(『韓国歴史地図』から抜粋)
アメリカ軍は、北緯38度線の以南を占領し、資本主義体制を導入した。
しかし、社会状況を考慮しなかったため、民衆と衝突した。
朝鮮が日本の支配から解放された後、農民や労働者は日本人が放棄していった土地や工場を引き継ぎ、自主管理した。
しかしアメリカは、このような自主管理を一切認めず、土地や工場を押収して、『新韓公社』を設置してそこで管理した。
解放の当時、最も大きな社会問題は、「農地問題」であった。
全農民の半数は小作農で、小作農たちは50%を超す小作料に苦しめられていた。
農民は解決を要求したが、アメリカ軍政は「小作料を33%に下げる」などで対処しようとした。
これに対し農民は、土地の再配分などを主張して反発した。
アメリカ軍政は、46年1月に『米穀の配給制』を実施し、配給に必要な米を強制的に徴収した。
麦などの夏に収穫するものまで強制的に徴収したため、食料不足が深刻化した。
一方、北朝鮮では1946年3月に、土地の再配分が実施された。
これを知った韓国の人々は、ストライキなどでアメリカ軍政に対決した。
アメリカ軍政は、「ストは朝鮮共産党が操っている」として、共産党幹部を逮捕した。
朝鮮労働組合はゼネストで対抗し、10月には民衆の蜂起に発展した。
しかし民衆蜂起は、アメリカ軍と右翼団体によって武力で鎮圧された。
(2013.5.1.)