日本は次々と韓国の権利を剥奪し、
最後には併合してしまう

(『韓国歴史地図』から抜粋)

日露戦争が始まると、日本は大韓帝国に軍隊を派遣して圧力をかけ、『日韓議定書』を結ばせた。(1904年2月23日)

これは、「大韓帝国の領土と交通・通信を、日本の軍事目的に使用させる」という内容である。

さらに、1904年8月22日には、『第1次・日韓協約』を強制的に締結した。

これは、「外交と財政の分野に、日本が推薦した顧問を採用させ、その顧問の言う事をきくようにする」という内容である。

この後、日本はあらゆる分野で顧問を派遣し、行政に干渉していった。

日露戦争が終結すると、日本は大韓帝国政府を武力で脅かし、1905年11月に『乙巳条約(第2次・日韓協約)』を結ばせた。

これは、「外交権を日本に委任する」という内容である。

乙巳条約によって設置された『総監府』は、外交だけではなく、立法・司法・軍事なども掌握した。

これによって、日本の植民地同然になってしまった。

日本は、高宗(国王)を強制的に退位させた。

さらに、『日韓新協約』を結ばせた。

これは、「政官の各部署に日本人次官を任命し、彼らに行政を担当させる」という内容である。

そして、1907年8月には、大韓帝国の軍隊を解散させた。
続けて、警察権と監獄事務権までも奪った。

そしてついに、1910年8月には、『日韓併合条約』が締結された。

こうして、韓国は完全に日本の植民地となった。

○村本のコメント

日本は、自分たちが海外からの干渉にさんざん苦しめられたのに、自分たちが欧米国からやられたアコギな手法を、韓国に使ったのだと分かります。

自分の国とはいいながら、情けないですね。
愛をまったく感じません。

当時の日本の指導者たちは、「冷徹に利害を計算して、うまく立ち回るのが今の時代(帝国主義時代)に大切なのだ。上手く国家を運営して、植民地を獲得できた。褒められる事をしたのだ。」と思っていたのでしょう。

しかし現在から見ると、『病的な観念に囚われてしまい、他者が苦しむのを何とも思わなくなってしまった人々』という印象です。

(2013.4.14.)


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