(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
北朝鮮からソ連軍が撤退すると、1949年6月にアメリカ軍も撤退した。
アメリカのトルーマン大統領は、武力統一を公言する李承晩に警戒的で、武器の供給を自制していた。
49年にソ連が原爆の保有を認めると、トルーマンは「水爆製造」の命令を公表した。
強硬派から軍事費の倍増も提案されたが、トルーマンはそれは断った。
1950年6月に、北朝鮮は2度にわたり韓国に平和統一案を提示したが、韓国の李承晩・大統領は拒否した。
すると6月25日に、北朝鮮は突然に韓国に侵攻した。
『朝鮮戦争』の始まりである。
北朝鮮は、平和統一の可能性が無くなったとみて、戦争を仕掛けたらしい。
北朝鮮軍は、開戦の3日後にはソウルを落とした。
朝鮮で戦争が始まると、トルーマン大統領は朝鮮だけの問題とは見ず、台湾・フィリピン・インドシナへの軍事展開も発表した。
アメリカ政府は、6月30日に朝鮮への地上軍の投入を決定したが、これはソ連が「内政への不干渉」を要求してきたのを見て、ソ連の軍事介入はないとの判断から決定したものだった。
国連は、韓国軍とアメリカ軍を「国連軍」と認定した。
そして、国連軍の司令官にマッカーサーを就任させた。
(当時の国連には、ソ連ら東側陣営はボイコット中で参加していない)
10月7日に国連は、国連軍による朝鮮の武力統一を許可した。
その後、中国軍が北朝鮮側で参戦するや、国連軍は総崩れとなった。
アメリカは、中国軍の威力を痛感させられた。
トルーマンは原爆の使用をほのめかし、マッカーサーは中国の東北部への原爆使用を主張した。
世界戦争への拡大を恐れたイギリス首相のアトリーは、訪米をして忠告をした。
そのため、トルーマンは対中国の戦争を諦め、朝鮮戦争の目的を38度線の回復に改めた。
朝鮮戦争に対応して、日本では1950年8月に「警察予備隊(後の自衛隊)」が創設された。
そして、9月には沖縄を分離する事になり、米軍基地を存続させる対日講和の原則を決定した。
この原則に基づいて、51年9月にサンフランシスコで、『対日講和の条約』と『日米の安保条約』が調印された。
マッカーサーは、対中国の戦争を主張し続けたため、解任された。
51年6月には、ソ連が停戦を提案した。
国連軍は受け入れた。
しかし交渉は難航して、53年7月にようやく『停戦協定』が結ばれた。
この戦争では、国連軍は93万人、北朝鮮側は100万人が、参戦した。
双方の合計で、146万人が死傷した。
アメリカ兵は3.3万人が戦死した。
李承晩は、最後まで休戦に反対していた。
アメリカは、『米韓の相互防衛の条約』を結んで、軍事援助を強化する事で李承晩をなだめた。
結局のところ、この戦争は、戦前の状態に復帰するだけの結果に終わった。
(38度線での南北の分割は、戦後も続いていきます。
冷静に見ると、何の意味もない、完全に不毛な戦争です。
喜んだのは、軍事産業だけでしょう。)
アメリカでは、勝利の無かった戦争として、強い不満が残った。
(『早わかり世界近現代史』から抜粋)
朝鮮戦争が始まると、国連軍の司令部は日本の東京に置かれた。
1950年9月に、マッカーサーの指揮するアメリカ軍は仁川上陸に成功した。
そしてソウルを奪還して、そのまま中国国境を目指した。
しかし10月に、中国は自国の危機と見て、100万人の軍隊を用いて参戦した。
(そしてアメリカ軍は、38度線に撤退した)
38度線付近で戦況が膠着すると、国連軍司令官であるマッカーサーは、「戦域を中国とソ連にも拡大させて、中国とソ連の主要26都市に原爆を落とそう」と主張した。
トルーマン大統領は、世界戦争への拡大につながると恐れて、マッカーサーを解任した。
朝鮮戦争は、1953年7月の休戦までに、400万人の死傷者(うち170万人は朝鮮人)を出して、1000万人の離散家族を生んだ。
悲惨な戦争であった。
トルーマンは、朝鮮戦争を利用して、冷戦の拡大を積極的に進めた。
アメリカの年間軍事予算は、130億ドル→350億ドルへと増えた。
アメリカが第7艦隊を台湾海峡に派遣して、台湾の国民党政府を守ることで、国民党(台湾)と中国共産党の対立が固定化した。
○村本のコメント
ダグラス・マッカーサーは、日本では一部の人々には高く評価されていますが、原爆の大量投下を主張した事実を見れば、大局的な視点のない人物だと分かります。
マッカーサーの提案が採用されて原爆が投じられていたらと思うと、恐ろしくなります。
『神との対話』では、「究極の現実(無時間の領域)では、あらゆる可能性が併存している」と説いています。
究極の現実には、この時に原爆が投じられて世界戦争になり、地球が壊滅してしまったヴァージョン(パラレル・ワールド)も、存在しているのでしょう。
朝鮮戦争の死傷者については、本によって数が違います。
戦争の被害の調査が難しいことを示していますね。
日本には、「南京大虐殺は無かった。なぜなら、証拠がないではないか」と主張する人がいます。
しかし戦争の時には、いちいち何人が死んだかを数えるのは無理だし、殺した側は証拠を隠滅します。
ですから、証言者たちがいるだから(駐在していた各国の人々の証言もある)、それは事実と認める必要があります。
(2013.10.13.)