朴の暗殺後は全斗煥が権力を握る
光州民主化運動が起きる

(『韓国歴史地図』から抜粋)

1979年10月26日に、朴正煕・大統領が暗殺された。

直後に全国に戒厳令が宣布され、軍部は中立を宣言して「民政に移譲する」と発表した。

しかし12月12日に、全斗煥や盧泰愚など朴正煕に近かった軍内部の勢力は、クーデターを起こした。(12・12粛軍クーデター)

全斗煥らは司令官を逮捕し、軍の穏健派を排除して、実権を握った。

彼らは、政府内を自派で固めた。

80年の4月に全斗煥は、中央情報部(韓国CIA)の部長代理に就任した。

80年の春になると、民主化を求める声が高まり、「現行憲法の停止」「全斗煥の退陣」「戒厳令の撤廃」「民主的な政府の樹立」を要求するデモが続いた。

いわゆる『ソウルの春』が、花開いたのである。

ソウルでは、数万人の学生たちがデモを行った。

これに対し軍部は、学生運動の指導者と金大中などの政治家たちを逮捕し、政治活動を禁止した。

光州でも、軍が鎮圧に乗り出し、多くの学生が負傷した。
これに怒った市民は、さらに激しくデモを行った。

アメリカ政府は、軍部に圧力を加えて、事態を解決するように促した。

軍は光州市内を封鎖し、5月27日に武力でデモを鎮圧した。

(死者数は195名にのぼったとされている)

こうして、光州民主化運動は幕を閉じた。

光州民主化運動は、80年代の民主化運動の起点となった。

軍部は、憲法を改定し、80年8月に全斗煥を大統領にした。

(2013.5.12.)


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