(『韓国歴史地図』から抜粋)
抗日義兵(日本の支配に抵抗する武装闘争)は、1895年の乙未事変と断髪令への反発でスタートした。
武装蜂起の先頭に立ったのは、両班・儒生たちだった。
儒生は、自分たちの小作人などを動員した。
農民も義兵に加わった。
しかし、高宗(国王)が断髪令を撤回し、義兵を懐柔しようとすると、大部分の義兵は解散した。
一部は、日本や朝鮮支配層への戦いを継続した。
日露戦争を契機に、日本の侵略が本格化すると、義兵は再び活発化した。
1907年に、大韓帝国の軍隊が解散させられると、反発した一部の軍人が加わり、義兵の戦力は強まった。
そして、多様な階層の人々が加わってきた。
07年12月には、義兵たちは楊州に集結し、ソウル進攻を図った。
しかし、失敗に終わった。
日本軍が強化されると、抗日闘争は沈静化した。
しかし、湖南地域では抗争が続き、義兵はゲリラ戦を行った。
日本軍は1909年9月から、「南韓大討伐」という大攻勢をかけた。
陸海軍と警察を動員して、湖南地域を封鎖し、義兵の掃討作戦を行った。
彼らは、村を焼き尽くすこともためらわなかった。
この大攻勢で義兵は根拠地を失い、国外に脱出した。
そして、満州や沿海州に移動し、そこが抗日独立軍の基盤となっていく。
(2013.4.14.)