(『韓国歴史地図』から抜粋)
大韓帝国をめぐって、日本とロシアの対立は激しくなっていった。
フランスとドイツはロシア側につき、イギリスとアメリカは日本側についた。
1902年に、イギリスと日本は『日英同盟』を結び、イギリスは日本の朝鮮侵略を認めた。
1904年2月に、日本軍が旅順のロシア艦隊を攻撃して、『日露戦争』が始まった。
日本は次々と勝利して、旅順を陥落させた。
05年3月には、奉天の大会戦でも勝利した。
5月には日本海で、ロシアのバルチック艦隊を撃破した。
その結果、05年9月に、日露は『ポーツマス条約』を結んだ。
これにより日本は、「大韓帝国に対する指導と保護」「遼東半島の租借権と鉄道敷設権」を獲得した。
日本は、条約締結の直前の7月に、アメリカとの間に秘密協定を結んだ。
そして、アメリカのフィリピン占有権を認める代わりに、大韓帝国の支配を認めさせた。
こうして日本は、朝鮮半島の支配を確立し、南満州への進出を国際的に認めさせた。
○村本のコメント
日米間の秘密協定については、初めて知りました。
この時期は、日本はロシアと講和条約を結ぶための仲介役をアメリカに依頼していて、アメリカと緊密に連絡を取り合っていました。
そこで、こんな密約も結んでいたようですね。
(2013.4.14.)