朴は権力維持のために勝手に改憲をするが、最後には暗殺される

(『韓国歴史地図』から抜粋)

経済開発の成果により、朴正煕は1967年5月の大統領選挙で再選した。

国会議員選挙でも、公権力と金を動員して、自分の党である共和党に大勝利をもたらした。

これを基盤に共和党は、69年に国民の反対を無視して、大統領の3選を認めるように、憲法を改めた。

1971年4月の大統領選で、朴正煕は3選を果たした。

しかし、進民党の金大中に苦戦した。
進民党は、議員選挙でも善戦した。

危機を感じた朴政権は、12月に非常事態宣言をし、大統領に超法規的な大権を付与した。

1972年10月には、戒厳令を下し、憲法を強引に変えた。

大統領の任期を7年にし、間接選挙制にして、再任制限もなくした。

さらに、大統領は国会議員の3分の1を任命し、自由に国会を解散できるようにした。
憲法の一部を勝手に停止できる権限まで持たせた。

これに対して、憲法改悪の撤廃を要求するデモと集会が続き、自由化・民主化への運動も続いた。

1979年に入ると、国会議員選挙で野党が勝利し、大規模な民主化抗争が起きた。

対応方法をめぐって朴政権の内部で対立が起き、中央情報部(韓国CIA)の部長だった金載圭が、朴正煕・大統領を射殺した。

(2013.5.12.)


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