大韓帝国を建国する
光武改革が行われ君主権が強化される

(『韓国歴史地図』から抜粋)

高宗(朝鮮国王)は、親ロシア派の手引きでロシア公使館に移ったが、1年で王宮に帰った。(1897年2月に戻った)

高宗が王宮に戻ると、政府は国号を『大韓帝国』に変えて、王を皇帝と改称し、「光武」という年号に改元した。

そして、「中国と対等な自主国である」と宣言した。

続けて、『光武改革』と呼ばれる一連の改革を断行した。

光武改革の基本は、君主権の強化だった。

憲法にあたる『大韓国国制』を作り、皇帝に「統帥権」「立法権」「行政権」「官吏任命権」「条約締結権」など、あらゆる権限を付与した。

他には、貨幣と金融制度の改革、外国資本の導入、各種の技術学校の設置、海外へ国費で留学生を派遣する、などを行った。

この改革は、「地主や官僚の既得権をそのまま保障する」という前提で行われた。

そのため、農民が求める土地の分配は行われなかった。

(2013.4.14.)


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