(『韓国歴史地図』から抜粋)
野党は、反李承晩の勢力を結集して、『民主党』を創った。
1956年5月の大統領選挙では、民主党は大統領候補には申翼煕、副大統領候補には張勉を出した。
しかし申翼煕は、急死してしまった。
張勉は、自由党の李起鵬に勝って当選した。
大統領選では、進歩党の曺奉岩が24%の票を得て善戦をした。
危機を感じた李承晩は、曺奉岩をスパイ容疑で捕まえ、7月に死刑にした。
さらに、『新国家保安法』を制定し、批判勢力の弾圧を強化した。
朝鮮戦争が終わった後、李承晩政権はアメリカの援助の下で復興しようとした。
アメリカの援助は、生活必需品に集中した。
その結果、韓国経済はアメリカに従属するようになった。
反面、援助物資を集中的に配分された一部の企業は、独占的な大企業に成長していった。
アメリカ軍政の後に返還された工業財産は、低い価格で一部の企業に払い下げられた。
この過程で、企業と李政権の癒着が深まった。
(2013.5.12.)