(『韓国歴史地図』から抜粋)
朴正煕政権は経済開発に注力し、1962年から第一次の経済開発5ヵ年計画を、67年からは第二次の経済開発5ヵ年計画を実施した。
外国資本を導入し、国内の安い労働力を利用して、輸出中心の経済を行った。
輸出産業には、様々な特恵措置を与えた。
1962~71年の10年間で、経済は目覚しく発展し、「漢江の奇跡」と呼ばれた。
輸出は20倍に増え、国民所得は2倍となった。
しかしこの成長は、低賃金と劣悪な労働環境で働く人々の犠牲の上に実現したものであった。
経済は、日本とアメリカへの従属の度合いを強め、貿易赤字は増大し、外国への債務も増えた。
1960年代末には、経済危機をむかえた。
世界的な不況で輸出は不振となり、さらに外国借款の返済期限となった。
そして、多くの企業が倒産した。
政府は為替レートを上げて金利を下げ、借入金の返済期限を遅らせる特恵措置をとった。
政府は、負担が大きい借款の代わりに、外国資本を直接導入する方式に変えた。
1972年からの、第三次の経済開発5ヵ年計画では、重工業中心に方向転換した。
その結果、70年代半ばには重工業生産が軽工業生産を追い抜いた。
しかし、重工業育成のために機械や技術を日本から移入したため、日本の支配下に編入された。
また、農水産業は沈滞してしまった。
重工業は大企業を中心に発展し、財閥の肥大化をもたらした。
財閥と政治権力はさらに癒着し、財閥中心の構造が固定化した。
過剰投資とオイルショックにより、1970年代末には再び経済危機となった。
結局、この危機から脱出できるのは、86年からの低金利・原油安・ドル安の「三低好況」以後になった。
(2013.5.15.)