデター(ロシア公使館への高宗の播遷、この際に鄭秉夏と金弘集は民衆により虐殺される)が起きた。

ロシア公使館に移った高宗は、親日派の処刑を呼びかけた。

(2013年7月10日に作成)


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