第二次大戦後の、社会と文化の変遷

(『韓国歴史地図』から抜粋)

国内で工業化が進むと、人々は都市に押し寄せた。

1960年に245万人だった首都ソウルは、1990年には1000万人を突破して、人口の25%が住むようになった。

農村と都市の格差は拡大して、若者が農村を離れたために、農村の高齢化が進んだ。

この問題は、現在でも未解決のままである。

都市に流入した人々は、低賃金と劣悪な労働環境に苦しんだ。

人口増に都市の整備が追いつかず、住宅不足と交通難が問題となった。

そして、街はずれにはスラムが形成された。

政府は、住宅不足の解消のために、マンションや団地を開発した。

1990年代になると、マンションや団地は、一戸建ての世帯数を超えた。

食生活では、インスタントラーメンが開発されて、普及した。

洋食が増えて、80年代以後はコメの消費量が減った。

農産物の輸入への依存度が高まった。

西洋文化は、第二次大戦後のアメリカ軍政になると、急速に拡大した。

これにより、伝統文化と西洋文化の間に対立が生じて、社会は混乱した。

朝鮮戦争以後は、アメリカの大衆文化が際限なく流入して、物質志向で享楽的なアメリカ文化の影響で、社会は退廃的な傾向となった。

衣服は大きく変わり、1960年代以後は洋服が主流となった。

1960年代に入ると、映画と大衆歌謡が娯楽の中心になった。

一方で、伝承されてきた芸能の保存・普及の動きも見られた。

60年代末には、若者達は欧米のヒッピー・ブームを模倣した。

70年代に普及したテレビは、大衆文化を大きく変化させた。

テレビの普及と検閲の強化によって、映画やレコード産業は一時的に衰退した。

70年代は、フォーク・ソングが人気を集めた。

80年代には、タブーとされてきた現代史を描いた文学作品が、相次いで発表された。

70年代の末からは、民衆の苦悩を描く「民族民衆の芸術運動」が起こり、東アジアで最大の芸術運動に発展した。

90年代に復活を遂げた映画は、海外でヒットする作品を生み、重要な産業の1つにまで成長していく。

(2013.10.21.)


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